家の中にも外にも、今は植物がいっぱいだ。見えないほど小さくゆっくりな動きしかないのに、いつのまにか成長したり蕾をもったりする生き物。みずみずしい生命への渇望のようなもの、アリエスの体現していた力への憧れのせいだろう。しかし犬と暮らしたいとは思わない。アリエスと暮らしたいだけだ。
去るものは日々に疎し。そのことわざが当たらないこともあると、それこそ日々に確かめている。姿の見えないアリエスはますます心に近しく、私の毎日はこれまで通りアリエスの毎日だ。そんな心のアリエスは最近、私にひとつのことを語る。「人生は短い。母ちゃん今を生きろ」と。
アリエスと一緒に生活できない現状にいつまでたっても慣れることはできないが、平凡な日常にガツンと活力を注入できるほど鮮やかに躍動していたあの生命体ですら、10年あまりで世を去ったのだという事実に、今もって驚いてもいる。家族も時を過ごし、自分自身も時を過ごし、そしてやがていなくなるのは自明だが、それは想像よりずっと早く流れきたるのではないかという感触。アリエスを惜しみ、さらにそのうえ将来に、無為に過ごした後悔を抱くのではないかという怖れ。きっと人生は、自分の甘い見積もりより短いものだ。アリエスの喪失にぼんやりしているうちに、幸いにもまだ手に残っているものまで失くすのではないか。
許された時間を精一杯駆け抜けたアリエスに再び会う権利も、認められなくなるのではないだろうか。そもそもたいしたことを成していない自分がアリエスと過ごせたのは天からのご褒美ではなく、これから自分のできうる何かを成しなさいという前払いのようなものではなかったのか、アリエスは叱咤激励の使者だったのか。
変な思いつきだと笑いたいが、意外に笑えない。「行けるところまで行き、死ぬべきところで死ね」か。そんな思いを持ちながらも気絶してるみたいな自分を、今度こそ嗤うよな。
去るものは日々に疎し。そのことわざが当たらないこともあると、それこそ日々に確かめている。姿の見えないアリエスはますます心に近しく、私の毎日はこれまで通りアリエスの毎日だ。そんな心のアリエスは最近、私にひとつのことを語る。「人生は短い。母ちゃん今を生きろ」と。
アリエスと一緒に生活できない現状にいつまでたっても慣れることはできないが、平凡な日常にガツンと活力を注入できるほど鮮やかに躍動していたあの生命体ですら、10年あまりで世を去ったのだという事実に、今もって驚いてもいる。家族も時を過ごし、自分自身も時を過ごし、そしてやがていなくなるのは自明だが、それは想像よりずっと早く流れきたるのではないかという感触。アリエスを惜しみ、さらにそのうえ将来に、無為に過ごした後悔を抱くのではないかという怖れ。きっと人生は、自分の甘い見積もりより短いものだ。アリエスの喪失にぼんやりしているうちに、幸いにもまだ手に残っているものまで失くすのではないか。
許された時間を精一杯駆け抜けたアリエスに再び会う権利も、認められなくなるのではないだろうか。そもそもたいしたことを成していない自分がアリエスと過ごせたのは天からのご褒美ではなく、これから自分のできうる何かを成しなさいという前払いのようなものではなかったのか、アリエスは叱咤激励の使者だったのか。
変な思いつきだと笑いたいが、意外に笑えない。「行けるところまで行き、死ぬべきところで死ね」か。そんな思いを持ちながらも気絶してるみたいな自分を、今度こそ嗤うよな。