ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

2020-01-28 | 12〜13歳
昔は雨に濡れるのが嫌いで、周囲が気にせず歩くような小雨でも、速攻で傘をさしていたものだった。ところがアリエスがきてみると、そうもいかなくなった。自分だけ傘の下というのも嫌だったし、突然走り出したりする場面に対応できやしない。しかたなく。そう、雨は私にとっていいものではなかった。

けれども濡れそぼちながら共に歩いていると、生きものにとって雨を受けるとはどういうことか、雨の作る景色はどんなものか、ホワイトノイズの静かな音の驚き、そんなものが直截に実感された。なにより、濡れた毛のアリエスの造作がとてもかわいく、時々顔を見合わせては笑いがこみ上げて、雨降りに喜びがあると知る。

アリエスはこんなふうにひとつひとつ、私の世界を変えたのだ。雨は、そのことを思い出させる。傘がなくても余裕な自分。アリエス、今日もあなたの雨が降る。

最初で最後

2020-01-12 | 12〜13歳

赤っぽい花がこんなに心浮き立つものだと教えたシクラメン。ひかえめなフリルも素直に花開く様もいいなと思う

私は庭と室内で植物たちとつきあっているが、育て方を学んだり彼らの美しさすごさを知ったりするうち、いろいろ集めたくなってくる。場所にも家人の忍耐にも限界があるわけで、ネットの画像を睨みながら、ああでもないこうでもないと頭が煮詰まる。コレクター気質を持ち合わせているわけではないけど、それでもいくつかは手元に集まる。この冬は、シクラメンだったな。物欲、恐るべし。

けれどそれを嘘のように消し去る、決定的なやつに出会うことがある。私はそういうのを〝とどめのひと鉢〟と呼んでいるが、別に大人気で入手困難とか限定品とかでないし、賞を取ったかどうかもあまり関係ない。何もかもが全部それでよく、まるでピースがぴたりとはまるような気がするひと鉢。

そう思えばアリエスは、私にとってまさしくとどめの存在ということだな。最初にして最後、アリエスですべて充足し完結。今また改めて出会うことができるなら、絶対にアリエス。あいつ、すごいんだな。



守ること

2020-01-06 | 12〜13歳
生まれ変わって、ふたたび姿を見せてほしい。それは雲をつかむような願いだが、抜き難く切実な感情でもある。この地上の誰ひとり死後に起こることの真実を語れないとなると、いろんな可能性を考えておかねばならない。

『また生を受けることができるとして、では別の外見だったら。前と違う生物だったら。』

アリエスの庭を手入れする時、親しげに寄ってくる蝶は。目を細めてくつろいでいるかのように思えてしまう、リビング窓がお気に入りのカマキリは。アリエスの白耳のようなシクラメンは。道で行き違う、ヨチヨチ歩きの子犬は。この優しい日差しは。遠慮がちに触れるような風は。あなたは、アリエスではないですか?

アリエスはどこにもいなくて、どこにでもいる。
私の心の見るところ、聞くところ、思い浮かべるところ、どこにでも。

それが死ぬということだとしたら、どこかの宗教か何かで言いそうなことだが、万象にアリエスは溶け込んだのだろうか。ヒトにも、ほかの生きとし生けるものにも。

ならば、大切な存在に手が届かなくなった私は、アリエスを大切に思うように人を思い、労わらねばならないのではないか。変な方向のこじつけかと我に返って、だけど、そうであるべき使命感とか思い込みなのではない。アリエスとの出会いに、アリエスの人生に、アリエスのくれたものすべてに、感謝しかあり得ず、それをアリエスに見えるように表現して生きたいと思うのだ。それがこれからもアリエスを守ること、墓標を守ることだと、最近思う。

記憶

2020-01-01 | 12〜13歳
1年まではと作っていたアリエスのごはん。結局まだ、3食出して一緒に食べている。今日はお雑煮とおせち料理だ。

病を得る前は毎食だいたい2ー3回に分け、肉→魚とチーズ→果物とヨーグルト、そして別腹でおやつ。ごはんの時の動線も決まっていた。まずは冷たい水で喉を潤して食事の準備を待ち、1皿食べるごとにおしっこに出かける。戻ると新しくしてある水を飲む。食べる、おしっこ、水、を違えることなく繰り返し、最終回の水飲みまで完了すると満腹。

今はアリエス専用のお盆に小皿を並べて定食風にいっぺんに出すけれど、水は食前・食中・食後に入れ直す。なんだか、アリエスの習慣がそうであったことを忘れたくなくて。頭の中の思い出の記憶はもちろん大事だが、なんの気なくする行動や動きの癖なんかも、アリエスに関することが自分の身体から失われないようにしたいと思う。気持ちの上では、神事と共に建造の技も引き継ぎ更新していく伊勢神宮の遷宮みたいな感覚でしょうか。母ちゃん自分の中で伝統伝えちゃうよ。

過去に嫌というほど繰り返した動作も、しなくなれば消えてしまう。やってみれば思い出すかもしれないが、できなくなっていく過程が確実に存在することが寂しい。たまにリードを握ってみたりして、アリエスと手をつないで散歩に行った時の具合を確かめたりしている。

そういうのは極めて個人的な細かい思い出だけれど、そういった事柄こそアリエスの輪郭を鮮やかにする。ぼんやりと胸に残っているアリエスにまつわる残像も、同じ重さで大切ではあるけど。…結局、全部かよ。