私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

熊次郎と清水次郎長

2013-01-29 09:53:06 | Weblog

 数々の企画を次から次へと打ちだしこの宮内を当時日本でも有数の遊興地と為した熊次郎です。その為に、此の熊次郎にはこの宮内周辺の岡山、庭瀬、松山(現高梁)、浅尾の諸侯より年々手当金を支給されていたのです。ということは、その領内からも多くの人が此の地に遊び、その為の争いもしばしば起り、その解決は総て岡田屋熊次郎一家の物が解決にあったっていたのです。その為の迷惑料というか世話料というかそんな財政の負担をそれらの藩では覚悟して支払っていたようです。それだけ此の熊次郎の力が大きかったと云うことを此の諸手当は意味しているように思われます。又、此の事は、何事も穏便に、表沙汰にしないで「まあまあ」のうちに些細なことであっても解決してしまおうという、当時の各藩の政治姿勢をも物語っているように思えます。それくらい当時の熊次郎の勢いは「飛ぶ鳥を落とす程」だったと伝え聞いております。清水の次郎長よりその勢力は強かったと云われています。唯、次郎長には其伝記を書き綴った「田口英爾」という偉い先生がいたから日本全国に其名が広まっただけで、もしそのような作家の先生がこの宮内にいたら、次郎長よりはもっともっと全国的にその名が知られていたのだと思われます。その持つ勢力と言い、その政治力、そして経済政策術とその企画力、いずれをとっても次郎長などに足元にも及ばないような幅広い一歩も引けをとらない人間としての大親分だったのではないかと思われます。
 だからこそ、当時同じ宮内に住んでいた藤井高尚も、彼をどう思っていたかは分かりませんが、上手に共存していたのではないかと思われます。しかし、その沢山ある高尚の書物の中に一行たりとも、此の熊次郎という名前は出て来ません。此の二人がどのようにかかわっていたかという資料でもあれば面白いと思うのですが、今のところ宮内では見つかってはいません。