環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

原発を考える ⑨ 原発と持続可能な社会-その2 

2007-04-18 07:56:10 | 原発/エネルギー/資源


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大量生産・大量消費・大量廃棄に代表される現在の産業経済システムが将来(2030年、2050年、2100年)も続けられるという見通しがはっきりしているのであれば、「安全性、核廃棄物の処理・処分、労働者被ばくなどに十分配慮する」という前提で、現在の産業経済システムを支えている原発へのさらなる依存も選択肢の一つだと思います。しかし、この議論には、21世紀最大の問題であるはずの「環境問題」の視点がすっぽり抜け落ちていることを忘れてはなりません。

また、「お前の言うことはわかるが、子供や孫の将来のことなどかまっていられるか。どうせ人生は一度だけなのだから、今日を楽しく生きることが大切なんだ。なぜ、それがいけないのか。江戸時代へ戻れというのか! 持続可能な社会など構築できるはずはない。自分の生きている間だけどうにかなれば、あとは野となれ山となれだ」と人生を悟り切ってしまったような利己主義者には原発へのさらなる依存は有力な選択肢です。

そうでない人は次の図をご覧ください。これは1995年5月7日の朝日新聞の記事です。


この新聞記事は朝日新聞社の坂本修さんが電気事業連合会の原子力部長である早瀬佑一さんと原子力資料情報室の西尾漠さんに「日本に核燃料リサイクルは、本当に必要なのか」を聞いたという構成になっています。10年以上前の記事ですが、今でもこの記事が十分新鮮に感じられるのは、日本の原発議論が堂々巡りしており、あまり進展していないからだと思います。私が注目したいのは早瀬さんの議論の出発点です。早瀬さんはこの記事の最初のところでなぜ原発なのかを次のように明確に説明しています。

X X X X X    
日本はリサイクル路線が必要です。石油はあと40~50年で枯渇の危機を迎えるといわれます。液化天然ガス(LNG)、石炭も無限ではありません。だから、石油危機以降、化石燃料に頼る発電を見直し、原子力を推進してきました。しかし、ウランもまた70年程度でなくなるといわれています。新しいエネルギー源として何があるかといえば、燃えかすの核燃料から抽出したプルトニウムの有効利用なのです。
X X X X X 

そして、後半で、「電力業界の最も大きな責任は、電力の供給力をいかに確保するかです。需要はのびますから、準備は絶対に必要です」と述べ、最後に「利用者がある以上、供給責任はゆるがせにできず、原子力発電に費用をかけています。それが国民の理解につながっていないとすれば、説明のしかたが悪いのかも知れません」と結んでいます。

この発言で重要なことは、電力会社は「1964年の電気事業法」で「供給の義務」を負わされていることです。この規定は社会が要求する需要に対して電力会社は供給の義務があり、「供給を断ることができない」ということです。高度経済成長期に「経済の拡大」を促進する目的で制定された法律が現在も、そして将来さえも規定するのはおかしいのではないでしょうか。電気事業法も21世紀前半の「経済のあり方」や「社会のあり方」を十分考えて、新法につくりかえるべきではないでしょうか。

電気事業連合という組織の立場だけで原発を考えれば、私は早瀬さんの主張に全く同感です。環境問題や日本のような工業社会を支える資源の問題を十分に考慮せず、現行の産業経済システムの下でさらなる経済の拡大をしていくために電源の確保だけを考えれば、私も原発と化石燃料による発電が最適だと思います。そこで、次の図をご覧ください。


早瀬さんの議論の出発点この図の少し前のバージョンにあることは間違いありません。私は早瀬さんの主張に対して全く同感だと言いましたが、それは「電気事業連合という組織の立場で電力の供給だけを考えれば」という条件付きでの話です。私の環境・エネルギー問題に対する視点から見れば、早瀬さんのお考えには大いに異論があります。

私の考えでは、2050年の世界は現在の産業経済システムの下で、経済活動を拡大した状況ではありえないということです。早瀬さんが個人として、あるいは電気事業連合会が組織として2050年頃の社会をどのようにイメージしているのかぜひ伺いたいと思います。

