外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

週べ今週号

2012-10-09 22:41:00 | 大学野球
週刊ベースボール今週号では、「おんりい・いえすたでい」の記事が最高です。

冒頭の写真は、1931年5月5日の早大球場(安部球場)で行われた東京六大学野球の新人戦における始球式です。

新人戦の始球式だからと言って、軽んじることなかれ。
何と、ボールを投げる老紳士は、当時の総理大臣・若槻礼次郎さん!

その時、球場は超満員。
新人戦ながらもNHKでラジオ中継まであったというのですから、当時の六大学野球が、現在のプロ野球など一蹴するような圧倒的な存在感であったことが分かります。
\(^O^)/

ちなみに、その新人戦で優勝したのが早稲田で、四番打者は、後に巨人で初の三冠王となる中島治康さん(松本商業)!

もし、タイムマシンがあったならば、万難を排してタイムワープして観戦したいです。
(*^_^*)

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週べ今週号は、何となく慶応の空気が流れています。
まず、高橋由伸選手の300号本塁打の記事がありました。

プロ入り後、度重なる故障に泣いて、一試合しか出場できなかったシーズンすらありました。

それでいて、プロ通算300号の本塁打。
高橋選手が神宮球場で放つ美しい打球は、天才打者の証明でした。
もし彼が、ずっと万全の体調でプレーを続けることができていたならば、とてつもない記録を残していたことでしょう。


長田投手(西武)の活躍に関する記事もあります。

長田投手は、いわゆる松坂世代の1人。
当時の六大学の主戦投手たちは、物凄い顔ぶれでした。
長田(慶応)、和田(早稲田)、多田野(立教)、土居(法政)、松家(東大)、一学年下に一場(明治)

この時期の六大学野球をあまり取材しないスポーツメディアの目は節穴だと、私は憤りを感じていたものです。

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今年のドラフト候補として、阿加多選手(捕手。慶応高校)についても、4ページの特集記事が組まれています。

実をいえば、彼の捕手としての捕球やリードの技量が凄いのかどうか、私は良く分からないのです。
でも、肩と打力は確かに一級品です。
社会人チームからの誘いを断ってプロ志望届を提出した、彼の夢が実ることを、祈るばかりです。
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かたや、10月7日時点で戦力外となった選手たちのリストも掲載されています。

私の記憶によれは、六大学出身の選手たちは次の通りです。

的場(35歳。捕手。明大)
佐藤友亮(34歳。内野手。慶大)
阿部(34歳。内野手。法大)
松家(30歳。投手。東大)
一場(30歳。投手。明大)
小笠原(30歳。投手。明大)
山本一徳(29歳。投手。早大)
加藤幹(27歳。投手。慶大)古川(27歳。投手。明大)
久米(27歳。投手。明大)
小松(26歳。投手。法大)

この話題になると、「彼はプロ入りすべきではなかった」「高校卒業時にプロ入りすべきだった」等々、したり顔の声が聞こえてくるのですが、余計なお世話だと私は言いたいです。

未知の領域に挑戦した彼らの経験は、かけがえのないもの。
経験したいと思っても、経験できない人が大半なのです。

修士課程、博士課程で野球の奥義を学んだと考えて、次のステージに向かって前向きに突き進んでもらいたいと思います。


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