1788年、江戸の絵師江漢が吉備津神社に参詣しています。 彼の「西遊日記の旅」の中に記されています。
『・・・三門と言う処に出で夫れより四里を過ぎて足守に行く路、吉備津の宮あり参詣す、又行きて備中の堺に吉備津の宮あり(中略)それより宮内というところに入りて二里即ち足守なり。木下侯未だ御着なし。・・・・』
翌年の正月まで長崎平戸など巡って、馬関(下関)から海路帰途に着き、牛窓で下船して、岡山に立ち寄っています。
『二十五日 大西風烈し。朝五時出立して行くに寒風骨を透す。(中略)岡山石関町赤穂屋喜左衛門方へ行く。・・・食事して酒の肴、刺身を出だす。その切り身歯に当りてゴリゴリという、刺身の氷りたるなり。当春へかけての寒さ、四十年此方の寒気と申す事なりとぞ。・・・・』
『二十八日 天気、昼より曇る。喜左衛門同道にて四時ごろ石関町を出て、行く事二里、宮内という処あり。遊女ある処、茶屋あり。菊屋という揚屋なり。此処に至り妓二人呼ぶ。大阪風なり。縞縮緬毛留の帯、髪大島田、本櫛横に挿し、笄、簪、鼈甲なり。大阪の唄、江戸の騒ぎ唄、興に入りて面白し・・・・・』
『二月朔日 昼より雨(中略)昨日の鹿肉を料理人に申付候へは殊の外困りける。此処は吉備津の宮の氏子にて獣を嫌う。夜に入りて雨ますます降る』
これを見ると、当時の1788~89になけての宮内の様子がよく分ります。 明日はこれについて、一寸説明します。では。明日又。