東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

伊賀坂

2012年04月21日 | 坂道

伊賀坂下 伊賀坂下 伊賀坂下 伊賀坂下側 前回の白山坂(薬師坂)下を進み、白山通りの一本東側の裏通りを南に歩いてから白山通りの歩道に出て、指ヶ谷小入口の交差点で白山通りを横断し、そのまま小路に入って西へ進む。一枚目の写真は小路に入ってすぐに撮ったものである。

小路を進むと、二、三枚目のように、前方に指ヶ谷小の門が見えてくるが、このあたりが伊賀坂の坂下である。四枚目のように、門の前に坂の標識が立っていて、そのあたりから道がちょっと曲がりはじめる。

標識には次の説明がある。

「伊賀(いが)坂  白山2丁目28-29
 白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。
 伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という二つの説がある。
 『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。
   文京区教育委員会  平成9年3月」

伊賀坂中腹 伊賀坂中腹 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 御大江戸絵図(天保十四年) 坂下から進み、小学校の門を過ぎると、上記のように少しうねってから、一、二枚目の写真のように、左にかなり曲がってから、坂上側の四差路手前でも右にちょっと曲がっている。坂下からずっと緩やかで、勾配はさほどない。

三枚目の尾張屋板江戸切絵図小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図を見ると、白山権現の左上斜め方向に、「大岡作右エ門」という武家屋敷があるが、この左わきの道がこの坂と思われる。うねった道筋で、坂上を右に曲がってからまっすぐに蓮華寺の上まで延びている。近江屋板(嘉永三年(1850))もほぼ同じであるが、坂マーク△があり、また、坂わきの屋敷が大岡でなく、「赤井孫四郎」になっている。

四枚目の天保十四年(1843)の御江戸大絵図の部分図に、この道筋が見え、「イカサカ」とあり、坂わきは、「大ヲカ」になっている。なお、この絵図に、これまでの、胸突坂中坂浄心寺坂大円寺白山坂(薬師坂)が見える。

伊賀坂中腹 伊賀坂上側 伊賀坂上側 伊賀坂上側 坂上側は、二、三枚目の写真のように、四差路になっているが、ここをそのまま直進すると、二枚目のように、ふたたびちょっとした上りになって右に曲がっている。一、四枚目は、坂上側から坂下を撮ったものである。

以下は、『御府内備考』(文政十二年(1829))の指谷南片町の書上にある説明である。

「一坂 長さ壹(一)町余、巾壹(一)間
右当町西の方白山大道通え通路の坂にて、字伊賀坂と唱申候、
 但伊賀坂と唱候儀、古来より伊賀同心衆住居被致候に付伊賀坂と唱候由申伝候、」

上記によれば、この坂は、説明板にもあるが、伊賀同心衆の住居があったことに由来する。白山大道通への通路の坂とあるが、白山大道通とは、坂下の先の左右に延びるまっすぐな道のことであろうか。

同じく『御府内備考』の小石川之一の総説に次の説明がある。

「伊賀坂は太郎兵衛山の北の方なり、むかし真田伊賀守屋敷ここにありしかばかくいへり、其後松平備前守にたまへりといふ、いささかの坂なり、【改選江戸志】」

『御府内備考』は総説で他の書誌の記述をよく引用しているが、ここで引用の改選江戸志によれば、真田伊賀守屋敷があったことに由来し、その屋敷が松平備前守邸になっているとあるので、上記の両江戸絵図を見ると、西側一帯に広い松平邸がある。

伊賀坂上側 伊賀坂上 伊賀坂上 伊賀坂上 一、二枚目の写真の四差路を横断して曲がりながら上ると、坂上は、三枚目のようにほぼ平坦な道が北へまっすぐに延びている。北へ進むが、この途中ふり返って坂下側を撮ったのが四枚目である。

上記の改選江戸志にある太郎兵衛山とはどこだろうか。その山の北の方にこの坂があるから、坂の南の方の山である。本郷台地の一部である白山台とよばれる台地は、この坂の南側あたりが南端であるので、その辺をいったのであろうか。調べたら、尾張屋板江戸切絵図の東都小石川絵図(安政四年(1857))に「小石川戸崎町 太郎兵衛山ト云」とあった。御殿坂の東の方で、伊賀坂の西南方向である。また、「いささかの坂」とあるので、当時から勾配は緩やかであったと思われる。

石川は、どちらかというと、伊賀同心衆組屋敷説であるが、そうだとすると、駿河台には、甲賀坂があって、好一対をなすことになる。伊賀忍者とくれば、甲賀忍者である。

この坂は、坂下から進むと、中腹あたりからかなり折れ曲がり、坂上で道を横切ってからも曲がっており、しかも、細い道が続くので、勾配はさしてないが、むかしながらの坂道という雰囲気を感じさせるところである。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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