東京五輪の最後、大迫傑選手の力走が強烈なインパクトを与えました。
彼の生きざまは、まさに剣客。心から敬服します。
一方で、今回のマラソンは、出場選手の3割が途中でレースを諦めるという過酷な状況でした。
一緒に走った服部勇馬選手は重度の熱中症となり、レース終了後は歩行困難となり、ホイールチェアで運ばれました。
そもそも、真冬の1月に行われる箱根駅伝でさえ、気温が10℃を超えるあたりから、脱水症状を起こす選手が出ます。
8月のマラソンは、やはり無理がありました。
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1964年の東京五輪でも、実は野球の試合が行われました。
当時は、厳格なアマチュアスポーツの祭典でしたから、社会人と大学の野球選手が出場したそうです。
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困窮する学生を支援しようと始まったランチサポートプロジェクトも、夏休みに入りました。
こちらのサイトから支援できます。
学生さんのお礼集です。