東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

一行院坂

2012年04月29日 | 坂道

一行院坂下 一行院坂下 一行院坂上 一行院坂上 前回の暗闇坂から白山通りの歩道に出て右折し、北へ進み横断歩道を渡り、西側の歩道を北へちょっと歩き、一本目を左折すると、一行院坂の坂下である。一枚目の写真は歩道から坂上を撮ったものである。坂下でちょっと曲がってからまっすぐ緩やかに西南へ上っており、距離の短い小坂である。白山四丁目37と千石一丁目14との間を上る。

三、四枚目は坂上から坂下を撮ったもので、坂下の向こうに白山通りが見える。白山通りから白山台地に上る坂であるが、坂の高低差はなく、蓮華寺坂逸見坂に比べるとほとんどないといってよいほどである。白山通りが蓮華寺坂下の白山下のあたりからここまで少しずつ高度を上げているのであろう。

ここにはいつもの教育委員会の標識が立っていないばかりか、横関、石川にも載っていない。岡崎、山野にはあるが、詳しい説明はほとんどない。

一行院坂上 一行院門前 東都駒込辺絵図(安政四年(1857)) 御大江戸絵図(天保十四年(1843)) 一枚目の写真は坂上の先を撮ったもので、このあたりはほぼ平坦である。坂上をちょっと進んだところにある一行院の門前を撮ったのが二枚目である。坂名は、この寺に因むことがわかる。この寺は『御府内備考』(文政十二年(1829))の原町の書上にある。

三枚目の尾張屋板江戸切絵図東都駒込辺絵図(安政四年(1857))の部分図を見ると、寂圓寺の北西に一行院があり、その東北側に一橋邸があり、さらに一橋邸を取り囲むように広い酒井雅楽守の屋敷があるが、この坂に相当する道は描かれていない。門前は南西に向いていた。近江屋板(嘉永三年(1850))もほぼ同様である。

四枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図では、一橋邸の位置がちょっと違っているが、上記の江戸切絵図とほぼ同じで、この坂に相当する道はない。

明治実測地図(明治十一年(1878))も明治地図(明治四十年(1907))も二つの江戸絵図とほぼ同じで、後者にはいまの白山通りのあたりに小川が流れている。

戦前の昭和地図(昭和十六年(1941))を見ると、いまの白山通りの予定線とともに旧道があり、この東南に延びる旧道につながる道が一行院の東南側にあるが、これがこの坂道である。

以上のように、各地図を見る限りでは、この坂は比較的新しく、大正~昭和初期にできたものと考えられるが、ここもまたどんな資料にこの坂名が記されているのか不明である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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