オフ会仲間のお1人が、郷里の富山県から写真を送って下さいました。
見てください、銀色に輝く立山連峰を!
この荘厳な美しさは、幼少期を富山県滑川市で過ごした私にとって特別な存在です。
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私は東京生まれですが、赤ん坊の時から昭和38年、小学二年生の4月まで富山県滑川市で過ごしました。
私が富山県で過ごした最後の冬は、昭和38年にちなんで「サンパチ豪雪」と呼ばれるぐらい、雪の多い年でした。
それだけに、雪に埋もれた町、その遥か向こうに聳え立つ立山連峰こそが、私の心の中にある富山の風景です。
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自宅から幼稚園と小学校に通う道の途中に、北陸本線と富山地方鉄道の踏切がありました。
その踏切を通過する列車を眺めるのが私のお気に入り。
中でも、ラッセル車が最高でした。
憧れのラッセル車
もっとも、雪の中で生活を守る立場の大人たちは、大変なご苦労をされていたのだろうと、今になって思います。
YouTubeで、豪雪地帯で鉄道の除雪作業にあたる人たちの映像「雪にいどむ」を見つけました。
1961年(昭和36年)の撮影とのことですから、まさに私が雪の踏切で列車を眺めていた時代の映像です。
まるでゴジラ映画のような重厚なBGMが、作業の過酷さと、それにあたる方々の使命感を代弁しているようです。
そして、映像の最後で、列車の通過を静かに見守る除雪作業員の姿に、男の世界があります。
「雪にいどむ」
見てください、銀色に輝く立山連峰を!
この荘厳な美しさは、幼少期を富山県滑川市で過ごした私にとって特別な存在です。
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私は東京生まれですが、赤ん坊の時から昭和38年、小学二年生の4月まで富山県滑川市で過ごしました。
私が富山県で過ごした最後の冬は、昭和38年にちなんで「サンパチ豪雪」と呼ばれるぐらい、雪の多い年でした。
それだけに、雪に埋もれた町、その遥か向こうに聳え立つ立山連峰こそが、私の心の中にある富山の風景です。
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自宅から幼稚園と小学校に通う道の途中に、北陸本線と富山地方鉄道の踏切がありました。
その踏切を通過する列車を眺めるのが私のお気に入り。
中でも、ラッセル車が最高でした。
憧れのラッセル車
もっとも、雪の中で生活を守る立場の大人たちは、大変なご苦労をされていたのだろうと、今になって思います。
YouTubeで、豪雪地帯で鉄道の除雪作業にあたる人たちの映像「雪にいどむ」を見つけました。
1961年(昭和36年)の撮影とのことですから、まさに私が雪の踏切で列車を眺めていた時代の映像です。
まるでゴジラ映画のような重厚なBGMが、作業の過酷さと、それにあたる方々の使命感を代弁しているようです。
そして、映像の最後で、列車の通過を静かに見守る除雪作業員の姿に、男の世界があります。
「雪にいどむ」
伊福部さんは、ゴジラや大魔神の映画の音楽担当であった方。
さすがの人選です。