明治神宮野球大会 大学の部の組み合わせです。
盟友慶應義塾には、ぜひ頂点に到達して欲しいです。
順当にいけば、決勝戦で青山学院と激突します。
大学選手権で青学に敗れた明治大学の仇討ちを慶應に期待いたしましょう。
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東伏見のイベントです。
せっかくの機会なので、好天に恵まれますように。
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理工キャンパスの校舎建替えです。
早稲田大学(東京都新宿区)/9号館建替、戸田建設の施工で11月末着手 – 日刊建設工業新聞
早稲田大学(東京都新宿区)/9号館建替、戸田建設の施工で11月末着手 – 日刊建設工業新聞
私たちの学生時代、大学生の会社訪問は4年生時の10月1日に解禁と決められていました。
ただ、当時の社長が早大の卒業生という某ゼネコンは、10月1日を待たずに早大生の会社訪問を受け入れてくれました。
石油ショックの影響もあって、新卒採用予定なしという上場企業が数多くあるという状況たったので、とてもありがたい存在でした。
さっそくゼネコンに会社訪問した私は、帰宅して晩ごはんを食べながら、父に訪問の様子を話しました。
「1学年上の先輩は、上越新幹線のトンネル工事現場に配属されたらしい」
「毎日、仕事を終えた作業員の宿舎に、一升瓶を届けるのが新入社員の最初の仕事。」
「けが人が出たら、おんぶして病院に連れていく」
「盆暮れの帰省列車の切符の手配も大切らしい」
「現場の人たちに嫌われると、足場の上から鋲が落ちてくるんだって」
メーカーで工場長を務めていたこともある父は「現場の人を大切にしなければ、仕事は回らないぞ」などと、ニコニコしながら私の話を聞いていました。
ところが、そんな会話を横で聞いていた母が「鋲が降ってくるような、そんな物騒な仕事はやめなさい」と。
しばらく経って、父が「どこか内定をもらったのか」というので、銀行から内定をもらったことを伝えました。
ただ、「スポーツ新聞社もいくつか受けようと思う」と私がいうと、今度は父が「何を考えているのか。銀行でいいじゃないか。黙って銀行に決めろ」と。🥴
結果的に、リタイアするまで銀行マンとして勤め続けたわけですが、「あの時、戸田建設にお世話になったら」「スポーツ新聞社に就職したならば」どんなサラリーマン人生になったのかと、ふと考えることがあります。
でも、どこに就職していても、このブログを書くという終着点は同じだったような気がします。😀