私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「徳」という4歳児の額が見えます

2007-05-15 18:11:11 | Weblog
 北隋神門を通って急な階段を、息を弾ませながら登ると、拝殿の前に出ます。まず、神殿に向かって2礼2拍してから拝殿を降ります。今登ってきた階段の下に背面からの隋神門が見えます。この建物は何時頃建てられたかは現在の所不明ですが、屋根の葺き替えの時の棟札に、天文11年(1542)の文字があるところを見れば少なくとも15世紀の終わりごろには出来ていたのではないかと思われます。
 檜皮葺は5~60年持つと言われますから、もし、このときの葺替えが二回目であったとしたら、1420年ごろの建物という事が分り、本殿の再建時と同じ時になります。まあご参考までに。
 さて、階段を上がりきったところの総拝殿の内側に、ひときわ大きな『徳』という字が書かれた額が奉納されています。
 この額を書いたのは、たった4歳の幼児だということです。写真に見えるように誠に力強い堂々たる文字です。感服させられます。

 これを書いた人は、荒木高養という人だそうです。天保14年、備中岡田藩士荒木賢蔵の長男として、当時の下道郡岡田村(現在倉敷市)に生まれております。
 神童と言われ、12歳ぐらいから詩文を良くしたと言い伝えられています。18歳にして、例外の抜擢で藩校敬学館の助教授になり、雲石と号して、書筆に達し、また、画をも善したと伝えられています。
 明治の御世になり、その4年、岡田藩は廃藩となり、高義は新設された高梁中学校の教授になり多くの子弟を育てたという事です、