あまり難しい議論はこの際必要ありません。基本的な考え方は次のとおりです。

「現行の産業経済システムの下で経済の持続的な拡大が今後少なくとも50年以上は続くということが確実であり、環境問題にはあまり配慮しないというのであれば、現行の産業経済システムを支えているエネルギー体系を構成する火力発電と原発の増大はそれなりに合理性があると思います。けれども、そうではなさそうだというのであれば、3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」に書きましたように、火力発電と原発の増大はますます持続可能な社会への軟着陸を難しくすることになる」ということです。
 


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原発を考える ⑧ 原発と持続可能な社会-その1

2007-04-17 20:44:22 | 原発/エネルギー/資源


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過度の原発への傾斜は、万が一、過酷な原発事故が起きた場合にも、需要側サイドの電力の要求により、事故を起こした原発と同じ発電所にある他の原発や他の発電所の同タイプの原発を安全確保のために止めることができず、原発を運転し続けなければならないことです

エネルギー体系の変更にはリードタイムが必要なことを忘れてはなりません。次の図は原発が持続可能な社会の電源としてふさわしいかどうか考えるために、原発の現状(1994年末時点)と将来を私なりにまとめたものです。



原発の寿命は30~40年と言われていますから、日本では2000~2030年に第一期の廃炉時期を、2030年~2060年に第二期の廃炉時期を迎えることになります。

私が上の図を作成した1995年に、商用運転中だった47基の原発、建設中だった原発7基は2006年末の時点で55基(商用運転中)、建設中3基となりました。この12年間に18基の原発が増えたことになります。

それぞれの時期にどのように対応するかが大きな問題となります。第一の廃炉時期は軽水炉型の原子炉の更新となりますが、この時にいくつかの選択肢があります。原発の総設備容量を増やす方向を選択すれば、日本の将来は「持続可能な社会」からますます遠ざかってしまうでしょう。この時の判断基準としては、2月4日のブログ「今後50年のビジョンを考える際に必要な経験則」3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」が参考になるでしょう。

どのようなエネルギーを選択するかによって、私たちの将来は決まってしまうのです。議論の基礎となる共通の資料に基づいて、私たちの将来のエネルギー体系について組織の立場を離れて大いに議論しようではありませんか。
 


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原発を考える ⑦ それでは、高速増殖炉は? 核融合炉は?

2007-04-16 08:13:44 | 原発/エネルギー/資源


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2005年12月26日の朝日新聞によりますと、経済産業省資源エネルギー庁は高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」に代わる新たな高速増殖炉を2030年前後に建設する方針を決めたそうです。
 
これは、2005年10月11日に原子力委員会で決定され、3日後の14日に閣議決定された「原子力政策大綱」で、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する「核燃料サイクル」を堅持する方針が明記されたからです。核燃料サイクルの中核となる高速増殖炉は2050年ごろに実用化をめざすものです。

高速増殖炉は「核分裂」を利用した従来型の原子力利用技術の延長線上にあるものですが、もう一つの原子力利用技術に「核融合」という技術があります。その具体的なプロジェクトが南仏に建設が決まった「国際熱核融合実験炉(ITER)」で、2040年頃まで実験を続けることになっています。実用化は早くて21世紀末になると言われています。

ですから、高速増殖炉にしても核融合炉にしても、これらの技術による電力供給は私が想定している2050年までには実用化されることはないと考えてよいでしょう。

そうだとすれば、日本の現在のビジョンである「持続的な経済成長」をめざして、現行の産業経済システムをさらに拡大するために、「安全性に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本政府の主張や、「原発は不安だが、経済成長のために必要」という国民の60~70%を占める考えに沿って、現在の核分裂を利用した原発を2050年に向けてさらに拡大していくという考えが安全性に十分配慮した上で、原子力を推進する」が理解できるのではないでしょうか。

次の図は日本の原発の廃炉・解体状況を予測したものです。このデータは10年前の1997年5月17日に原子力資料情報室が公表したものですが、もっと新しいデータが現在公表されているかも知れません。このデータが作成されたときよりも現在の原発の数は増えています。原発推進、反対にかかわらず、この種のデータは既存の原発の数がわかっているわけですから、計算の前提条件が同じであれば、同じ結果が出るはずです。

