ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

Out of sight, ・・・?

2019-05-26 | 11~12歳
家の中にも外にも、今は植物がいっぱいだ。見えないほど小さくゆっくりな動きしかないのに、いつのまにか成長したり蕾をもったりする生き物。みずみずしい生命への渇望のようなもの、アリエスの体現していた力への憧れのせいだろう。しかし犬と暮らしたいとは思わない。アリエスと暮らしたいだけだ。

去るものは日々に疎し。そのことわざが当たらないこともあると、それこそ日々に確かめている。姿の見えないアリエスはますます心に近しく、私の毎日はこれまで通りアリエスの毎日だ。そんな心のアリエスは最近、私にひとつのことを語る。「人生は短い。母ちゃん今を生きろ」と。

アリエスと一緒に生活できない現状にいつまでたっても慣れることはできないが、平凡な日常にガツンと活力を注入できるほど鮮やかに躍動していたあの生命体ですら、10年あまりで世を去ったのだという事実に、今もって驚いてもいる。家族も時を過ごし、自分自身も時を過ごし、そしてやがていなくなるのは自明だが、それは想像よりずっと早く流れきたるのではないかという感触。アリエスを惜しみ、さらにそのうえ将来に、無為に過ごした後悔を抱くのではないかという怖れ。きっと人生は、自分の甘い見積もりより短いものだ。アリエスの喪失にぼんやりしているうちに、幸いにもまだ手に残っているものまで失くすのではないか。

許された時間を精一杯駆け抜けたアリエスに再び会う権利も、認められなくなるのではないだろうか。そもそもたいしたことを成していない自分がアリエスと過ごせたのは天からのご褒美ではなく、これから自分のできうる何かを成しなさいという前払いのようなものではなかったのか、アリエスは叱咤激励の使者だったのか。

変な思いつきだと笑いたいが、意外に笑えない。「行けるところまで行き、死ぬべきところで死ね」か。そんな思いを持ちながらも気絶してるみたいな自分を、今度こそ嗤うよな。









2019-05-23 | 11~12歳
アリエス、初めて父ちゃんの夢に登場したらしいね。
何頭か小さな子たちと一緒にいて、守るような凛々しい顔をしていたんだってね。
あれから決して涙を見せなかった父ちゃんが、泣いていたよ。
母ちゃんを安心させたくて来たんじゃないかってさ。父ちゃんは、やっと泣けたのだろうかね。
そこで、よくやっているのだね。父ちゃんも母ちゃんも、あなたがこれまで幸せで、いま幸せで、これからもずっと幸せであるように、ただそれだけが願いだ。

父ちゃんは立派に頑張って、毎日ちゃんと自分の使命を果たしている。あなたに恥じない人生をこれからも送るのだと、決めているのではないかな。
母ちゃんもそうありたいけど、もう平気かなと思っても、湧くように涙が出る。それは悲しみというのでもないんだよね。アリエスがかわいくなつかしく、清々しかったあなたの人生が切なく、説明できないような気持ちだよ。こんなグズグズしてみっともないが、別に立ち上がって歩かなくても、泣きながら這って進んでもいいのだから、なんとかやっていく。大丈夫、大丈夫だよ。


甘えん坊は卒業したのかい?

自宅療養の便利グッズ

2019-05-21 | 11~12歳


私たちが実際に使って、よかったなーと思うものを書いてみます。ほかのサイトにはきっと、もっと妙案もあるのだとは思いますが。




手前のノズル付きのは、意識障害のある間、微妙に量を調整しながら口を湿らせるのによかったです。飲水できるようになってからは、傷の洗浄に使いました。

後ろはドレッシングボトル。汚れた毛皮をシャンプーする時など。水のいらないシャンプーを使ったのだけれど、どうしてもお湯ですすいでやりたくて。いい感じにドボドボ出るので、ちょうど使えました。




ドライシャンプーと、毛先に丸ピンのついたブラシ。普段使っていた動物毛のブラシは療養中には刺激が強い気がして、これでそっと梳いていました。




傷は「完全にドライではないがグチャグチャでもない」という程度の湿潤環境を維持しますが、こうしたドレッシング製材が通販で買えます。一部は医療機関で実際に使用されているものまで売っていました。しかし乾かし気味にするのか、上皮の増殖を促すのかなど微妙に用途が分かれているので、獣医師に確認するといいと思います。




除圧クッションもいろいろ使ってみました。・・・が、アリエスはどれも気に入らず。とうとう自分で作りましたけど、それも好きになってはもらませんでした。




こちらのいちばん上にある白い抱き枕、これにはあごを乗せて気持ちよさそうにしていました。アリエスが使った後、父ちゃんと取り合いになりましたよ・・・




ブルーのも除圧用。アリエスの細い足にも、体の下に敷くにも厚すぎた。右の花柄は繰り返し使える、小豆入りのホットアイマスクです。これをチンして足首にカバーで巻き、いわゆる「三首」を温める一貫として使っていました。ほんわかしてよかった(と思う)。




キャンプ用のダウン毛布。軽くて温かくて、これは最高。(持ち込みの許されている病状なら)入院中のヒトにもとてもいいです(病院の毛布って、弱っている人には重すぎるといつも思う)。多少手足が動かせれば、暑いと感じたらある程度は自分でどかすこともできます。アリエスには無用でしたが、ボタンと紐がついていて、肩掛けや腰巻にしてヒトの座位でも便利に使えます。写真にはないのですが、災害用のアルミ毛布もすごく役に立ちました。あれも重さがなく保温力抜群です。アリエスには夜にかけていて、身動きするとガサガサと大きな音がするので、隣で寝ても即覚醒できました。夜間の寝返りとおしっこの確認はアリエスのリズムを観察した結果60-90分ごとにおこなっていましたが、それ以外にはこのガサガサ音も、アリエスの発言だと思って対処しました。身動きした理由は何か?とそのつどチェックして考えることで、小さな変化を見逃しにくく次に役立てることができました。


