前回の釣堀坂から引き返し、細い坂を上り、御薬園坂の中腹にもどる。坂上を見ると標柱が遠くに見える。二枚目の写真のように、標柱には次の説明がある。
「やくえんざか 江戸時代前期、坂の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)があった。なまって役人坂・役員坂と呼ぶ。」
坂の西側に御薬園があったことに由来するようであるが、近江屋板江戸切絵図を見ると、坂上の東側に、此辺御薬園跡ト云、とある。本村町 里俗ニ新町ト云、とあるそばである。尾張屋板にこのような註はない。標柱と切絵図の説明があわない。
横関は、奴坂の説明で、江戸麻布の御薬園坂は御薬園のそばの坂であった。この坂の東側には、元禄から正徳の三年(1713)ころまで御薬園があった、としており、近江屋板とあう。
『御府内備考』の麻布の総説に「御薬園蹟」がかなりの量で説明されている。概略、次のようである。
「池田家の系譜を見ると、池田重次が剃髪して道隆と号し、寛永15年(1638)江戸に南北御薬園をかまえた。北は高田の御薬園であろう。幕府の命により、南の方の御薬園をあずかり、そこに薬師堂を建立し、栄草寺と号した。寛文の江戸図(十三年)では、仙台候の屋敷の南の方、百姓町の傍を御薬園というが、ここであろう。これによれば、寛永15年にできたように見えるが、宗氏の家の譜をみると、寛永13年、江戸京都に御薬園が新たにできたようである。朝鮮から伝えられ、かの国にできる薬種および根実等を、時期にしたがい対馬守義成をもって献上したという。これによれば十五年というのは疑わしい。よって、この所と別かもしれず、それはわからない。・・・正徳3年(1713)3月11日この地が廃され、小石川白山御殿跡に移された。・・・」
御薬園の位置については、寛文の江戸図(十三年)に、仙台藩屋敷の南の百姓町の傍に御薬園とあったようであるが、坂の西または東のいずれにあったのかは、その江戸図をみないとわからない。
同じく、麻布の総説には御薬園坂について次の説明がある。「御殿跡より辰の方、土屋氏の下やしき前より、新堀端へ下る坂なり、江戸名勝志」
御殿跡とは、麻布白金御殿のことであろうか。辰とは、東南東の方角。近江屋板に、新坂上の近くに白金御殿跡が示されているが、そこから方向的には東南東で、あっている。
また、本村町の書上に次の説明がある。 「仲町南の方目黒通りに而登り六拾間余巾四間これ有り里俗御薬園坂と申伝者古来此の辺に御薬園これ有り候依右様に唱申候」
『江戸名所図会』の七仏薬師氷川明神の挿絵に、薬園坂とあり、この坂が描かれている。七仏薬師はこの坂の東側に存在した東福寺内にあった。坂中腹であろうか、坂上側がちょっと急に描かれている。西側(左)には山に樹木がたくさんみえるが、崖もみえる。坂下に小さな橋がある。道々に通行人がたくさん描かれている。坂の向こうに仙台坂上近くの氷川明神がみえ、さらに向こうには江戸湾が見える。近くの細かなところから遠くの海まで描かれた風景画である。
尾張屋板に、坂下の先の古川(白金新堀)に四ノ橋がみえるが、ここに、相模殿橋ト云、とある。近江屋板には、四ノ橋ではなく、相模殿橋とある。相模守の屋敷があったのであろうが、それは切絵図の坂の西側にある土屋屋敷であろう。『再版江戸砂子』に、「武鑑を見るに能登守も相模守も同じ土屋なり」とある(石川)。このため、この坂の別名を相模殿坂という。同じく、橋の方も御薬園橋ともいう(岡崎)。
坂名は、標柱のように、薬園坂ともいう。さらに、なまって、(御)役人坂、役員坂とも。戦前の昭和東京地図には「楽園坂」とあるが、「薬」の誤りであろう。
この坂には、いまも昔の雰囲気をわずかに残しているようなところがある。坂下側のちょっと曲がるところ付近である。坂上から勾配のある中腹を下り、右に若干曲がると、坂下が見えてくるが、このあたりで風景がかなり変化する。さらに下ると、明治通りの喧噪が伝わってくる。ここで、明治通りを横断し四の橋をわたり、南へ歩くと、白金で三光坂下の方に至る。
坂下西側にイラン大使館がある。以前は東側にもあったようであるが、こちら側に新しくなったようである。
坂下を明治通りの歩道に出て左折すると、そこに明稱寺の門前がある。ここは尾張屋板にも見え、むかしから続くお寺であろう。こういうふうに、切絵図などに見える寺や神社や橋などが現在も同じところにあると、その連続性にあらためて気がつき、その確からしさを実感する。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第四巻」(雄山閣)
市古夏生 鈴木健一 校訂「新訂 江戸名所図会3」(ちくま学芸文庫)