東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

富士見坂

2011年07月12日 | 坂道

幽霊坂の通り 富士見坂上 富士見坂上 富士見坂上 前回の幽霊坂上を左折し、南へ進む。左の写真は三つの幽霊坂のある通りの南側を撮ったもので、右側は衆議院議員宿舎の敷地である。このあたりが江戸切絵図にあった蛙原と思われる。

やがて変則的な四差路に至るが、ここを右折し、そのまま直進すると、左手に靖国神社の裏手の塀が続き、富士見坂の坂上に至る。

坂上からまっすぐに西へ下っている。勾配は緩やかな方で、坂下右側の法政大学の門前まではかなり長い。坂上からずっと坂下まで左側は靖国神社裏の塀で、右側はビルである。石垣が高さはないが塀などとともに古めかしくよい味をだしている。坂中ほどは両側からの樹木でちょっと薄暗くなって、いかにも裏道にある坂といった好ましい雰囲気になっている。

この坂の北側は、富士見二丁目で、かつては富士見町であるが、このあたりから富士山がよく見えたため、それが坂名や町名になっている。これは、南麻布の新富士見坂青木坂(富士見坂)と同じである。

富士見坂上 富士見坂標柱 富士見坂標柱 富士見坂中腹 坂をちょっと下った左側歩道に標柱が立っており、次の説明がある。

「この坂を富士見坂といいます。 同名の坂は各地にあり、千代田区にも三か所をかぞえます。もともと富士見町という町名は富士山がよく見える台地につくられた町ということでしょう。むかしはこの坂から富士山の美しい姿が見えたことによりその名がつけられたということです。坂の下で一口坂と合流します。」

富士見坂は、都内のあちこちにあるが、千代田区には三つあるとされ、ここ以外は、諏訪坂下の青山通りで弁慶橋の方へ下る坂(永田町二丁目の衆議院議長公邸前)、神田駿河台一丁目の明治大学の南側にある南西へ下る坂、である。

尾張屋板江戸切絵図(東都番町大絵図)には、裏四番丁の通りに、富士見坂とある。面白いことに、ついている坂マークが多数の横棒ではなく、三角印△である。この坂マークは近江屋板専用と思っていたが、そうでもないようである。この絵図では他の坂にもこのマークを使っている。近江屋板、岡田屋嘉七版御江戸大絵図には、坂名も坂マークもない。

富士見坂中腹 富士見坂中腹 富士見坂下側 富士見坂下 横関は、この富士見坂と、上記の青山通りにある富士見坂と、護国寺前の先にある富士見坂から、いつも立派な富士が見えたが、いまはこれらの坂からも見ることができない、と嘆いている。

休日の午後、人通りもほとんどなく、静かなところで、ゆっくりした坂散策を楽しむことができる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)

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