東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

暗闇坂(白山)

2012年04月28日 | 坂道

暗闇坂近くの階段 暗闇坂近くの階段の上から 暗闇坂上 暗闇坂上 前回の本念寺から白山通りの歩道に出て、横断し、反対側(東)の歩道を北へ進む。暗闇坂へ行こうとしたが、一本手前を右折してしまったらしく、一枚目の写真のように急な階段に行きつく。

伊賀坂蓮華寺坂逸見坂と、白山通りの西側の坂(白山台地へ上る坂)を巡ったが、この階段坂を見上げると、その前に巡った白山坂(薬師坂)などのある本郷台地にもどったという感じである。そのむかしは崖であったのだろうと想われる急な階段を上り、ふり返って西側を撮ったのが二枚目である。さきほど通った崖下の道が見える。

階段上を直進し、次を左折し、北西にちょっと歩き、次を左折すると、暗闇坂の坂上である。三、四枚目の写真のように、ほぼまっすぐに西南へ下っている。ちょうど先ほどの崖の高低差をかなり短い距離で上下するため、勾配はかなりある方で、短い坂である。坂上から見て左端に沿って手摺りがつけられている。白山五丁目10と11との間を下る。

暗闇坂上 暗闇坂下 東都駒込辺絵図(安政四年(1857)) 御大江戸絵図(天保十四年) ここには、いつもの教育委員会の標識が立っていない。ここが暗闇坂と断定できない訳があるのかもしれない。

横関は、文京区白山五丁目(もと原町一四番地)を南に下る坂、と簡単にしか説明していない。

石川は、『新撰東京名所図会』が「町内(小石川原町)東の方、里俗鶏声ヶ窪、中山道より岐れて原町一番地と白山前町の間を南に下る坂あり」と記していることを紹介し、この坂道はむかしは酒井雅楽守と土井伊予守の屋敷の間の道であった、としている。

三枚目の尾張屋板江戸切絵図東都駒込辺絵図(安政四年(1857))の部分図を見ると、西側の酒井雅楽守の屋敷と東側の森川伊豆守の屋敷との間に、略半円状にカーブして南へ続く道筋があるが、ここがこの坂と思われる。その北側の土井大隅守邸の上の道(中山道)に、此辺ケイセイカクホ、とある。近江屋板(嘉永三年(1850))もほぼ同様である。

四枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図は、上記の江戸切絵図とほぼ上下反対となっているが、酒井邸の左斜め下に曲がった道筋があり、ここがこの坂と思われる。

明治実測地図(明治十一年(1878))を見ると、二つの江戸絵図と同様の道筋があり、いずれも坂下に寂圓寺がある。明治地図(明治四十年(1907))でも同じ道筋があるが、坂下から離れた位置に寂圓寺がある。

以上の各地図では、白山坂(薬師坂)上を左折し中山道を北西へちょっと進み左折すると、道が西へほぼまっすぐに延び、やがて突き当たり、ここを右折すると、道は西北へ延びているが、この途中にこの坂の坂上がある。

暗闇坂下 暗闇坂下 暗闇坂下 暗闇坂下の先の四差路 勾配のある坂を下り、ふり返って撮ったのが一、二枚目の写真である。坂下を進みちょっとカーブし、そのあたりでふり返って撮ったのが三枚目であるが、このあたりはまだ緩やかな勾配が続いている。四枚目は坂下の先の四差路であるが、進行方向に見事に食い違っている。

この坂は、上記のように武家屋敷と武家屋敷の間にあるためか、『御府内備考』(文政十二年(1829))には説明がないようである。

同名の坂は都内にかなりあり、樹木が生い茂り昼でも暗かった所と思われるが、本郷の東大そばの暗闇坂と同じように、いつごろからそう呼ばれたのか不明で、資料などはないようである。このため、そもそもこの坂名はどのように伝承されてきたのかよくわからず、ちょっと不思議な感がする。(上記の『新撰東京名所図会』にも「暗闇坂」とはないようである。)

上記の明治実測地図によれば、中山道から左折した道と中山道との間の一帯が鶏声ヶ窪である。現代地図を見ると、この道筋(東洋大学の南、西を通る)はいまもある。ということで、いつか機会があれば、この道経由でこの坂上に再訪してみたい。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)

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