外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

激動の時代

2009-09-29 21:23:04 | 都立青山高校
添付の写真は1971年(昭和46年)秋の、青山高校の校庭でのひとこま。
レストラン・ガイエンや猪瀬酒店などの写真を探していて、昨夜見つけた一枚です。

1969年、2ヶ月以上に渡ってバリケード封鎖中であった青山高校の校内に機動隊が突入した際に、火炎ビンを投げて立てこもった全共闘委員長(生徒会長でした)が逮捕され、私たちが一年生となった1971年の頃は裁判闘争中でした。

私たちが入学した後も、三里塚の空港反対、あるは空母エンタープライズ寄港阻止を求める学生運動で、私の同期生も含めて現役青高生たちが逮捕・検挙されました。

また沖縄返還協定に反対する新左翼系学生が、毎週のように明治公園(日本青年館の隣)で全国集会を開き、国会に向かってデモ行進。
神宮球場と青山高校の間の道は、デモ隊を制圧しようとする機動隊に埋まり、こん棒で叩かれて血だらけになった学生が校庭に逃げ込んできたり、催涙ガスが教室の中まで流れてきたり。

機動隊員が青山高校の校内を捜索に来て、下校しようとする私たちのカバンを無理矢理開けて点検したので、それに怒った何名かの生徒が機動隊員にくってかかったりと、騒然とした時代でした。

しかし、そのような事態の傍ら、授業とクラブ活動は、それなりに正常に行われていました。

なお、写真に写っているメンバーのうち、二人の三年生が、数ヶ月後に「さらば青高。我々は沖縄へ行く」とビラを配った後に、高校を中退して、本当に沖縄の集団農場に行ってしまったのは衝撃的な思い出です。
普段は、とても穏やかな方々でしたから。

最終的に実刑判決を受けた委員長、そして沖縄へ行ってしまった先輩たち。
皆さん、今はどうされているのでしょうか。

まるで大学のような、大人びた空気が流れていた青高だったという気がしますし、やっぱり幼かったような気もします。

ひとつ間違いないのは、時代の激動の中で、先輩たちは、未熟者なりに自分たちで考え、悩み、議論し、行動していました。

一枚の写真を眺めながら、様々な記憶が蘇ってきました。


Comments (4)
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