ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

アリごはんもろもろ その1

2013-09-21 | 5~6歳


ハンバーグの日は、ミートボールの日。期待感あふれるまなざしの白いヤツが



得意の寄り目攻撃!


 エクセルの表を実際に使ってみました。使う可能性のある食材をあらかじめ入力した原本を作り、コピペで足していくだけの簡単なものですが、栄養素の割合や過不足の表示など、自分で見て比較しやすいように少しずつ改良しています。まだレシピを作り計画的に考えて観察する、というところまではいかず、今日食べたものを調べる後追いに過ぎませんが、それでも、そこから分かることや疑問点は多くあるのでした。

 ムツゴロウ氏が著書の中で述べていたことを、よく思い出します。「知識は感性の窓」(だったかな?)。この人は学ぶということを正しく学んだのだろうなぁ。おもしろい、知りたい、知っていると実際に見て気づくことがあり、さらによく観察する。感性を磨き、自分を磨け、ってことでしょうか。自分の始めたこの「食事改革」も、アリエスの健康にプラスに作用する輪の中にはめ込んでいきたいものです。

 実はそういう姿勢は、すごく本質的に大事なことと思います。人生の万事とたぶん一緒で。世界には様々な考え方があり、情報があり、非常に綿密な科学実験でさえもデータが相違することがあり、要素を見落とすことがあり、カリスマがいて権威がいて、流行があって、常識がある。しかし真実というものがその中にあるとは限らない。分からないことだらけの海を、泳いでいくようなもの。自分のしたことと結果を、自分でちゃんと考えること。自分で対応すること。それこそが大事で、別名は責任。

 何を基準にするかで正しさというものは変わり、この栄養問題についてもやはり同様。NRC、AAFCO、各国の獣医学会や検討委員会、そして個人など、それぞれの批判や見解があるようです。各成分の推奨値にもおのずと違いが表れ、はたと困ることがあります。

 ドッグフードについて調べた時も繰り返し主張する獣医さんがいましたが、「何をどれだけ食べたらどうなるのか」という問いに対して最も重要で誠実な答えは、給与試験によるものだという点を実感。消化の問題があり吸収の問題があり、それらは化学分析の手法では皆目分からないからですね。旧式なようだけれど、ヒトの科学は、壮大な1個の生命体の総合的な活動について、ほとんど知らない。「何が起こってそうなるのかは分からねど、こうなっている」というインプットとアウトプットの観察がせいぜいのところではないでしょうか。自分の家族に食事を提供する、という行為は、そのままひとつの給与試験にほかなりません。

 このたびも、「いろいろ調べたけどよく分からない」というのが正直な話です。これまでうまくいっていたところを出発点に、「イヌの食事は」よりもさらに小さな「アリエスのごはんは」というアリエス個人の試験結果、ということになりますね。

 



6年間というもの

2013-09-20 | 5~6歳

主役が何であろうと、ついつい愛息にピントを合わせてしまうアホ親・・・


頂いた花かご。ヤツは真剣な顔で調査します


 とてつもなく私事ですが、このたび退職。尊敬していたボスと共に職場を去るということにしたわけで、先のプランを練り上げて再開を狙おうかなと思っています。

 アリエス日記でこの話題、なぜかというと。この職場に勤め始めたのがちょうどアリエスを迎えるのに新潟から舞い戻ってきた時。というより一気にそういう生活へと、大きく舵を切った時だったのでした。同じ年月の中で、生まれ落ちた小さなアリエスが立派に成犬になったように、私は成長したんだろうか。それが省みられてならないのです。

 アリエスが居たからこそ知る事柄というものが、たくさんあった。守るべきものを抱えるとはどういうことか。育むとはどういうことか。生まれて生きて死んでいくとはどういうことか。どんなに多くの人が、陰に日なたに自分をたすけてくれているか。それらは確かに、「犬と暮らす」という偏ったカテゴリーだけれども、仕事でも家庭でも人間関係でも、じつは自分のまわりの普遍的なテーマであったりしたわけです。「同じじゃん」という発見であったり、「あのやり方で解決できる」という経験則であったり、応用が利くというかね。

 アリエスの存在自体、私にとってこの上なくラッキーでハッピーなことだけれど、ただ真っ直ぐに生きようとする生命体が引き連れてきたこうした関連事項が、自分にとって人生の糧そのものだとは、とうてい想像できなかったことでした。こう改めて書くといかにも大げさなんだけど、なんか。