ほかに、移乗シートというのがあります。医療機関でも使われていますが、これを体の下に敷きこんでそのまま引っ張ると、摩擦を解消してくれてスルスルと移動できます。体重の重い大型犬では使う場面も多いかもしれません。

定番のハニカムマットは、持ち手の付いているやつを2枚重ねて使いました。それと、病初期の動揺性歩行の時に通販でペット用滑らないカーペットを取り寄せて敷き詰めましたが効果は限定的で、足が真っ直ぐ着地しない場合にはよく滑りました。関節が危なくて、回復の兆しが出て立ち上がる練習をする頃にはヨガマットを5枚敷き詰めました。厚みが選べてまったく滑らず、水などをこぼしても洗って乾かせば大丈夫でした。

書いたのを見ると、字数から掛け布団に思い入れが強かったことが分かります。一度低体温に陥りそうになったので、特に注意を払ったからでしょうか。いろいろ考えて看病したつもりだけど、ほんの少しでもアリエスの苦痛がマシになったのならと、今でも祈るような気持ちです。この気持ちが、今頑張っているイヌとヒトに届いてほしいです。










庭に訪ねておいでね

2019-05-08 | 11~12歳
窓からの風でレースのカーテンがふわりと膨らむと、アリエスはすかさずやってきて、カーテンの下に入り鼻を上に向けて匂いを楽しんだ。「スカートめくり」などと不謹慎な呼び方をして、私たちはその姿を楽しんだ。カーテンの舞うそよ風に、カタリと物が落ちる音に、まとわりついて離れない蝶々に、アリエスが訪ねてきたと思って目を凝らし耳を澄ます。

アリエスのために作り直した庭は、主を失くしたのにちゃんと芽吹き、花咲き、力強く季節をとらえている。私はただ淡々と世話をする。アリエスがそっと遊びに来るかもしれないから。アリエスの足元に邪魔にならないよう草を払い、日射しから避難できる木漏れ日の枝になるよう剪定する。白い花を植える。アリエスの白い花だよ。

アリエスのためにと思ってすることが、ひいては植物の助けになり、めっきり少なくなった緑を近隣にも楽しんでもらうことになり、わずかな面積でも地球を冷まし、小さな生き物の世界を作る。アリエスを入り口にして、私はいろんなことに関与していることになる。

仕事でもアリエスは、片時も私の心を離れない。アリエスを見るように人を見、アリエスに話しかけるように話し、アリエスに訊ねるように話を聴くようにしていると、相手が心を開いてくれるのがわかり、こんなにも違うのものかと驚く。

アリエスの腹時計に合わせた時間割は、今でも私たちの生活を規則正しく保つ。アリエスに出したごはんを1食遅れでありがたく戴く私は、どんなに嘆き悲しんでもやせ細ることはない。

アリエスは私の基盤であり循環する生命力であり、暮らしのいたるところで顔を出しては、きらめくようなエピソードを思い出させる。まだ涙は出るが、涙は、傷口を塞ぐかさぶたのようなものかもしれない。アリエスはきっと、涙でない何かで、それを埋めるようにと願っているだろうと思う。

私にとっては、やっぱりアリエスが季節をめぐらせ、自分の命のエンジンなのだと実感するのです。これからアリエスの姿のない初めての夏を迎え、秋を迎え、アリエスを失った冬もくる。大丈夫かな。大丈夫だと言おう。アリエスには絶対そう言おう。

家で療養すること

2019-05-01 | 11~12歳
生きものの常として、病気とどう向き合うかということは、大きな課題です。多くの場合、医療機関で診察や治療を受ける時以外は、自宅で医療者の直接の助けなく病気とつきあっていかねばなりません。それは日々、具体的な迷いと悩みの連続だと思います。私は職務としてそれなりの長さの経験をしてきましたが、いざ我が子の闘病となったら、経験などは吹っ飛んで、思い惑うことの多い毎日でした。

アリエスの食欲が落ちて、試行錯誤してもなかなかうまくいかなかった時、獣医であるカイロの先生にも相談しました。様々な手を打ち新しい方法を試み、それでも食べられなかったら、という不安はぬぐえません。すると先生は、「ヒトと同じですよ。点ではなく、面で支えることを考えた方がいい」と言ってくれました。まるで敷き布団の宣伝ですが、心に響く言葉でした。

食事以外にも、頑張っているアリエスの環境を整えることができる。あれも、これも。もっとできる。凝り固まっていた頭にまた血がめぐり出すように、いろいろなアイデアが浮かぶようになりました。考えてみれば、仕事でしていることはまさにそうです。ひとつのことだけでなく、全体を見直しては重要事項を見つけて対処。細かなことも忘れず手筈を整える。リスクに対して監視の糸を張る。また“引き”に戻る。必要なのは、なにも医療行為だけではありません。白衣を着ていなくても、場所が医療機関でなくても、それぞれの立場からの観点で、するべきことだ。私はいろいろな側面から、もっとアリエスにしてやれることを探す意識を、持てるようになりました。

今こうしている間も、忙しい日常の中で家族の闘病に力を尽くしている方もおられることでしょう。長く安定している場合はあてはまらないのかもしれませんが、未経験の対応や先行きの不安で、立ちすくんでしまうこともあるのではないかと思います。そんな時、少し目先を変えて俯瞰できるようなきっかけがあるといいなと、こうした経験から思うのです。持って回った言い方になってしまいましたが、つまり、そういう方々へエールを送りたくて書きました。心を少しでも柔らかくして、大切な子にたくさんの支点を作ってあげられますように。