ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

生まれ変わりますか その1

2019-03-31 | 11~12歳
前回だいぶ心の底にあったことを書いたおかげで、なんだか突っかえ棒が外れてしまって、輪をかけて腑抜けた毎日を過ごしました。アリエスの不在が現実でないようで浮ついていたのが、今度はその事実が浸透してきて改めて足元がぬかるんでいくようです。

自己憐憫に浸らないように気をつけなければなりませんが、悲しみから逃げずにいたいと思っています。自分ではないような自分になっても、アリエスにまつわる部分だけは、アリエスの母ちゃんでいたいのです。なんかうまく言えないけど。

死別とは、関係性と立場を失うことだなと思います。それから、意味も。これをする意味、ここにいる意味。アリエスのためにしていたこと、アリエスと一緒にしていたこと、アリエスを思いながらしていたこと、そのすべての時間をも、失くしたのです。

よく、亡くなった家族がそばにいるのを感じるという人がいますね。より近くに存在を感じ、これからもずっと一緒だと感じることができるという人。ものすごくうらやましいです。そんな感性を持ちたかった。それから、スピリチュアルな人。アニマルコミュニケーターなる人々。交信できるという能力。喉から手が出る・・・

昔、父を亡くして間もなく、1度だけ不思議な体験をしたことがあります。
雪の降りやんだ日曜の朝、広い研究室でひとりでせっせと実験をしていました。当然真剣にやってたわけですが、突然右目から涙が茫々と流れました。びっくりしていると、今後は左目から。そして雲が切れて、まぶしい日光が部屋いっぱいに広がりました。あ、お父さん見にきたな。とその時思いました。病床でも常々、私の研究を見たがっていた父でした。

その体験が私の想像の限界ですが、そんなようなことを意図してできる人がいるなんて。依頼して愛犬と会話してもらったりすることもできるらしい。・・・でも、やっぱり誰かにお願いするのじゃなくて、じかに話してほしいんだよな。鈍感すぎてダメなら、体鍛えて感覚を磨いて心の美しい人になって、母ちゃんアリエスの声を聴くから。そう、それがほんとうにできるなら。






全然だめで

2019-03-24 | 11~12歳
アリエスの姿を見ることができなくなって、3か月。1日離れるのも嫌で仕方なかったのに、3か月耐えた。ただ放心して過ごし、それでも、直後よりはましになった。その頃はまるでリハビリのように、日常生活のあたりまえのことすらひとつひとつ書き出して、やるべきことを思い出さねばならなかった。文字通りカレンダーの日にちを塗りつぶし、カレンダーを塗ることが1日の仕事のようだった。アリエスと散歩に行っていた時間にはいてもたってもいられず、公園や河原を走った。アリエスと楽しんだ北風の月夜。アリエスと待った朝焼け。どうしようもなくて走り回った。

心に穴があく、という。寒々と風が通り抜けるようなのだろうと想像していたけど、穴は足元にあり、寒いどころか落っこちるやつだった。いつもアリエスと一緒に寝ていて、心地よい寝息やあくび、場所を移動して寝なおす音とときどき寝言、暗闇にすら満足が満ちていたので、それのない静寂が恐ろしく、テレビをつけたまま寝るようになった。できるだけ寝ないようにもした。眠って目が覚めた時、アリエスがいないことを思い出すからだ。シャンプーで目をつぶるのさえ怖かった。

まぶしい朝日に泣き、いつものテレビ番組に泣き、窓のそよ風に泣き、寂しいどころでなく、普段通りに進行する何もかもが恐ろしかった。悲しみはほとんど身体的痛みで、こんな時ほんとうに胸が痛くなるのだと初めて知る。内側から刺すような痛みが出口を探して出てくるのが涙。血でないのが不思議な気がした。

11年の間、勤務先から走って帰らなかった日は一度もなかった。駅まで、ホーム、駅から。走れるところは走った。ただただ、1秒でも早く、アリエスに会うために。帰宅してもアリエスが迎えてはくれない今も、追い立てられるような焦燥感があって、急いで家にたどり着こうとしている。早く、早く。帰っても、最愛の子はいないのに。

家族と、毎日アリエスの笑い話をしている。楽しかったかわいかったおもしろかった。もう笑って語れるのに、ひとりではどうしても泣けて、果てしなさに立ち尽くしてしまう。職場ではふつうの社会人として過ごせていると思うけど、アリエスの母ちゃんをできなくなった私は、これまでの私ではない。いま初めて出会う人はこういう人だと思うだろうが、決定的な欠落を補えない不本意な私だ。本当の私には、アリエスがいるんです。これは違うんですと、叫びたくなる。

アリエスに会いたいと言えない。それだと、会ったらいなくなってしまいそうで。別れの時にも、どうしてもありがとうと言えなかった。その言葉を言ったら、完結してしまいそうで。何も終わらず何も始まらず、ただフリーズしている。雑踏の中で立ち止まってしまったみたいに、自分の外側だけ時間がどんどん流れていく。