 思えばこの職場にお世話になっていた6年は、アリエスに早く会いたくて走って帰っていた年月でした。別れはぐっときて大変だったけど、「母ちゃんの仕事 = 狩り」だと思っているかもしれない?アリエスと、また新たな日々の始まりということで・・・

 

台風が過ぎて

2013-09-19 | 5~6歳
 各地で被害の大きかった台風18号でした。大変な状況になられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 下の写真は、まだ我が家に台風が接近する前のもの。この数時間後から暴風雨となりました。できるだけ家の中に居ることにしましょう・・・

 アリエスはいつも大きな川の河原を走りまわる散歩なので、増水の気配には十分に注意しています。自分の地域に変化がなくても、上流で大量の降雨があったりダムが放水されたりしたら、時間をおいて影響を受けるからです。河原歴も長くなり、やっとそのあたりの時間的感覚が分かってきました。そこに住む動物たちも普段と違う行動をするようなので、嵐のあとの散歩ではアリエスも興奮気味になること多し。

 ようやく今日から、普通の雰囲気に戻りつつある様子。アリエスを見る限り。

 自然は時折、人間の自信や価値観を一瞬で粉砕する力を見せるけれども、できるだけその摂理を読み取り、寄り添う努力がいるのだなと思う。



嵐の前の静けさ・・・二重の虹。数秒で雲の中に隠れてしまいました


荒天の時によく見られる、異様な朝焼け。台風準備にかかろう


音響担当アリィ

2013-09-14 | 5~6歳
 くだらない長文記事注意・・・

 私は2時間サスペンスが大好き。正直、年季入りすぎてテレビ欄を見ただけで犯人は当てられるし、設定も大差ないし、まじめに見ないことだって多いんだが、点いてるだけで満足。

 働き始めた頃、若者として当然のことながらめちゃくちゃ忙しかった。職場が見える場所に借りていた部屋も月に半分くらいしか帰らなかったし、食費以外は基本費用しか使わず。少し年月が経って毎日帰宅するようにはなったけど、帰りついた瞬間に呼び返されることもよくあった。ポケベルまたは携帯はトイレ・風呂・枕元、いつもできるだけ耳近くに。翌朝まで起きずに眠っちゃったら、呼ばれたのに反応しなかったのではないかと焦りまくるような日々だった。

 そんな中、テレビ番組を連続して見られるのはこのうえなく平和な証明であり、まして2時間番組ともなればなお素晴らしい。それで、その代表としてのイメージは、崖っぷちばかり出てくるサスペンス番組だったわけだ。そんなわけでオバサンいやオジサンになった今でも、内容のいかんに関わらず反射的に選局する習い。

 先日も、見もしないのにサスペンスが点いていた。アリエスは同じ部屋で寝ているんだが、人間でもよくある浅い、これから深くなる睡眠のタイミング。うっすらと周囲の状況に反応しそうな感じで、顔ピク、手足ピクしながら段々盛り上がってきた。・・・・・・

 犯人は親友同士のふたり。いぶし銀の敏腕刑事がふたりを別々の取調室に引き離して追い詰める。

 「動機は15年前の事件ですね」・・・こらえる犯人1。
 「犯人2が自供したんですよ」・・・驚愕する犯人1。耐えきれず絶叫「違います、私なんです!」 
  アリエス 「ヒャンヒャンヒャンヒャンッ!」しっぽバタタン!
  犯人1 「犯人2は私をかばっているんです!本当は、本当は・・・」
  アリエス絶妙のおなら 「シュウゥゥゥ・・・」ぐえくさっ肝心のセリフを見失う
  刑事優しく 「じゃあ、すべて認めるんだね?」
  犯人1 「はい・・・」

  別の取調室。
  「犯人1が全部話してくれましたよ」余裕の表情のいぶし銀。
  「えっ」びっくりする犯人2。アリエスもややびっくり気味の「ヒャンッ」
 すぐに号泣にかわり「いいえ、もとはと言えば15年前のあの日・・・」
  アリエス「カサカサカサカサカサ」→横に寝たまま手足だけ走る音
  犯人2の涙の告白はクライマックスの見せ場。
  「犯人1はいつも私を見守ってくれたんです!親友なんです!!」
  アリエス 「ウーッウヒャーン、プシュゥゥゥゥゥゥ」またもやベストタイミングでおなら
  もはやその後の展開分からず

 涙にくれる登場人物たちを見ながら大爆笑なんて・・・大事な心の友、サスペンスの時間なのに。悠々と、アリエスの気持ちいい睡眠は続く。