私達が外出するのでアリエスは故郷の犬舎で1週間を過ごさせて頂くことになった。ペットホテルのケージ生活は嫌だしな・・・そして飛行機移動を何とか乗り切り故郷へ!と思い至ったのだった。幸いブリーダーさんは快諾してくださり、なんと空港まで迎えに来てくださるとのこと。確かに彼はもっと幼い頃ひとりでやって来たが、家に来たからにはひとり旅はさせたくない。自分も一緒に行こうと決めた。
最近の吠えは周りへの友好的呼びかけと思えるが、空港でもそうなるかもしれない。あるいは大きな恐怖、ストレスを与えるかも?ケージごと乗るペットタクシーも不安。・・・けれど、私の過保護が彼の経験と成長を邪魔している自覚は充分にある。よし、この子ならできる。行っちゃえ!一緒に新しい経験をしよう。
酔い止めを飲ませたがペットタクシーでは少し吐いた。日曜で高速もすいており、予定よりだいぶ早く羽田に到着。荷物カートに彼の入ったケージを積んでカウンターへ。彼とケージで32.5kg。手続きを終えてからも時間があるので預けるのはギリギリまでやめた。普段通りに、とイスで新聞を読みあくびをしお茶を飲む。ツアーのおばちゃん達に覗き込まれ「あらぁ白熊ちゃん?キツネさんなの??豚さんじゃないわよね」・・・アリエス無言。おじちゃんの集団には「大きいなあ。土佐犬でしょ」・・・いいえ。たくさんの人が通り話し声が沸き起こりアナウンスが続く出発ロビーで、彼は本当に落ち着いていた。そのうち眠ってしまうほどに。
彼を預け、ベルトコンベアで運ばれて見えなくなるまで見ていた。
搭乗してからは、うまく着陸してくれるように、それだけを祈っていた。ブラボー機長!まことにソフトなランディング。
福岡で受取所まで走り、無事再会できた。彼は至って静かだったが「あっ、いたのー」とぱっと笑ってくれた(ように思う)。ブリーダーさんは出口すぐのところで待機してくださっており、その姿がなんとうれしかったことか。すぐにアリエスをケージから出しリードで歩く。あの重いケージを抱えて歩いてくださった。駐車場までの道のり、3回ほど通行人に吠えた。ブリーダーさんもやはり、恐れの吠えではないとおしゃっていた。やっぱり私との関係がまだ甘いのだな。
犬舎の駐車スペースには小型犬が2頭おり、いつ伺っても元気良く迎えてくれる。今回はアリエスを連れているのでなおさら。アリエスも応じて吠える。リードを引っ張っていると、「行かせてみてくださーい」。えっ?いいんですか?・・・今まで道で対向犬に吠えると相手の飼い主さんがあわてふためいて去って行き、私はアリエスを引き止める、の繰り返し。この大きな体の子に近づけてくれる人にはお会いしたことがなかったのだ。・・・ちょっとひるんでいるうちにアリエスはサッと彼らに近づき、距離が縮まるほどに吠え声の頻度が増す。が、鼻先が合った途端にクンクンし始めあっという間に挨拶を終えた。なんだー、できるんだね、アリエス!君達、ありがとう!!かわいそうなアリエスが近しく匂いをかいだ、初めてのお友達。
犬舎は大騒ぎ。歓迎声と共にアリエスの存在を察知している。アリエス及び腰。グググと後退しスポンと首輪が抜けた。しかしそこはさすがブリーダーさん。クッと首の皮を捕まえ、ポンと中へ入れてしまったのだった。さて、みんなはすごい勢いでアリエスに殺到し一斉に何者かと判断している。逃げ出そうとあわてて滑るアリエス。でもそれも1分以内のことで、じきに群れは落ち着いてしまった。敵ではないと判断されたアリエスは、もう環境調査に移っている。はぁ~すごいね、君達みんな。
アリエスはブリーダーさんにははじめからまったく吠えず。はじめの育てのお父さんと、彼は覚えていたようだ。しっぽを振ってついて回る。そして産みの母、ブリティッシュさん(いろはさん)が彼の手の匂いを嗅ぎ、顔を寄せてくれる。なんて優しい表情!彼も甘えるようにすり寄って行く。よかったなあ、こうしてまた会うことができて、よかったなあ。
朝食抜きだったアリエスには特別にランチを出して頂いた。みんなのつまみ食いを防ぐため「個室」で頂くアリエスだったが、視線が多くてもじもじしていた。
午後になり犬舎のN0.3犬アロー君がひと泳ぎするとのこと。ワクワクだ。アリエスもくっついて行くことが許された。そして妊娠中のボス、モネさん。3頭で出かけたはずだが、あっという間にN0.2ソニック君(アリエスの若いおじいさん)が追いついて来た。???どうやって出たの?