この図では、今年2007年頃から商業用原発の廃炉・解体が始まると予測されています。これら、原発の廃炉・解体には多量の化石燃料(主に石油)や莫大な費用が必要なことは容易に予測できます。私たちは原発の「入口議論」だけでなく、「出口議論」を真剣にしなければならないのです。
 


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原発を考える ⑥ 原発に否定的な国際的評価の事例 

2007-04-15 07:13:24 | 原発/エネルギー/資源


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それでは、原発に対する「私の現在の認識と判断」に加えて、「原発に否定的な国際的な評価」の事例をまとめておきましょう。


★私の現在の認識と判断 

「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という考えは、日本の政府の主張であり、国民の60~70%が「不安はあるが、必要悪」と納得していると考えてよいと思いますが、私はそうは思いません。この考えは20世紀の経済成長をそのまま引きずっている考えで、21世紀の経済のあり方を十分に考えているとは言えません。

このような硬直した発想は議論の論点が狭すぎることから生じるものだと思います。4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」 の表の(6)、(7)、(8)を日本の原発の論点に加え、「21世紀の国のあり方(持続可能な社会の構築)」や「経済見通し」との関係で十分に議論しなければならないと思います。

特に、(8)を議論の中心に据えれば、議論の方向は大きく変わってくるでしょうし、可能かどうかは別にして、「原発を捨てること」が論理的には正当性があるということになるのではないでしょうか?そうであれば、原発の新設を止め、「安全に十分配慮した上で、原発の依存度を徐々に縮小していく」ことが、現実的なのではないでしょうか。


★スウェーデンの基本的な考え方

この点で、スウェーデンの論旨は明解です。スウェーデン政府が1992年の地球サミットに提出した資料の一つに「Ecocycles: The Basis of Sustainable Urban Development 」と題する報告書があります。この報告書の60ページに「しかしながら、原子力は持続可能なエネルギー源ではない。それゆえに、国会は国民投票後にすべての原子力発電所を遅くとも2010年までに廃止することを決定した」という記述があります。


★IPCCの基本的な考え方

1995年の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第二次評価報告は「原子力エネルギーは原子炉の安全性、核廃棄物の処分などについて一般に許容される対応策が見つかれば、世界の多くの地域のベースロードとなっている化石燃料による火力発電を置き換える可能性がある」としています。このように、IPCCの報告では、原子力については積極的ではなく、「条件が整えば」という仮定の話にとどまっていることに注意する必要があります。
 

★WCEDの基本的な考え方

また、持続可能な開発を提唱した国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」は「さまざまな議論があったが、最終的には原発はこれにより生ずる未解決の問題に関するはっきりした解決策が存在しないかぎり、正当化し得ないという点で委員会全員の見解の一致をみた」と1987年4月の「我ら共有の未来」と題する報告書(ブルントラント報告)に書いてあります。


★WSSDの原発の扱い

2002年8月末から9月初めにヨハネスブルグで開かれた「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)を報ずる毎日新聞の記事です。




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原発を考える ⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う

2007-04-14 08:04:20 | 原発/エネルギー/資源


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昨日のブログ一昨日のブログで、原発に対する国民のおおよその意識を示しました。そして、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないだろう、と考えました。
 
しかし私は、設問のような夢の原発が開発されたとしても(現実には設問のような夢の原発は開発されないでしょう)、「原発へのさらなる傾斜に、待った!」といわざるを得ません。

なぜなら、次の図を見てください。この図は2月25日のブログ「2050年までの主な制約条件」に掲載したものと同じです。

いくらクリーンなエネルギー(たとえば、自然エネルギー)を必要な量だけ供給できる夢のエネルギー供給体系があったとしても、生産活動を支えるほかの生産要素である「原料」や「水」の必要量を将来十分に確保できるという保障があるか、この点については、3月10日のブログ「生産条件、資源からの制約」で検証しました。

さらに、生産工程から排出される産業廃棄物や一般廃棄物等の固形廃棄物、さらには大気へ排出されるガス状あるいは水系に排出される液状の廃棄物など「様々な廃棄物の適切な処理・処分」および「廃熱」への対処が十分か、というこれらの課題に対する明快な解答がないからです。
 
