酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

五輪は愚民政策の集大成だ

2008-08-26 05:43:19 | Weblog
 昨日、25日付けの朝刊各紙は「北京五輪閉幕」一色で読むところがない。朝日は中国総局長の署名記事「宴の後こそ向き合う時」を掲げ、読売は運動部長が「17日間 輝いた『個』の力」を書いていた。互いの記事とポストが入れ替わっていても何の違和感もないだろう。まあ、それだけ平和の証でもあるのだが…。


 2、3面あたりでは各紙とも過剰演出、行過ぎた警備、インチキなデモ許可制度やチベットその後などを取り上げ、「変な五輪」だと指摘しているが、これも行きがかり上書いてみましたという程度だ。


 我らがNHKは夕方になっても「ソフトボールの選手が職場で祝福を受けました」なんてのを流している。ほんと感動して涙が流れます。


 新聞やテレビの五輪報道を見ていると、これこそが五輪だと実感する。世の中の矛盾や問題点を五輪というラップで覆ってしまうのだ。「世界は一つ、人類兄弟」の歌声が聞こえてくるようではないか。


 五輪に国民を総動員しようとしているのは中国ばかりではない。日本もまさにその一員だ。どさくさにまぎれて、シーレーン防衛論が声高に語られている。大型補正だの15カ月予算だの、財源もないのににぎやかだ。



 世界大恐慌の一歩手前、人口減少と高齢化の進行が著しい日本にとっては、この不況はとりわけ深刻なものになる。そうした不安を一時的にも忘れさせる麻酔薬が五輪なのだ。メダルを手にした選手は感極まってこう声を絞り出す。「頑張って…。…。夢を、あきらめないで…、追い続けてきた甲斐が、ありました。目標に向かって、努力すれば、夢は必ずかなう…、そう信じてきました」。


 五輪は壮大な愚民政策の集大成だ。開催国であろうがなかろうが関係ない。国がスポーツ強化に金を出すのはそのためだ。インチキ企業が有名選手を抱え込む理由もそこにある。今回は何人のメダリストが変な企業や国の広告塔に変身するのだろうか。

 スポーツの自立はチベット独立よりさらに難しいかもしれない。
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