東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

霊南坂

2010年08月18日 | 坂道

猛暑が続き、とても街歩きに行けないので、今回は、ことし1月に訪れた霊南坂、汐見坂、江戸見坂について記事にする。これらの坂はその近くの榎坂を含め、すべて江戸の坂で、江戸切絵図に見える。

六本木一丁目駅で下車し、道源寺坂を上り、御組坂の坂上から続く通りを北側に進み、霊南坂の坂上に行く。

ホテルオークラの前の信号から少し進んだところで撮ったのが、左の写真である。まっすぐに下っている。左側に米国大使館がある。

霊南坂は『江戸名所図会』に次のように説明されている。

「溜池の上より麻布へ登る坂をいふ。慶長の頃高輪の東禅寺この地にあり。(寛永九年の江戸図によれば、東禅寺、溜池の上にあり。)かの寺の開山を霊南和尚と称す。道光を慕ひて坂の号に呼べりとなり。」

注釈に、霊南坂は嘉永頃には長崎坂と称したらしい、とある。また、東禅寺には次の注釈がある。「仏日山東禅寺。妙心寺末。慶長15年(1610)溜池に創建、寛永13年(1636)高輪へ移転。」

江戸名所図会によれば、高輪の東禅寺(柘榴坂~東禅寺の記事参照)が、この地(溜池の上)にあって、その創始者(霊南和尚)の名から霊南坂となったらしい。

これには異説があるようで、開山を嶺南といったので、嶺南坂とよんだが、後に霊南坂と改めた、との説明もある(横関英一)。

右の写真は、霊南坂の坂下から撮ったものである。冬の陽の光がまぶしい。

霊南坂を上り真っ直ぐに進み、御組坂を右折し下れば、永井荷風の住んだ偏奇館に至るので、霊南坂は荷風の「断腸亭日乗」にもよく登場する。大正11年(1922)12月7日には次の記述がある。

「十二月七日。午後散策。日暮霊南阪を登るに淡烟蒼茫として氷川の森を蔽ふ。山形ホテルにて晩餐をなし家に帰りて直に筆を執る。」

荷風は、この日、午後散歩に出かけ、霊南坂を上って帰ってきたようで、そのとき、うすいもやが氷川神社の森にかかっていた。(いま、この坂から氷川神社の森を望むことなどできない。)夕食を山形ホテルでとった。

大正15年(1926)「正月元日。・・・昼餔の後、霊南坂下より自働車を買ひ雑司ヶ谷墓地に徃きて先考の墓を拝す。墓前のろう梅今年は去年に較べて多く花をつけたり。・・・」

霊南坂下で自動車に乗り、雑司ヶ谷霊園に行った。荷風の父のお墓参りのためである。正月二日が命日であった。
(続く)

参考文献
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(三)」(角川文庫)
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
永井荷風「断腸亭日乗」(岩波書店)
川本三郎「荷風と東京 『斷腸亭日乗』私註」(都市出版)

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