皆様、
たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。(長文になるので、独立したトピックにします)
それにしても、皆さんとの共通の話題がどこに転がっているのか、本当に分からないものです。
(*^_^*)
さて、ロッキーさんの世代がクリームを聴くなんて、なかなか渋いですね。
エリック・クラプトン(g)、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(ds)の三人組であるクリームの活動時期は、Y1966-Y1968の僅か3年間ほど。
しかし、高度な技術でインプロビゼーション(即興演奏)を繰り広げるスタイルは、当時の日本のロック好きに圧倒的に支持されていました。
その証拠に、彼らが解散して3年経過した1971年、高校生となった私がどこの高校の文化祭に行っても、「クロスロード」や「スプーンフル」を、クラプトンになりきって恍惚の表情で弾くギタ-・プレーヤーが一人や二人、必ず存在していました。
同じ時代の名ギタリストであるジミー・ペイジやジェフ・ベックと比べると、エリック・クラプトンが早弾きをしないプレースタイルなので、高校生たちでも比較的コピーしやすかったことも、その大きな要因だと思いますが。
聴衆も、大抵の曲のクラプトンのソロ・パートを暗唱できるぐらい、みんなクリームのLPを聴きこんでいました。
ただ、当時のポリドールのLPのカッティング技術があまり良くなくて、ベースラインが聴き取りにくかったのが、私には辛い思い出です。
なお、私の大好きだったベースのジャック・ブルースは、クリーム解散後には、マイルス・デイビスのバンドでハービー・ハンコック、ロン・カーターと強力なリズム・セクションを形成していた天才ドラマー・トニー・ウィリアムスと一緒に「ライフタイム」というジャズロック・グループを結成して、その後も活躍しました。
チェイスは、トランペット4本のブラス・セクションを擁するブラスロック・グループで、シャープで切れの良いサウンドが売り物でした。
リーダーのビル・チェイスがジャズのビッグバンド出身だったため、ジャズの手法を踏襲したホーン・アレンジがいかしていて、私も大好きなバンドでした。
しかし、大ヒットを飛ばしたと思ったら、まもなく飛行機事故でビル・チェイスが他界してしまって、バンドは解散。残念な結末でした。
シカゴは、BS&Tと同じジョージ・ガルシオという名プロデューサーにより世に送り出されたブラスロック・バンド。
BS&Tよりも、ポップでストレートなロックを演奏して、幅広くファンから支持されました。
私が最も好きだった曲は、YTさんも挙げられている「イントロダクション」。
シカゴの曲の中ではジャズっぽいアレンジだったので、今でも一番のお気に入りです。
メンバーの中では、ジム・パンコウというトロンボーン奏者が巧くて好きでした。
そしてギターのテリー・キャス。
ワウワウを深く効かせたギター・サウンドが強烈でした。
当時、ギターのエフェクターは、ワウワウとファズぐらいしか無い時代。
そして、高校生が買うことのできるワウワウやファズは機能が陳腐で、あまり深みのある効果が出せませんでした。
ですから、テリー・キャスの音を聴いては、当時のギター小僧たちは「あんな音を出せたらなあ」とボヤいておりました。
なお、BS&Tを脱退したランディ・ブレッカー(tp)は、弟のマイケル・ブレッカー(ts)、そしてビリー・コブハム(ds)と、ドリームスというジャズロック・バンドを結成し、グイグイと頭角を現してきました。
このジャズ・ロックの時代から、クロス・オーバー、そしてフュージョンへと、音楽シーンは移っていきます。
その起爆装置となったプレーヤーたちが、様々なジャンルから交流を始めたのが、このジャズ・ロックの時代だったんだなぁと、このトピックを書いていて改めて思いました。
たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。(長文になるので、独立したトピックにします)
それにしても、皆さんとの共通の話題がどこに転がっているのか、本当に分からないものです。
(*^_^*)
さて、ロッキーさんの世代がクリームを聴くなんて、なかなか渋いですね。
エリック・クラプトン(g)、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(ds)の三人組であるクリームの活動時期は、Y1966-Y1968の僅か3年間ほど。