生産活動は量的に最も少ない生産要素に縛られるのです。水は生産工程のプロセス水、洗浄水あるいは冷却水として使われます。渇水が深刻な状況になれば、原料やエネルギーが十分供給されていても工場の操業停止をせざるを得ないことを、私たちは経験から知っているはずです。

エネルギーだけが十分供給されても、エネルギーだけでは生産活動はできないのです。生産活動を支えているエネルギー問題を考えるときには、「エネルギー以外の生産要素が十分確保される可能性があるかどうか」を、同時に考えなければなりません。
 
エネルギーの専門家(とくに原子力エネルギー推進の立場をとる専門家)は、この30年間、この基本的な原則をすっかり忘れて、「持続的な経済成長のためのエネルギーの供給確保」という一点にこだわり、非現実的な論争の前提のもとで難しい技術論を展開し、「非現実的な論争」を繰り返してきました。反対派も難しい推進派の議論に技術論で対応するために議論はますます技術論に偏り、堂々巡りを繰り返してきたのではないでしょうか。
 
原子力エネルギーの利用において、「フロント・エンド」(原発の燃料であるウランの調達問題)から「バック・エンド」(核廃棄物の処理・処分の問題)に力点がシフトしてきたように、経済成長が十分可能であった20世紀においては、「エネルギー供給確保」が最重要課題でしたが、資源と環境の制約から20世紀型の経済成長が期待できない21世紀においては、先進国では「エネルギー成長の抑制」こそが最重要課題となります。

たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。他のエネルギー源についても同様です。

21世紀のエネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行わなければならないのです。

このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀の議論であったかが理解できるでしょう。 

21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います

つまり、21世紀の原発問題は4月10日のブログ「まずは、皆さんへの疑問」に掲げた図「21世紀の電源としての原発の論点」の(8)「持続可能な社会」に適した電源かという視点から議論しなければならないのです。
 
ちなみに、今朝の朝日新聞は「2006年の発受電電力量が3年連続で過去最高記録を更新した」と報じています。2005年の発受電力量については2月17日のブログを参照ください。日本の社会が「持続的な経済成長」を求めつつ、「持続不可能な社会」の方向に更なる一歩を踏み出したことは間違いないでしょう。


以上のことから、現時点での「原発に対する私の結論」はまず、原発の建設を現状に凍結すること、具体的には新設・増設を行わないことが「持続可能な社会」の構築への第一歩だと思います。では、高齢化した原発の更新はどうでしょうか。これについては難しい問題なので、しばらく結論を保留したいと思います。





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原発を考える ④  過去の「原発に関する世論調査」

2007-04-13 07:36:18 | 原発/エネルギー/資源


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昨日のブログで、「設問の意図」という図を掲げました。そして、国民の原発に対する意識を、「原発賛成派」(20%)、「推進派にも反対派にも属さないが、原発は不安だが必要と考える人々」(60%)、「原発反対派」の3つ分類しました。

私がそのような割合を決めたのは、内閣府の世論調査や新聞社の世論調査を参考にして、私自身の考えによるものです。参考にした世論調査の中から、ご参考までに3つの調査結果を示しておきます。

内閣府の2006年のこの調査では、「何となく不安である」(48.1%)と「不安である」(17.8%)を加えると、65.9%となります。



上の総理府(現在の内閣府)の1990年の調査では、「原子力発電への懸念については、何らかの不安を感じる人が90.2%」となっています。また、朝日新聞社の2002年の調査でも、「原子力発電所で事故が起きることに、9割近くの人が不安を感じている」と回答しています。

このようなことから、昨日のブログで掲げた「設問の意図」が的はずれではないことがご理解いただけたのではないでしょうか。

そうであれば、一昨日のブログで皆さんに問いかけたように、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

しかし私は、あり得ないことですが、完全に安全性が確保され、核廃棄物も完全に処理・処分できる“夢の原発”が開発されたとしても、、「原発へのさらなる傾斜に、待った!」といわざるを得ません。

