東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

大円寺・ほうろく地蔵

2012年04月18日 | 散策

大円寺門前 大円寺山門 大円寺説明板 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 前回の浄心寺坂上を直進すると、旧白山通りに出るが、ここを左折しちょっと歩くと、一枚目の写真のように道路を隔てて大円寺(大圓寺)が見える。すぐ側に材木屋があったりして、昔ながらの雰囲気が残っている一角である。

道を横断しそのまま進むと、二枚目のように、山門があり、そのわきに三枚目の説明板が立っている。これによれば、大円寺には、幕末の砲術家の高島秋帆、明治の小説家の斎藤緑雨の墓がある。

四枚目の尾張屋板江戸切絵図小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図に、現在と同じ場所に大圓寺が見えるので、昔からこの地にあったものと思われる。近江屋板にもある。天保十四年(1843)の分間懐寳御江戸絵図にも同じ位置に大エンジとある。また、文政十一年(1828)分間江戸大絵図にも同じ位置に大圓寺がある。

ほうろく地蔵 ほうろく地蔵 ほうろく地蔵説明板 上二枚目の写真にも見えるが、山門をくぐると、すぐのところに、一、二枚目の写真のほうろく(焙烙)地蔵がある。わきに立っている説明板(三枚目の写真)によれば、ほうろく地蔵は、前回の八百屋お七にちなむ地蔵で、お七を供養するために建立されたものであるという。

お七の墓はすぐ近くであるから、このあたりはお七伝説がまつわるところで、一大庶民信仰の地であることがよくわかる。

永井荷風は、『日和下駄』「第二 淫祠」で、「淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである」とし、その例として、「芝日蔭町に鯖をあげるお稲荷様があるかと思えば駒込には焙烙(ほうろく)をあげる焙烙地蔵というのがある。頭痛を祈ってそれが癒(なお)れば御礼として焙烙をお地蔵様の頭の上に載せるのである。」と書いている。

焙烙(ほうろく)とは、素焼きの平らな浅い土鍋で、これが上の写真のように、たくさん奉納されている。
(続く)

参考文献
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)

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