アリエスは、こういう日々を過ごす私に、がっかりするだろうか。しかたがないと許してくれるだろうか。





おしっこを快適に

2019-03-20 | 11~12歳
意識を回復したアリエスにとり、いちばん大変だったろうなと思うのがおしっこです。きれい好きで、犬舎にいた生後1か月くらいの頃ですら、独自の排泄場所が決まっていました。わが家にやってきて慣れると間もなく、彼なりのゾーニングが明確になりました。食べるところ、身づくろいするところ(滑らない場所!)、吐くところ、トイレ、待つところ、ゆっくりおやつを楽しむところ、寝るところ。

療養中のアリエスは、排泄したくなると落ち着かない様子になりモゾモゾし出す。少しでも寝床から離れてしようとしていたのでしょう、敷いていたトイレシートから外れてしまうこともしばしばでした。こちらも慣れてくると、動く範囲を想定して準備できるようになります。でもさらに回復して寝返りを打てるようになると、予測も微妙に外れたりしました。尿量も多いので、毛皮が広範囲に濡れてしまうことが増えました。そして、立ち上がれはしないけど上半身を中心に動ける範囲が広がってからは、アリエスのとまどいと苦労は相当大きかったのではないかなと思います。

快適に療養することこそ最重要だと、イヌとしての尊厳を損なうのではと心配していたおむつを、積極的に利用してみることに方針転換しました。初めてやってみると、動いていった先で排泄してもびしょ濡れにならないことで、アリエスも安心したようでした。今思うと、アリエスがとまどったり気遣ったりすることなく、にっこり笑って寝ていられる生活を考えることこそ、彼の人生の尊厳を守ることでした。

はじめはよくわからないので、いろいろ試してみました。なんとお試し用で数枚だけ入っているのがあるので便利でした。使いやすいものが見つかって、定番になりました。↓↓



大人用の一番大きなサイズです。後ろにしっぽの出る穴を切り取り、ビーズが出ないようにガムテープでとめます。このへんはよくネットで説明を見かけますね。かわいいテープを買ってみましたが、ちゃんと貼りつくのはやっぱりガムテープでした。

また、サイズの大きい子はきついことが多いので、動物病院の看護師さんは普通に履かせずに巻きつける形で使っているとのことでした。男の子はおちんちんのところがカバーできればよいので、そこの周囲から漏れ出ないように固定を工夫するようです。↓↓


イマイチわかりづらいけど・・・ふつうはこう使いますが、


股を通さずに、お腹に巻くように

アリエスの場合は履くほうが安心した顔をするもので、ややパッツリでしたが履いていました。いや、とてつもなくかわいかったです。でも前側の股上が浅いので、中に尿取りパッドを併用しました。↓↓



私はこれが大のお気に入りでした。カーブが絶妙で、おむつの時だけでなく在宅時にはトイレシートの上に乗せて使っていました。半分に切ってこれもガムテープでビーズの流出をおさえて使うと、だいたいこれがおしっこ1回分うまく受け止めてくれました。

どうしても仕事が長引きそうな時はこちら。↓↓



でもカーブのついてるほうと比べるとおしっこが全体に広がってしまうのだと思うのですが、アリエスはちょっと焦ったような表情をすることがありました。感覚って大事だなと思った一件。

世の中には長期療養のプロみたいな方がたくさんいて、職人技を公開してくれています。的確で流れるような手技というものは、病床にあると特に気分のよいものだろうと思います。シーツとか肌に接触するものの小さなシワなども、弱っている時ほど敏感に感じるものです。11年間を通じて一度たりともわがままな要求をしなかったアリエスが、少しは無茶を言ってくれたらよかったのにとしみじみ思います。おむつの仕方もお互いにメキメキ上達して、これから何年でもできるぞもっと快適にしてあげられるぞと、母ちゃんは張り切っていたのだよ。






アリエスの居場所

2019-03-19 | 11~12歳
アリエスは家の中どこでも好きなところにいましたが、とくに好んだ場所には物を置かずにいつも空けてあります。今はどこかに常駐する場所も必要なのでいろいろ考えて、リビングの南東の隅に決めました。かつて幼いアリエスが柔らかいチューブ型のハウスで寝たところです。私はすぐ横のソファーで2か月間寝起きして、夜も含めてトレトレーニングをしたものでした。もっとも2日目にして失敗しない状態だったので、おしっこにつきあうだけでしたけど。

部屋の中を観察していると、そこは終日直射日光にさらされず、しかし2か所の窓に挟まれて明るく風通しがいい。皆の姿が一望でき、私たちからもほぼ常に正面になります。ここだね、アリエス。

アリエスのニューハウス、気合を入れて考えました。普通の言い方をすれば、手元供養の際の仏壇、ということですね。アンティークの棚でも置いて、そこにいてもらおうか。雰囲気はいいけど新しいほうが気分がいいかな。安全面はどうしようか。手を合わせるというより、普通に一緒に暮らす感覚にしたいし・・・。

最終的には、通販でキッチン用の電子レンジ棚を購入しました。スライド式の炊飯器台がついているあれです。ぎゅっとしたくなったらスライドで登場してもらう。屋根ありだからホコリもつきにくく、万が一物が落ちてきても安心。下の引き出しと棚には、アリエスゆかりの物品を入れておこう。掃除もしやすいし、装飾的な家具より、カスタマイズで居心地よく作るほうがいいな。


