私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 小雪は眠るようにいきました

2007-05-05 00:09:49 | Weblog
 大阪屋の離れ座敷に運ばれた小雪は、それから二日間、小息を立てながら深く深く眠り続けました。
 今まで、お須香さんは、小雪など宮内にすだく女達を、ただ遊女だ、芸者だと言うそのことばだけで、何か毛虫でも見るように、人でなしの、ろくでなしのぐうたら女で、口にするだけでもいやで、とても汚らわしい者のように思っていました。でも、そんな女の一人であるこの小雪に対しては、今では、それこそ自分の真の娘にでもするように一心に付きっ切りで見守っています。
 何時か雨に濡れながら無心にすげ替えてくれた鼻緒のことによほど心を動かされたのか、それともあの堀家お座敷で見た天女の舞に心を奪われたのかは分りませんが、とにかく、今は、この小雪なしには、とうてい生きてはいけそうにないくらいの思い入れようです。
 お須香さんには、これまで人をいとおしむと言うことは一度もありませんでした。一途に誰かを思い入れると言う経験はありませんでした。だからよけいに、何事にも控えめで、我慢ばっかりするような虔ましやかな小雪のような若い娘がいることさえ知りませんでした。まして、この宮内にいようなどといったことは考えても見なかったのです。この宮内にいるあそび女は、総て、ずうずうしく欲張りで、自分のことしか考えない、お金次第でどうにでもなるような薄っぺらな女だ、と決め付けていたのです。
 でも、偶然に出会った小雪は、お須香さんが、それまでに、心の中で決め付けていた宮内の女とは随分と違って、自分はあそびめとしての汚らしさ卑しさを、一人では持ちこたえられないくらいに一杯に持った女として、常に控えめに、でしゃばらず、息をするにも遠慮遠慮するするような瘠せ我慢ばっかりしている女でした。 「こんな女が宮内にも」と、お須香さんは大いに驚いたり感心したりするのでした。だから余計に、愛しさが募って、この若い女のために人肌脱いでやろう、と、言う、お須香さん独特の体の奥にある男気といいましょうか、そんなものがいっきに噴出してきて、親身も及ばばない世話をするようになったのです。
 自分の目の前のもう二日間も眠りこけている小雪を、必死になって見つめています。時々、それしかできない自分の不甲斐なさにやりきれないような気持ちにさえなって、一心に見守り続けています。
 片時も目を離さずじっと見続けています。小雪は相変わらず眠り続けています。
 お粂さんも、時々、そんなお須香さんのことが心配になったのか、顔を覗けます。
 「お須香さん、一寸代わりましょう。そんなに根をつめると、今度は、あなたの方が倒れるわ」
 「いえ、大丈夫」
 といって代わろうともしません。
 小雪は、相変わらず眠り続けています。
 翌日に、梁石先生が小雪の容態を見に来てくれましたが、「薬がこなくてね」とおっしゃって、何か難しそうな顔をなさりながら、小雪の手を握られたりしながら、「このまま見ていてくださいな、またくるからな」と、だけ言われて、お帰りになりました。その次の日にも、又、お訪ねくださいましたが、何にもおっしゃらないで、手をおにぎりになっただけで、お帰りになられました。
 舞台に倒れて3日が経ちました。『鳴竈会』が終わり、今まで見たことも聞いた事もないと言われた程の大賑わいを見せた宮内の街も、各地の親分さんが、ご自分の国にそれぞれお帰りになり、また、平生の元の街に戻っていきました。
 「この会で、熊五郎大親分の懐もだいぶ楽になった」
 と、これまた宮内雀の噂です。
 卯月4日の朝日が、お山から丁度顔を覗けかけた時です。それまで眠っていた小雪が僅かに目を開きました。お須香さまが差し込んできた朝日に照らされてふっとと目覚めた時と同時でした。
 「あら小雪ちゃん」
 と小さく声懸けしました。
 「あ、お須香さん、ここどこです」
 消え入りそうな声です。お須香さんは小雪の手をしっかりと握り締めます。途端に、にっこりとして、小雪は弱々しく言うのです。
 「へだて心はむずかしゅうおわす、うまいことできへんかったようどす。どないおもわれます」
 それだけ言うと又しばらく目を閉じます。また、
 「あたしは、何か、お喜智さまに抱いてもろうたようなきがしたのどすが、そんなことが・・・・。うれしゅうておしたへ・・・・おっかはんの臭いでし。・・」
 嬉し涙でしょうか、小雪の頬を一筋伝わって流れました。
 しばらく何か言いたげのようでしたが、そのまま目を閉じたまま動きません。
 「小雪ちゃん、しっかりして」
 お須香さんが小雪を抱きかかえます。
 「おおきに、小雪は、おかっはんが小さい時からいつもいうてたとおりに、しっかり瘠我慢できました。・・・・・お須香さんありがとう、・・・お世話になりました。それに、お喜智さまにお礼がもう一度言いとうおした」
 それだけ言うと、小雪の体から総ての力が、スーと抜けるように引いていきました。
 「小雪ちゃん、しっかり・・・」
 お須加さんは体を強く揺さぶりました。小雪はうっすらと目を再び開いて、
 「ありがとうございました。小雪は・・・」
 涙が又一筋頬を伝い流れ落ちていきました。これが最期の小雪のことばでした。