その理由は明日のブログで説明します。
 


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原発を考える ③ 4月10日の「設問の意図」

2007-04-12 07:02:48 | 原発/エネルギー/資源


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一昨日のブログで原発に関する私の論点8点を、昨日のブログで日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点を紹介しました。私の論点8点は、1995年に、私の原発に対する視点を明らかにするために当時の原発論争をベースに設定したものですので、96年の私の前著「21世紀も人間は動物である 持続可能な社会への挑戦 日本vsスウェーデン」(新評論 1996年7月10日)の226ページに掲載してあります。

一方の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点は、昨日もお話したとおり、私の論点8点よりも5年遅れて「長期計画策定会議第二分科会」の報告として公表されたものです。両者を比較してみれば、私の論点8点は原子力委員会の5点をすべて含んでおり、その意味で私の原発への視点のほうが広いといえるでしょう。

さて、昨日のブログに対してお2人の方(冨田さん、XAITOさん)からコメントをいただきました。議論を進めるのに好都合なことに、冨田さんは「原発の安全性が確保され、核廃棄物も安全に処理・処分される技術があるならば、原発は拡大の方向でよい」と考えるとのことですし、XAITOさんは「足りないが問題なのではなくて、使いすぎ自体が問題」とコメントされているので、「原発の拡大は好ましくない」と判断されていると私は解釈しました。

お2人の判断は、まさにこのブログの一番上に掲載している「バーナー」(オレンジ色に白地)に書いたような状況になっています。

そこで、次の図をご覧ください。この図はこれまでの内閣府や新聞社の世論調査をもとに、私が「原発に対する国民の意識」を分類したものです。95年に作成した図ですが、10年を経た2006年の内閣府の世論調査でも不安に感じる人の割合は大体同じようです。

この図に示した国民の認識の割合(%)が「まあ、そんなものだろう」と合意していただけるなら、一昨日のブログで皆さんに問いかけたように、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう
 
これは「日本政府がこれまで言い続けてきたこと」であり、「原発に不安を感じるが必要である」と考えている一般の人(原発は必要悪という人もいます)が納得してきた「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本の主流の考え方に基づくものです。おそらく冨田さんのお考えも大きく括れば、ここに分類されるのではないでしょうか。



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原発を考える ② 原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ 

2007-04-11 09:07:01 | 原発/エネルギー/資源


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それでは、日本の原子力委員会は「日本の原発」をどのように位置づけているのでしょうか。次の図は7年前の状況ですが、委員の方々は代わっても現在も「原発の位置づけ」は基本的には変わらないでしょう。


原発推進派の議論も、反対派の議論も、そして、そのどちらにも属さない一般の人々の議論も、その出発点はここに集約されているのではないでしょうか。皆さんの議論の出発点はどこでしょうか。

私は昨日のブログで 「21世紀の電源としての原発の論点」で私が考える8つの論点を示しました。私の「8つ論点」の設定が1995年で、日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」が5年後の2000年であることに注目してください。

私自身の判断では、これまでの日本の原発論争の60%が(1)の安全性に関するもので、30%が(2)の核廃棄物の処理・処分に関するもの、残りの10%が(3)、(4)、(5)に関するものだと思います。

原発論争の90%を占める「安全性」「核廃棄物の処理・処分」の重要性については、原発推進派も反対派も、立場は違っても、全く同じ認識だと思います。ただ、認識が同じでも、立場によって、現在の対応が十分かどうかの評価が異なるのだと思います。

そうであれば、日本の原発論争の90%を占める「安全性」と「核廃棄物の処理・処分」の問題がクリアされれば、日本の原発は拡大の方向でよいのか、というのが昨日の設問の主旨です。



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原発を考える ①  まずは、皆さんへの質問   

2007-04-10 08:39:53 | 原発/エネルギー/資源
 

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古くて(とは言っても、1960年代頃からですが)、新しい原発議論が、再び高まってきました。3月30日に、全国の12の電力会社が発電所の不祥事に関する調査報告書を経済産業省原子力安全・保安院提出し、不適切な事例を報告したことが、議論をいっそう高めているようです。ネット上では原子炉技術の専門家、評論家をはじめ、さまざまな方がそれぞれの立場からさまざまに発言しています。

