ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

盂蘭盆に

2019-08-14 | 11~12歳

アリエスの朝ごはん。卵、野菜と果物が定番。好きなおやつも欠かせない。水はかわいいお猪口に。アリエスのべろ入らないかー


お盆ですね。うちは毎年7月です。アリエスは普段からここにいるので特に招待はしませんが、ご先祖たちを迎えるのにお供え物をして、提灯を灯す。迎え火も焚きます。

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心は常時涙をこぼしている。いつもの生活をしながら、心でずうっと泣いてる。隙あらばたいしたきっかけもなく流出する涙をこらえて、容赦なくやってくる毎日に向かっている。

そんなふうに喪失に打たれて、人知れず泣いている人もいるだろうと思う。悲しみはとても個人的で、個人差があり、癒えてゆく過程も同じではない。

昔、窺い知れない苦しさや悲しみを描く小説を好んで読んだ。現実では気づかれずに流されていくそういった事柄を、小説家が拾い上げてくれて救われるから。真実を衝撃的に伝えて読者に問いかける方式よりも、作者自身が登場人物を慈しみ、優しい目で描き切る物語がよかった。どこかの慟哭の人にもそんな作者がいて、その思いをすくい取ってくれたらいいのにと思う。私にはできないことだけど、そんな思いもこめてこれを書いています。

すでにどれだけ頑張っているかしれないから、どう考えても大丈夫だという状況でない限り、人に「頑張って」と声をかけたことはない。でも今、涙の人に、頑張れ、頑張れと心をこめて言いたい。生活そのものさえフリーズした時期から、意味もなく自分に呟いていた単語。つまんない言葉しか浮かばないものだなとつくづく笑えたけど、歯をくいしばるくらいには使える。

お墓参り、花火、盆踊り。地上の祈りが、届くべきところへ確かに届くように。










アリエス・ライン

2019-08-09 | 11~12歳
私はこれまで、「今がいちばんいい人間」だった。だけどこれからは、アリエスと一緒だった頃を決して超えることはない。

アリエスは私にとって何もかも破格で、存在の清さも、伸びやかな生命力も、生命体としての美しさも、溢れかえる混じりけない感情も、限りない優しさも、絶対に他の存在を貶めない知性も、今となっては胸を掻きむしられるようなかわいさも、爆発的なものだった。心とか考え方の限界を、ニコニコ笑いながらびゅんびゅん広げてしまうようなやつだった。

アリエスの生み出す際限のなさというものが失われてみると、「ここらへんまでかな」というような心を区切るフレームがはまっている。感情の鮮明なひらめきは、アリエスの姿とともに消滅した気がする。しかしフレームの先にも世界が広がっていたことを、忘れはしないだろう。あるいは、アリエスが私の新たな限界線というべきか。

けれど今後の人生でこれ以上の鮮烈体験は必要ではないし、あの日々より輝かしいものはないとすれば、これから起こるほとんどのことは想定範囲におさまるだろう。だからこそ私は外でなく、自分の内側を掘ったり改修したりすることに、目を向けるべきだ。そうやって大事な大事なものを失うことを繰り返しながら、人は自らを凝視しつつ、時を重ねるものだろうかな。思い出を身いっぱいに詰め込んで、やがてそれごと土に還る。

アリエスを思うことは過去を思い出すことではあるけど、一応向いているのは前だ。あきらめることにも、あきらめないことにも、大きなエネルギーがいる。いろいろ考えても別の道には出ない。会いたいと言えるようになっただけ、7ヶ月という月日が経ったのだ。もういいから帰れ、アリエス。

無期限MIP

2019-08-04 | 11~12歳
Very Important PersonではなくMost Important Person。我が家で、アリエスはずっとね。だから、すべてのことについてフリーパス。

たとえば買い物。
重複するのをまた買っちゃった時。これいらなくない?という物。「アリエスにどうかなと思って・・・」とか言うと、はいOK。父ちゃんはよく私に駅ナカで見かけたスイーツなんかを贈賄するけど、イマイチなことも。すかさずアリ子母が、「アリに食べさせたいんだねえ」・・・うむ・・・文句は言うまい。

という具合に、なにかの時にはアリエスの名前がモノを言う。神様じゃん。アリエス教か、アリエス狂か。ピタリと押さえられると微動だにできないツボのようでもあり。

誰もが、どんなことをしていても

2019-08-02 | 11~12歳
2011年から使っていたデスクトップが壊れた。メーカーのサポートセンターに問い合わせたところ、どうやら復活は難しいらしい。その直前に3Gのガラケーの電源が怪しくなっていたタイミングで、4Gかスマホにしないと通信できなくなっちゃうよというお知らせが見ていたように届いて、しょうこりもなく4G+iPadに替えたところだった。そんな感じでネット環境は不思議と維持されたのだが、この日記も画面が違ってまだ慣れない。それにしても、「アリエスがいるうちは働いてましたけど、役目は終わりましたからね」とでも言うように、相次いで動かなくなるなんて。うちは電子機器までも、アリエスのために稼動してたな。逆に言えば闘病で構っていられない時には黙って働いてくれたわけで、ありがたいことだった。

あいかわらず胃が痛くなるような音でチェロを弾いているが、音楽の取り返しのつかなさは、生き物の日々にも似ている。一度出した音は取り消せず、これだ!と思った音はすぐに去って再現が難しい。あわてて取り繕おうとすると、ますます事態は悪くなる。しかし、それぞれの音は取り消せないが、曲全体として挽回できることもある。そんなふうにしてアリエスとの日々も思い思い、ギコギコやっている。母ちゃんは仕事を狩人から木こりに変えたのかなと、アリエスは思っているかもな。

何を見ても何をしても、アリエスとの共通点や相違点を引き比べて考える。アリエスにとってはと考える。アリエスは、私の基準で物差しなのだった。