たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

a little developed in years <訃報 日野原重明さん 新しい老後、体現>などを読んで

2017-07-19 | 人の生と死、生き方

170719 a little developed in years <訃報 日野原重明さん 新しい老後、体現>などを読んで

 

昨日、日野原重明氏の死去について触れましたが、なにか物足りないと思っていたところ、今朝の毎日は続けて盛りだくさんの記事を掲載していました。

 

もう時間が6時を回っていて、果たして別のテーマを取り上げることができるかわかりませんが、この話題を除くこともできず、簡潔に取り上げたいと思います。

 

さて毎日朝刊は、まず、<訃報日野原重明さん 105歳=医師新しい老後、体現 最期まで現役>と一面で取り上げていました。

 

同記事では<早くから予防医学の重要性を説き、民間では初となる人間ドックを同病院に開設。「生活習慣病」という言葉も生み出した。一方で、「75歳以上」の人を「新老人」と名付け、00年には「新老人の会」を設立。老後の新しい生き方を提唱した。>

 

75歳以上になると、本当に次の新しい生き方が可能になることを実践された方ではないかと思うのです。

 

これを読みながら、アメリカ社会、といっても多くはアメリカ映画でみる社会ですが、その違いをすごく感じてしまいます。映画「最高の人生も見つけ方」(The Bucket List )は私が好きな一つです。医師から余命半年を告げられた二人、たまたま同部屋になっただけで見ず知らずにもかかわらず、棺桶に入るまでにやっておきたいリストをやる話です。一人が60代、もう一人が70代の役柄でしたか。前者をモーガン・フリーマンが、後者をジャックニコルソンが演じる二人のトークの素晴らしさもありますが、ストーリー展開もなかなかのものです。

 

ニコルソンは大金持ちの役柄なので、なんでもできます。そのやりたいことのリストは映画を見て楽しんでもらえばいいかと思うのですが、そこがまさにアメリカ映画らしい内容で、きわめて個人的欲望追求型なのです。それを夢見ても実現しそうにない観客にとって、終末期の過ごし方としては理想的と思うのはアメリカ人らしいかもしれません。

 

この映画の中の大きな転換点の舞台で、フリーマンが一人酒場で酒を楽しんでいたとき、近寄ってきた女性からの一言がとても思い出深いものでした。二人がエベレスト登山に挑戦して悪天候で断念した話をしたら、その女性いわく、そんな危険なことに挑戦するにはa little developed in yearsと言うのです。これはにくい表現でした。その会話の発展の中で、フリーマンは家族への思いを揺り動かされ、その後のリストを断念するのです。

 

何が言いたいかというと、developed in yearsを成熟と字幕で表現されていたと思いますが、より深いそれこそ発展的な意味合いを感じています。それこそ、日野原氏が75歳からの新たな人生の発展を啓蒙した意味合いに通じるものかと思うのです。そして日本人的には、それが他のために役立つという発展的な生き方ではないかと思うのです。

 

その意味では、「最高の人生も見つけ方」という訳も妥当なものか気になりますが、映画の内容からすると、それも可なのでしょう。でも、この映画の面白さでは、とても日野原氏の最高の人生の見つけ方にはかなわないというか、比較にも値しないと思うのです。

 

もう一つの記事<自然体の生、まっとう 延命措置拒む>も、生き方も素晴らしければ、死に方もさすがと思うのです。

 

<福井院長は日野原さんの主治医も務めた。日野原さんは近年、転倒や発熱などで短期的な入院を繰り返していたが、3月の入院では消化器系統の機能が一段と低下。そのため福井院長が直接消化器に栄養を届ける経管栄養や胃に管を通す胃ろうを提案した。

 日野原さんはこれを拒み、自宅での療養を希望した。自宅に戻った後は、とろみを付けた食事や水を口から取りながら生活を続けた。経管栄養を拒否した理由について福井院長は「人工的で、自然な人生の終え方ではないと考えていたのではないか」と推し量る。

 今月14日に言葉を介した意思の疎通が困難になった。17日に福井院長が耳元で「何かつらいことはありませんか」と尋ねると強く顔を横に振ったという。「日野原先生は常々『死は生き方の最後の挑戦』『命に感謝して死んでいけたらどんなにいいだろう』と話していた。望ましい人の生き方を実践して生を終えたのではないか」。福井院長は振り返った。>

 

改めて心から合掌


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