力作?です

薄いベニヤ合板を指定してカットしてもらい、選びに選んだタイルを貼って上に置きました。アリエス本人は底に免震ゴムマットを貼り、滑りにくい木製トレーに乗せて冷たくないように。トレーの下も薄い滑り止めマットです。地震の時スライドが飛び出さないよう、幼児の事故防止用のストッパーをつけました。簡単なロックですが解除しないと前に出ないようになっています。アリエスの前後にはカーテンをつけて、必要なときは閉めるようにしました。プライバシーね!・・・アリエスは夜に窓際で寝る時、目のところだけうまくカーテンで隠して眠っていました。旅慣れたおじさんのアイマスクみたいに。それで、カーテンは必需品だねということになったのです。まっすぐミシンをかけるだけなのに、意外に四苦八苦しながら作りました。父ちゃんが話しかけると曲がるとか怒られたりして、アリ男はとんだとばっちりでした。


入居してもらいました。見えないけど高さぴったり

それから寂しくないように、白い犬のぬいぐるみを作りました。近距離観察禁止ですが、100円靴下出身です。ソックモンキーという、靴下で作るサルのぬいぐるみを強引にアレンジしました。目も鼻も、あり合わせのボタンやビーズでかなり無理やりの造作ですが、母ちゃんが乗り移っているので、頼りがいはロデム並みです。チビアリの面倒もみるえらいヤツ。ちゃんと名前を付けたのに父ちゃんは勝手に「バビロニア」などと呼んでいるので、若干ピリピリしています。じゃ俺はポセイドン。って、あんた川で溺れてたじゃん。

アリエスにぴったりの優しいミルクランプを置いて、小さな花と緑を絶やさないようにしています。この前に一人用ソファを置いて、正対してアリエスとゆっくりできる場所になりました。アリエスとしゃべったり、ここで本を読んだり。アリエスも快適に過ごしてくれるとうれしいけど。






ふるさとへ その2

2019-03-18 | 11~12歳

帰りの車窓から


ブリーダーさん一家は私の心を慰めようと、できるだけ長く犬たちと触れ合う時間をくれました。毛の手触り、見つめてくる優しげな目、アリエスもそうしていたよというしぐさ。なつかしさがあふれましたが、姿がホワイトシェパードであるだけに、アリエスではないんだという淋しさも募りました。

最近オオカミ犬の動画をよく見るという父ちゃん。ジャーマンシェパードじゃない理由。ずばりホワイトシェパードを見ない理由。似てそうではっきり違う生き物ばかりを追う理由。アリエスがいないことの再認識を避け、アリエスの姿をネットの世界で探すのではないか。
私も先日、昔から挑戦しようと思っていた体験乗馬に行きました。犬も馬も、人と意思疎通をし会話をして過ごすことができます。だけど、犬にではなく、馬に会いに行く理由。アリエスに似ていない生き物に会う理由。

私たちは結局、意識でも無意識でも、アリエスを探しているのだと思います。もういないのだという事実を微妙に見ないようにしながら、当たらずとも遠からずみたいなチャンスを待っている。

そんな自分がホワイトシェパードに会うのはどうなのだろうと思いつつ出かけましたが、アリエスはいなかった、というあたりまえな確認に帰着したのでした。アリエスの不在を、分かっているのにあらためて思い知る。しかしそれを押しても行動できたことは、アリエスの旅立ちの直後に作った、アリエスのためにしなければならないことのリストにひとつ、○をつけられることになりました。ひとつのけじめに安堵しました。

泊まっていくよう勧めてもらったのですが、翌日お寺詣りをするつもりで、その晩は予定どおり博多に宿泊しました。

11年前の見学の帰り、博多駅近くのお寺で「お母さん犬たちが無事に出産できますように、元気な子たちが生まれますように」と参拝したのです。アリエスと出会えた感謝を、ここにも伝えねばなりません。念入りにお礼をして、それからちゃっかりお願いもしてきました。参拝で個人的お願いはいけないとは言いますけど。アリエスが嫌だと言わなかったら、また私たちのところへ送り出してくださいねと。お詣りできて、気にかかっていたことをまたひとつ、済ませることができました。

手荷物検査でひっかかると面倒なので、今回は飛行機はやめて新幹線の旅でした。
アリエスなしの遠出はどうしてものとき以外したことがなかったため、初めておつかいに出る子供のような心細さを味わいました。スマホの優位性を災害時しか認めない強気なアナログ人間で、紙の地図だけで海外も平気だったのに、時刻や道のりを何度確認しても心もとなくて、自分はどうしちゃったんだと驚きました。時間や空間の不安というよりもむしろ、アリエスのこと---離れる淋しさや、ごはんを気にかけたり---などからの自由が、不安定感であったのかなと思います。普段からもあることだけど、遠くへ来た非日常でも同じでした。これがアリエスへの依存や、子離れできない親の証拠でなければいいなと、しばし自省しました。でも母ちゃんはあなたの母ちゃんだったから、意味があったのにね。母ちゃんどうしたらいいだろうね・・・