そこで、私も混乱している原発議論に参加します。原発に対する私の過去の発言などを織り交ぜながら、 「私の環境論」に基づいて現在の私の原発に対する考えをお伝えして、皆さんと一緒にこの大切な問題を考えていきたいと思っています。しばらくおつきあいください。私の考えに対するコメントは大歓迎です。

今日は初回ですから、次のような問いかけから始めましょう。
あり得ないことではありますが、「仮に原発の安全性が100%保障され、核廃棄物も100%安全に処分できる夢の原発が開発されたとしたら、日本のエネルギー体系は現在よりもさらに原発に依存する方向でよいのでしょうか、それともそれでもだめだというのでしょうか?」

この疑問は原発賛成派の方、反対派の方、どっちとも決めかねる方、そんな分けかたに関係なく、原発議論を始める前に私が、是非とも皆さんに伺ってみたいと思っていたものです。
 
この設問に答えるために、「これまで原発について議論されてきたこと」と、「原発が21世紀の電源としてふさわしいかを判断するために議論しておかねばならないこと」を、私の視点から挙げておきましょう。


ここに掲げた論点は、原発の問題点として、電力会社の不祥事の問題は一切取り上げていません。 私がここで議論したいことは原発の本質を議論するために>、「原発が正常に稼働しており、原発に対する
「安全性向上に向けたさまざまな技術開発」「放射性廃棄物の処理・処分の技術開発」が常に着実に行われており、電力会社も真剣に対応している。情報公開は完全に確保され、電力会社の不祥事は一切ない。」という前提での議論です。

今回報告された原発の不祥事は、検査漏れ、データの改ざん、検査中の原子炉の事故、報告の義務違反などですが、これらに関してはネット上にたくさんの議論がありますので、あえてこのブログでは触れないことにします。


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IT革命と環境問題 ⑨ スウェーデンはどうなっているか   

2007-04-09 11:47:35 | IT(情報技術)


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早いもので、「IT革命と環境問題」も今回で9回目を迎えました。このテーマはもともと3月30日のブログで紹介した世界経済フォーラム(WEF)が「07年版 世界IT報告書」でIT活用の世界ランキングでスウェーデン2位日本14位と公表したことがきっかけで設けたものでした。

これまでは、主に日本の状況を述べてきましたので、今回はスウェーデンの状況にちょっt触れておきます。まず、日本とスウェーデンのIT革命という概念の相違を見ておきましょう。



次は国際社会における日本とスウェーデンの状況ですが、次の2つの図をご覧になれば、説明の必要はないでしょう。日本よりもスウェーデンのほうが4~5年以上導入が早いことがおわかりいただけるでしょう。



ところで、皆さんは「デジタルデバイド」(情報格差)という言葉があることをご存じですか。パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差のことです。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もあります。次の記事をご覧ください。


この記事の中で、木村さんは次のように述べています。

実際、こうしたデジタルデバイドの拡大は、市場競争原理を優先するアメリカ社会で顕著に見られる。他方、フィンランドなどの北欧では、小中学校からの情報教育に力を注ぎ、階層と関係なく情報・知識社会への適応力を育んできた。グローバル化や市場競争の重要性を同じように認めても、アメリカが社会的な変化のリスクを個人レベルで解決使用としているのに対し北欧諸国は社会全体でリスクを共有し、分散させようとしている。・・・・・アメリカ型階層社会を目指すのか、逆に北欧型を目指すのか・・・・・

木村さんの分析は、最初に掲げた「IT革命」に対する日本とスウェーデンの相違からも容易に理解できます。

最後に、スウェーデンの労働組合の一つであるTCOが1995年に定めたTCO規格がパソコンやVDTから発生する電磁波の国際標準規格になっていることを紹介しましょう。95年の規格は99年に改定されました。


3月30日のブログで紹介したWEFの国際ランキングの背景にあるスウェーデンのIT状況の一端をご理解いただけたでしょうか。今日で、「IT革命と環境問題」のシリーズを一端終了することにします。



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巨大構造物と環境問題 ④ 妄想か、ファンタジーか

2007-04-08 06:53:48 | 巨大構造物/都市/住環境
  

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90年代初頭に、日本を代表するゼネコンは、競って、次から次へと巨大構造物のアイディアを発表していました。そして、著名な建築家も。そのいくつかを紹介します。