海まですぐ。走り出す男の子ふたりにつられてアリエスも猛烈に引っ張る。「離しちゃったら?」の声にこれ幸いと離すと一目散に行ってしまった。が、アリエスだけすぐに戻ってきてこちらを振り返る。「行ってもいいよね?」と確認しているようでかわいく、いいよとカラーを外してやると駆けて行く。うんうんと満足していたが、あとで冷静に考えれば単に「これ邪魔だから取ってー」ってことだったのかも。センチメンタルでいけないな。
寄せる波にちょっと躊躇したが、憧れのお兄ちゃん達を目指してすぐにザブザブと海の中へ進んで行く。見送る私は感動で思わずヤッター!!と叫んでいた。キャッチボールを愛するふたりはブリーダーさんの投げ入れる石や木片を待ち、落下点へザブンザブン進む。アリエスにそんな余裕はなく、ただただふたりを追いかけていた。笑顔。しょっぱい笑顔。一途な目でふたりを追い、不慣れな変な走りでついていく彼を見るとなんとも言えずかわいかった。そして、ちびのアリエスを気遣い「おい、こっちだよ」とでもいうように振り返って待ったりしてくれる彼らに、驚嘆と感謝。
犬舎へ帰ると水をがぶ飲み。ずっと競っていたふたりはだいぶ海水を飲んだらしく、何度も滝のように嘔吐した。しかし3頭がジャブジャブと豪快に水を飲んでいる姿は「スポーツはいいよなあ!これでノーサイドね」みたいな男の現場の雰囲気であった。しかしその爽やかな彼らも、順に捕まってホースで塩を落とされていた。たっぷり動き、たっぷり日を浴び、たっぷり楽しんだアリエスは、首ももたげられないほどに眠く、小さい頃大好きだったスノコの上で落ちるように寝入った。群れの満ち足りた穏やかな午後。昔読んだ『野生のエルザ』のような世界だった。
アリエスについて驚いたことがもうひとつある。犬舎には子犬が3頭いたが、彼らと上手に遊ぶのだ。見たときは目を疑った。あきらかに自分より弱いものを大切に扱う手つきで、チョンチョンと誘う。子犬がゴロンと転がると鼻や手でそっと触れながら時々噛ませてやる。・・・びっくりだ。お兄ちゃんなんだねぇ、アリエス!家では子供だ子供だと言われているけど、彼の能力を私達がどれだけ知らずにいることか。「私達が」まだ無理かもそれはできないかもと過剰に守ることが、どれだけ彼の邪魔になることか。あぁ目が覚める気分だ。「私達の」不必要な恐れこそ、経験でブレイクスルーすべき壁なのだ。
彼は大丈夫。ここで楽しく過ごせるだろう。夕方になってやっと私は腰を上げた。安心しきって帰るはずなのだが、アリエスは残るのだなと思い直した途端に頭が真っ白になってしまった。気がつけばブリーダーさんのお母さまに「お母さんが泣きよるよ。大丈夫、ちゃんと見とるけんね」と慰められる始末。情けないの極致だった。犬舎の中でヒンヒンと言いながらも、ちんまりと座っているアリエス。遠ざかって振り返るとまだこちらを見ていた。1週間後、きっとお兄ちゃんになってるね。また迎えにくるからね。
アリエスのいない家の中は、恐ろしいほどひっそりしている。普段騒いでいるわけでもないのに、本当に火が消えたようだ。「アリエス今頃何してるかなぁ」などと言おうものなら、「それを言うな!」と名前を出すのも禁忌だ。みんなむやみやたらと忙しいふりをし、同じところばかり掃除をし、用事もないのに出かける。しゃべり続けないと泣きそうだ。彼の「合宿」は、彼が私達にくれるものの大きさを、彼との家族のつながりを、強烈に認識させる出来事だった。