
今日が早大野球部の練習始め。
そうです、東伏見グラウンドにお正月がやってきました。
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もっとも集まった部員は、全員というわけではありません。
この三連休の間に成人式に出席する部員が少なからずいるからです。
全員が揃うのは来週からとなります。
一方、ネット裏には常連ファン、プロ球団スカウト、スポーツメディアの記者等々が集まり、練習始めにふさわしい賑やかさでした。
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今日の最大のニュースは、長年の懸案であった投手コーチとして、安田猛さん(小倉高校-早大-大昭和-ヤクルト)が、就任されたことです。
投手コーチのことは、昨年末のブログ記事「十大ニュース」において、「岡村さんにお考えがあるようだ」と、さりげなく皆様に予告していたわけですが、練習開始の初日に安田さんのお姿を実際に拝見し、ちょっと興奮してしまいました。
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安田猛さん(1966年(昭和41年入学))は、学生時代には小坂敏彦投手(高松商業-早大-巨人)に続く二番手投手でした。
しかし、社会人経由でプロ入りするや、新人王となり、加えて2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、精密なコントロールと多彩な変化球を駆使する技巧派として、ヤクルトスワローズの主力投手として大活躍されました。
現役引退後は、長らく編成部門で手腕を発揮され、2009年末に退団。
JR東日本で投手指導されていましたが、プロ退団から丸二年が経過したため、このたび学生野球でも指導ができるようになりました。
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安田さんは、「ペンギン投法」と呼ばれる個性的なマウンド捌きで人気を集めたのですが、マンガ「がんばれタブチくん」に、"ヤスダ投手"として登場されたことを記憶されている野球ファンも多いと思います。

画像が小さくて判りにくいかも知れませんが、左上が、ヤスダ投手
右下が、ヒロオカ監督です。
(*^_^*)
オオヤ捕手と組んで魔球を開発して大喜びしているヤスダ投手を、ヒロオカ監督が横目でジロリと睨むという、楽しい設定でした。
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安田さんは、JR東日本のコーチを続けながら、当面は週一回のペースで東伏見に指導においでになるとのこと。
朝一番で、部員たちに向かって訓辞されました。
「頭を使え」
「考えることで、普段の練習や生活も必然的に変わってくる」
「これまでの皆さんの理解と異なる指示を私が与えることもあるだろうが、その理由はいつでも説明するので、何でも質問して欲しい」
「目標はただ一つ。早稲田の優勝だ。皆で頑張ろう」
2012年の早稲田が、ますます楽しみになってきました。
そうです、東伏見グラウンドにお正月がやってきました。
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もっとも集まった部員は、全員というわけではありません。
この三連休の間に成人式に出席する部員が少なからずいるからです。
全員が揃うのは来週からとなります。
一方、ネット裏には常連ファン、プロ球団スカウト、スポーツメディアの記者等々が集まり、練習始めにふさわしい賑やかさでした。
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今日の最大のニュースは、長年の懸案であった投手コーチとして、安田猛さん(小倉高校-早大-大昭和-ヤクルト)が、就任されたことです。
投手コーチのことは、昨年末のブログ記事「十大ニュース」において、「岡村さんにお考えがあるようだ」と、さりげなく皆様に予告していたわけですが、練習開始の初日に安田さんのお姿を実際に拝見し、ちょっと興奮してしまいました。
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安田猛さん(1966年(昭和41年入学))は、学生時代には小坂敏彦投手(高松商業-早大-巨人)に続く二番手投手でした。
しかし、社会人経由でプロ入りするや、新人王となり、加えて2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、精密なコントロールと多彩な変化球を駆使する技巧派として、ヤクルトスワローズの主力投手として大活躍されました。
現役引退後は、長らく編成部門で手腕を発揮され、2009年末に退団。
JR東日本で投手指導されていましたが、プロ退団から丸二年が経過したため、このたび学生野球でも指導ができるようになりました。
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安田さんは、「ペンギン投法」と呼ばれる個性的なマウンド捌きで人気を集めたのですが、マンガ「がんばれタブチくん」に、"ヤスダ投手"として登場されたことを記憶されている野球ファンも多いと思います。

画像が小さくて判りにくいかも知れませんが、左上が、ヤスダ投手
右下が、ヒロオカ監督です。
(*^_^*)
オオヤ捕手と組んで魔球を開発して大喜びしているヤスダ投手を、ヒロオカ監督が横目でジロリと睨むという、楽しい設定でした。
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安田さんは、JR東日本のコーチを続けながら、当面は週一回のペースで東伏見に指導においでになるとのこと。
朝一番で、部員たちに向かって訓辞されました。
「頭を使え」
「考えることで、普段の練習や生活も必然的に変わってくる」
「これまでの皆さんの理解と異なる指示を私が与えることもあるだろうが、その理由はいつでも説明するので、何でも質問して欲しい」
「目標はただ一つ。早稲田の優勝だ。皆で頑張ろう」
2012年の早稲田が、ますます楽しみになってきました。
野村徹監督の指揮で都市対抗野球で優勝、安田猛さんは橋戸賞を獲得しました
当時の大昭和製紙には長倉、小田選手等早稲田出身の選手が多く在籍していました
法政には最多勝を記録した山中投手がいました
当時強力打線と言われていた早稲田打線も山中投手を打ち崩せず苦戦していました
練習では安田猛さんが仮想山中投手になり打撃投手として練習台になりました
その練習が実り谷沢選手が山中投手から本塁打を打ちました
谷沢さんは「山中投手から本塁打を打てたのは安田が山中投手に成りきって練習台になってくれたから」と話しています