しかし、高度な技術でインプロビゼーション(即興演奏)を繰り広げるスタイルは、当時の日本のロック好きに圧倒的に支持されていました。
その証拠に、彼らが解散して3年経過した1971年、高校生となった私がどこの高校の文化祭に行っても、「クロスロード」や「スプーンフル」を、クラプトンになりきって恍惚の表情で弾くギタ-・プレーヤーが一人や二人、必ず存在していました。
同じ時代の名ギタリストであるジミー・ペイジやジェフ・ベックと比べると、エリック・クラプトンが早弾きをしないプレースタイルなので、高校生たちでも比較的コピーしやすかったことも、その大きな要因だと思いますが。
聴衆も、大抵の曲のクラプトンのソロ・パートを暗唱できるぐらい、みんなクリームのLPを聴きこんでいました。
ただ、当時のポリドールのLPのカッティング技術があまり良くなくて、ベースラインが聴き取りにくかったのが、私には辛い思い出です。
なお、私の大好きだったベースのジャック・ブルースは、クリーム解散後には、マイルス・デイビスのバンドでハービー・ハンコック、ロン・カーターと強力なリズム・セクションを形成していた天才ドラマー・トニー・ウィリアムスと一緒に「ライフタイム」というジャズロック・グループを結成して、その後も活躍しました。
チェイスは、トランペット4本のブラス・セクションを擁するブラスロック・グループで、シャープで切れの良いサウンドが売り物でした。
リーダーのビル・チェイスがジャズのビッグバンド出身だったため、ジャズの手法を踏襲したホーン・アレンジがいかしていて、私も大好きなバンドでした。
しかし、大ヒットを飛ばしたと思ったら、まもなく飛行機事故でビル・チェイスが他界してしまって、バンドは解散。残念な結末でした。
シカゴは、BS&Tと同じジョージ・ガルシオという名プロデューサーにより世に送り出されたブラスロック・バンド。
BS&Tよりも、ポップでストレートなロックを演奏して、幅広くファンから支持されました。
私が最も好きだった曲は、YTさんも挙げられている「イントロダクション」。
シカゴの曲の中ではジャズっぽいアレンジだったので、今でも一番のお気に入りです。
メンバーの中では、ジム・パンコウというトロンボーン奏者が巧くて好きでした。
そしてギターのテリー・キャス。
ワウワウを深く効かせたギター・サウンドが強烈でした。
当時、ギターのエフェクターは、ワウワウとファズぐらいしか無い時代。
そして、高校生が買うことのできるワウワウやファズは機能が陳腐で、あまり深みのある効果が出せませんでした。
ですから、テリー・キャスの音を聴いては、当時のギター小僧たちは「あんな音を出せたらなあ」とボヤいておりました。
なお、BS&Tを脱退したランディ・ブレッカー(tp)は、弟のマイケル・ブレッカー(ts)、そしてビリー・コブハム(ds)と、ドリームスというジャズロック・バンドを結成し、グイグイと頭角を現してきました。
このジャズ・ロックの時代から、クロス・オーバー、そしてフュージョンへと、音楽シーンは移っていきます。
その起爆装置となったプレーヤーたちが、様々なジャンルから交流を始めたのが、このジャズ・ロックの時代だったんだなぁと、このトピックを書いていて改めて思いました。
私の場合は,演奏がわかるような音楽的素養がなかったものでピーター・セテラのヴォーカルが引き立つ80年代前半のバラードが好みでしたが,今聴きなおしてみると,長い夜等々もまた,独特の味があっていいなぁと思います.
ちょうどシカゴが初来日する直前の曲で、何と日本語吹き替えバージョンも発売されました。
どんな歌詞かは憶えていないというか、思いだしたくもないというか…
とにかく当時の、いわゆる洋楽ファンの心情を何も理解していない、最低の企画でした
(T_T)
aki_felixさん、ロッキーさん・・・世代を超えて
話が盛り上がります。今度はミュージックオフ会
でもしますか(笑)
長い夜と言えば松山千春世代のわたくしですが
シカゴでは「Questions 67 and 68」
「Saturday in the Park」
がお気に入りです。
タイムリーには「素直になれなくて」がありますが
随分と音楽性が変わったものだなと感じたものでした。
YTさんと私が好きな『イントロダクション』は、何故かベスト盤には取り上げられられないのです。
Chicago Transit Authorityというアルバムに収録されているのみ。
ぜひ聴いてみてください。
アマゾンで輸入盤が入手可能のはずです。