酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

よみがえった「民族の祭典」

2008-08-09 06:37:49 | Weblog
 鳥の巣というテーブルに満漢全席をぶちまけたような演出だった。もちろん、北京五輪の開会式のことである。絢爛豪華を通り越しす度外れた壮大さは、テレビ中継を通じて海外に「大中国の威信」を伝えるという中国政府の意図を余すところなく表していたといっていい。


 72年前、ヒトラーが主宰した「民族の祭典」=ベルリン五輪は「絢爛豪華さにおいて、過去に比類なし」と称された大会だった。実見したことはないが、想像はできる。リヒャルト・シュトラウス作曲による「オリンピック賛歌」が流れる中、飛行船ヒンデンブルグが空を舞い、この大会から始まった聖火リレーの炎がトラックを駆け抜けた。


 北京五輪の演出は徹頭徹尾、中華思想に覆われていたように感じる。中国人の発明になる紙や羅針盤などが次々に登場し、「中国5000年」の文化の素晴らしさを内外にアピールした。冒頭の太鼓の演奏など、マスゲームの見事さはお隣の北朝鮮のイベントを髣髴とさせた。さすが血盟関係だけのことはある。


 開会式の演出はあのチャン・イーモーだという。「初恋の来た道」や「あの子をさがして」「活きる」で見せた、庶民に寄り添う視線はどこへ行ってしまったのか。名匠も巨匠とおだてられ、国家イベントを引き受けるようになるとおしまいだ、ということなのか。


 最後の方で地球を登場させ、環境問題や平和も訴えていたが、とってつけた感じは否めない。ひたすら華やかな光と音で人を驚かせ続けた4時間、世界記録並の長大開会式だったのは間違いない。


 それにしても、あの花火のすざまじさはどうだろう。爆弾テロで北京が炎上したかのようでもあり、煙がたなびくさまは6年前のバグダッド空爆を思い起こさせた。中国恐るべし、である。


 開会式の途中で、グルジア軍が南オセチアに侵攻、ロシアが報復の空爆を行ったと時事の速報が伝える。こういう大イベントにまぎれて、何かが進行するものだ。メディアはしばらくは五輪一色だろう。こうしたときこそ要注意だ。


 とりあえず注目すべきは、米国が予定通り北朝鮮をテロ支援国家リストから外すかどうか。11日から始まる、日朝協議も含めて眼を凝らしたい。


 すっかりやる気を失っている福田首相の動向も要警戒だ。安倍晋三が変調を訴えだしたのは去年の今ごろである。その後約一ヶ月で、政権を投げ出したのは記憶に新しい。立秋は過ぎたが、内外とも暑い日が続く。五輪だけにかかずらわってはいられない。
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