前回の幽霊坂上を左折して直進し、しばらく南へ歩くと、左に東へと下る坂がある。富士見2-11と12の間である。ここが第3の幽霊坂の坂上で、山野には三番目の幽霊坂として紹介されている。
坂上からかなり急に下り、坂下側で左に曲がってすぐに緩やかになり、平坦になってからまっすぐに早稲田通り方面に延びている。となりと同じく短い坂である。坂下側で古びたコンクリート塀があったり、舗装のはじが苔むしたり、植え込みがあったりして、その名の雰囲気をちょっと醸し出しているが、こういった風景はどこにでもある。
それでも、三つの幽霊坂の中では、もっともその名に似合った坂となっている。この近辺に幽霊坂が三つもあるというのは、なぜかわからず、不思議であるが、江戸から明治にかけてそんなふうに呼んでもよいような雰囲気があったのであろう。
尾張屋板江戸切絵図(東都番町大絵図)に、富士見坂の坂上の四差路を左折したところに蛙原というのがあるが、このあたりをいったのであろうか。蛙のなく寂しいところの坂であったためについた名かもしれない。
各江戸絵図には、この坂に相当する道筋は見えないが、となりと同じく武家屋敷の間にできた狭い近道のような寂しく暗い小坂であったのかもしれない。
この坂は、石川、岡崎に紹介されているが、横関にはない。岡崎にのっている坂上からの写真には、コンクリート塀に蔦が絡まって寂しげな様子が見える。石川は、土地の人はここを幽霊坂とよんでいる、と記している。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)