上図の右側の記事によれば、著名な建築家であられる菊竹清訓さん(日本建築士会連合会名誉会長)が1960年東京電鉄社長の故五島昇社長から依頼を受けて想い描いた「江田駅付近に想定した115階建てのペアタワー」は日の目を見ることはなかったそうです。まだ都市計画上の高さ制限はない時代でしたが、210億円を要する大事業で「経済的な問題が大きかった」からとのことです。

しかし、皮肉なことに、菊竹さんの設計事務所が設計した1975年の沖縄海洋博のシンボル「海上未来都市 アクアポリス」は、下の記事が伝えるように、25年後の2000年に哀れにも中国で鉄くずとなったのです。建造費123億円のアクアポリスが1400万円で売却されたと、この記事は伝えています。海上未来都市のプロトタイプとして建設された「アクアポリス」の寿命が日本の一般住宅の平均寿命にも達しないとは・・・・





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IT革命と環境問題 ⑧  IT革命、忘れてはならないこと   

2007-04-08 05:39:49 | IT(情報技術)


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今日は「IT革命と環境問題 ⑨」で、このシリーズの最終回です。

デジタル情報化社会のインフラ整備は、電力や設備コストの増加を促すだけでなく、システム・ダウンによる大きなリスクを社会全体がかかえることになります。

この分野の巨人、NTTグループの広報誌のひとつ「FUFION」(NTTファシリティーズ)の1999年春季号は次のように述べています。

デジタルを核とした「マルチメディア」の進展が、同時にエネルギー消費の増大を招くという事実は見落とされがちである。例えば、アナログ電話の時代には、通話時のみ電力を消費していたものが、ISDN等のデジタル回線では24時間常時通電されており、デジタル網ではアナログ回線網の約3倍の電力が必要だと推定されている。アクセス系が光方式になると、電気信号と光信号の変換のために、さらにエネルギーを消費する。

このまま社会が進展すると、エネルギーコストが膨らむことは避けられなくなり、エネルギー問題が「社会と企業が控える新たな課題」となることは必至である。一方、デジタル情報社会の企業経営を支える情報インフラの整備は「設備やエネルギーコストの増大」のみならず、「システム・ダウンによるリスク」や「エネルギー消費に伴う地球環境保護の企業責任」を同時に含んでいる。

同誌はNTTグループが1999年の時点で2005年および2010年の電力消費、IT社会におけるさまざまな課題を下図のように想定しています。





私の考えでは、IT革命を進めるにあったって、決して忘れてはならないことは、次の点です。


1997年12月16日に、TVアニメ「ポケモン」を見ていた子どもたちが、全国各地で同じ時間帯に身体の異常を訴えたあの「ポケモン・パニック」はその前兆かもしれません。


 
私は1月3日のブログ「人類史上初めて直面する2つの大問題」で、21世紀前半に私たちが人類史上初めて直面する大問題としてと「少子・高齢化問題」「環境問題」の2つの大問題を挙げました。これらに、「社会のデジタル化問題」を加える必要があるかもしれません。人類が初めて経験するこれら3つの大問題には「治療志向の国」(対策の国)日本の対応よりも「予防志向の国」(政策の国)スウェーデンの対応のほうが安心で安全な社会を志向する多くの方には参考になるはずです。

日本のIT革命の政治的位置づけは「さらなる経済発展」への起爆剤とされているようです。そうであれば、「IT革命と環境問題」で示しましたように、電力消費の増大は避けられそうにありません。それでは、稼働中にCO2をほとんど排出しない原発を・・・・?

