私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

粥の木

2013-01-16 09:45:44 | Weblog

 2月1日を「ひてえ正月」として昔は祝ったのだが、この「ひてえ」とは正月が一回りした意味の一重だと書いたのですが、これは間違いでした。正式には「ひてえ」とは、ものの本によると、「一日」で、これは<ひとひ>を意味する言葉だと云う。正月には三日間祝ったのですが、この一か月遅れの二月朔日は、一日だけのささやかなお祝いをしたということから、こんな名前が付けられたのだ、と書かれてあります。

 なお、小正月ですが、今では、ほとんどその名は消えてしまっておりますが「十四日年越」等の文字が年中行事を書いた書物に残っているだけです。その本によると「一月十五日」を「上元日」<じょうげんのひ>と呼んだそうです。枕草子に「粥の木」とあり、やはり「十五日」、小正月に行われた年中行事のようです。

 またちょっと寄り道して、枕草子の第二段に書かれた「粥の木」について、それを少し覗いてみます。

 「十五日。節供まゐり据ゑ、粥の木ひき隠して、家の御たち・女房などの、うかがうを、「打たれじ」と用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきも、いとおかしきに、いかにしたるかあらむ、うちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。「ねたし」とおもいたるも、ことわりなり」
 とあります。
 
 この粥の木というのは、正月の十五日に、宮中でも小豆粥を焚いて皆に出したたのだそうです。その粥を炊いた木を削って粥杖を作り、その枝で女性の尻を打つと、打たれた女性は男の子を生むと云う俗言があったのだそうです。女性は打たれたら恥ずかしいという気持ちがあって、常に、この日は用心して、そんな隙を見せないように警戒していたのだそうです。それを清少納言は「いとはえばえし」と書いております。大変はでやかなみばえのする行事であると書いております。

 平安の昔には、こんなはえばえしい行事も行われた「小正月」だったようです。現在では、唯、名前のみが伝えられ残っているだけです。