今日もムシ暑いです。
ところで、私は真実を語る人たちの瞳を見るのが好きなのですが、テレビのドキュメンタリー番組であったり、職人さんであったり、大変な苦労をされている地域に住んでいる人たちのインタビューを受けている時の瞳だったりします。
真実を語る時の人間の瞳というのは、その話をしている間、秘境にある小さな湖の、深い澄んだ水の淵を覗きこむ時のように、瞳の中の奥行きが深く澄んで見えて、底が、果てしないように見えます。
真実を語る人たちの目というのは、大抵普段から誠実に正直に生きて来られた方々がする独特の目の表情ですが、たまに、普段詐欺師に近いようなお話をしている人たちが、時折とか、一瞬、瞳が澄む瞬間もあったりします。
ここまでは、いつものように魚の死んだ目のような表情でいい加減なことを語り、瞬間、魂に誠実になったかのように、真実を語っているような場面もあります。
ほんの、数秒だったりすることもありますが、これは、この人の本心で、本当のことなんだなというのが伝わってきます。
真実を語る人のもつ瞳というのは、凄みがあります。普段から、集中して技を磨いている職人の方が、この瞳を持っていることが多いと気付きました。
この間、テレビで沖縄の漁師の方が、新人の若い子に漁の心得などを指導していましたが、ちょっと、他に見ないような美しい、凄みのある瞳をして、優しく話しておられました。
一歩間違えると命の危険がある、大自然を相手にする職業だと思うので、本気で、かからないといけないのだと思います、
若い漁師さんは、少し、真面目さのたりない感じで聞いていましたが、この人の下について、学ばせていただいてる有難みは、わかっていないようでした。
若い人の瞳は、迷いの多い、師匠が不安を感じるのではないのかなというような不安定な感じの目をしていましたが、これから、いずれ外海に出るそうで、そうすると、次第に迷いも削ぎ落とされていくのかなと思いました。
ところで、最近の世界の感じは何か緊迫感が感じられませんので、出来事は多いけど、深刻度はたいしてないのだなということが、わかってくるのでした。