次回から、原発に対する私の考えをお伝えし、原発議論の材料を提供できればと考えています。



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巨大構造物と環境問題 ③ 技術者の恐ろしい単純思考

2007-04-07 13:54:43 | 巨大構造物/都市/住環境
  

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昨日のブログで紹介したような1000メールを超えるような巨大構造物の建設は技術的には可能かもしれませんが、はたしてこんな所に人間が住み続けられるものでしょうか? 医学や心理学の立場から超高層ビルや高層住宅に対する健康や心理的へのマイナス面が指摘され始めていることを考慮しなければならないと思います。


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その意味では、巨大構造物への挑戦は嫌な表現ですが“人体実験”とも言えるでしょうし、もう少しスマートに表現すれば“わが日本人の新たな挑戦”ということにはなるかも知れません。
 
「このような挑戦はやってみなければわからない」と工学系の技術者は言うかも知れませんが、この程度のことであれば、私たちの直感だとか、「もう少し科学的でありたい」と言うのであれば、心理学者、社会学者、医者など通常人間を相手に仕事をしている専門家の知識を動員すれば、おおよそのことは事前に判断できるはずです。

このような巨大な構造物をつくって実験してみてからでなければ判断がつかないというのであれば、私たちは何のために学び、何のために日々の経験を積み重ねているのでしょうか? このような巨大構造物を作り、使用すれば、“環境にやさしい”などというものでなく、全く正反対に、「環境への負荷」が増大することは明らかです。

90年代初頭に、日本を代表するゼネコンは次から次へとこのような計画を発表していました。その主な「妄想的アイディア」を明日のブログで紹介しましょう。今後、1000メートルを超えるような高層都市はたぶん実現されないと思います。

都市づくりの面で先行しているアメリカやヨーロッパはすでに1930年代で都市のスケールや建築の高さがほとんど止まっていると言われています。ちなみに、アメリカのマンハッタンに102階、381メートルの威容を誇るエンパイア・ステート・ビルが完成したのは1931年でした。



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2月の景気動向指数 

2007-04-07 10:40:17 | 経済


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今朝の朝日新聞が、内閣府が昨日、「2月の景気動向指数」を発表したと報じています。景気動向指数は毎月6日、7日頃、内閣府が発表するもので重要な経済指標の一つです。私は環境問題の視点からこの指標を重視しており、私のブログでも過去2回取り上げました。



1月23日のブログ「環境と経済は切り離せない」と、2月19日のブログ「景気動向指数と長期間労働時間」 で、問題点を取り上げました。この高度成長期に創設された現在の指数11項目を変えない限りエコノミストや経済評論家には環境問題の本質や恐ろしさが見えないからです。

経済指標を21世紀の社会に向けて新しくすることにより、今まで見えてこなかった新しい局面がエコノミストや経済評論家にも見えてくるはずです。



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IT革命と環境問題 ⑦  IT化による電力消費の増加  

2007-04-07 08:08:05 | IT(情報技術)


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経済産業省の外郭団体である新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が2001年5月、「インターネットを介してやりとりされる情報量の増大により、パソコンなどIT関連の機器の消費する電力量は10年間で8倍に増え、2010年には現在の日本の電力需要の3分の1(原発30基分に相当)にも達するという予測」を公表していたことを付け加えておきましょう。

2001年5月21日の日本経済新聞、同年6月30日の東京新聞がこの報告を伝えています。また、2002年8月8日の電気新聞が総務省の調査で「2010年の社会では、CO2国内排出量が2000年比で3倍になる」としていることも付け加えておきましょう。




NEDOが公表した報告については、報告者の、(財)国際超電導産業技術研究センター副理事長の田中昭二さんが「インターネットが電力を食い潰す――カリフォルニア大停電、本当の原因はITだった」と題して「文藝春秋」の2001年8月号で詳ししく論じています。


いずれにしても、これらの調査結果が的中するかどうかはともかく、日本のように、ITが「経済発展」の刺激策や起爆剤の目的で導入されるかぎり、ITは4月4日のブログ「IT革命への期待と懸念」に示した2つの特性のうち、 ②の特性による「目的外の結果」として「電力消費の増加」「最終エネルギー消費の増加」「廃棄物の増加」に加えて、「環境への人為的負荷の増加」を誘発する可能性が高まることは間違いないでしょう。

環境問題を十分意識した「総合的な経済政策」がとられないかぎり、21世紀の日本社会は、ますます「環境負荷」と「人体負荷」の高い社会とならざるを得ないでしょう。

4月3日のブログ「乏しい環境経済・政策学会の反応」で書きましたように、  環境問題に関心を持って「環境経済・政策学会」に参加しているはずの日本の経済学者や研究者から「ITと環境問題」に対してほとんど発言がないのはどうしてなのでしょうか。



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