ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

マイボーム腺炎

2014-01-22 | 6~7歳
 ある日右まぶたにプチリとしたおできを発見。結局マイボーム腺炎の診断で、薬を点眼してだいぶ良くなりました。眼瞼に3種ある分泌腺のうちのひとつの感染症で、一般には「ものもらい」と総称されてますね。


 たぶん発症3日目くらい

 5日目

 8日目

 15日目


 指でまぶたを伸ばして撮影すると結構大きくてびっくりですが、普通に接していると上からの視線では気づきにくかった。日当たりのいい部屋でアリエスの顔に太陽の光が当たって、顔を近づけていて見つけました。

 ちょっとかわいい格好で寝てたりするとすぐ写真を撮ったりします。発見日より4-5日前のを調べると、まだできていない様子。2日前のをそのつもりで眺めると、小さいのができているのが分かりました。

 この件で3つのことを学びました。↓↓

  ① 1日1回は、太陽光のもとであちこち見てみること。

  ② 無意識でも撮影は大事。できるだけ各部位を写真に収めておくこと。

  ③ 点眼の方法。本で見たのと違いますが、やりやすい独自の感じで・・・

 勉強になりました~

“見える化”アリィ

2014-01-19 | 6~7歳
 今季ももちろん雪山へは出かける予定だけど、住んでいるところでも少しは降ってくれるのを心待ちにしています。庭も散歩道もいつもと違う表情を見せ、アリエスはワクワク顔。雪の地面に足を降ろすと、もう大はしゃぎです。もれなく私も一緒にね~!後ろ姿だけなら、“オッサン”コンビとは見えないんじゃないでしょうか。

 雪のマジックはそれだけではありません。河原でいつもアリエスがくんくん嗅いでは追ってゆく小動物の、足跡が残っているのです。普段は見えないアリエスの世界を垣間見るような気がして、すごく心が躍ります。ヤツはほかにも、私達が気づくことのできない様々な事実というものを、たくさん知っているのでしょうね。

 この降り積もった雪と同じく、アリエスの存在があるから見えるようになるものが、数々あります。いちばん大きかったのは、やっぱり家族とのつながりでしょうか。近すぎて普段あまりよく考えもしないし、我儘言いっぱなし。けれどアリエスを見ていると・・・

 ヤツはひとりひとりと、それぞれにユニークな関係性を結んでゆきました。そのやり方はこうです。常にオープンハートで機嫌よく過ごしながら、穏やかに相手を観察しています。観察して彼なりに理解したら、それをまるごと受け入れてしまいます。そして無理も遠慮もなしで、絶妙な1線の上にポンと立つのです。アリエスと一緒ならずっと笑っていられる。今日、明日、と前向きに過ごしてゆけます。アリエスの示す「受容」は単なる受け身ではなく、一緒に生きてゆく仲間としての、限りない肯定なのだなと感じます。その白い手は、私達の背中をそっと押す。マネキネコならぬ、オシイヌです。

 そんなヤツを通して間接的にほかの家族の思いを知ることもあり、言葉の裏の真実に気づくこともある。アリエスは、客観性を与える存在でもあるのです。毎日際限なく言葉をしゃべり、あちこちキョロキョロしているくせに、母ちゃん何にも分かってないよなぁ。・・・鈍感力だけで勝負か?



「ごはん行くよ」と呼びにきてくれる優しき息子。まるで時計です

選ぶ、ということ その2

2014-01-16 | 6~7歳
 昨日のつづき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その言葉は、誇張抜きで私の頭をぶん殴りました。あの、正気に戻るってやつでしょうか。その日からずっと、この言葉と言ってくれた人を、大切にしています。本当のことというのは口に出すのが大変で、私を信じアリエスを大事に思ってくれていないと、とても言えないと思いますからね。この人は一生、師匠であり友人です。

 育てることやしつけることは、それをおこなう側の正しさ、何を基準に正当であるかという点がまず問題になり、その点にこそ悩み揺れ続けるものかもしれません。最大振幅の2点に立てば、「独善的に個性を抑制」「単なる甘やかし」と厳しく意見が対立してしまいます。

 自分が良いと思うものが真に「良い」のか、これも問題です。選ぶように導く先が誤っていたら目もあてられない、と思ってしまいます。けれども、互いのつながりは自分たちにしか分からず、ほかのどこを調べても見つかるものではないし、まして他人に分かるはずもない。答えは絶対に、自分とアリエスの中にあるのだと思い至りました。やり方やテクニックはいくらでもあるでしょうが、腹の据え方は自分が決めるのです。
 
 それと、急ぎさえしなければ、行き先の変更もやり直しもできるのではないかなとも近頃思います。アリエスも私も成長し、互いを信じるとはどういうことか、日々の中で具体的に学んできました。自分自身のダークサイド(?)やエゴイズムをはっきりと映し出す鏡のようなアリエス、それを一身に引き受けてくれたアリエス、言葉で言えないほどありがたくかわいく思うのです。そして、自分の正しさを疑わない危うさよりも、「これでいいのかな?」と迷い模索する客観性は、私にとって重要なものです。これでアリエスが幸せかな?といつも考えること、これが私の義務であり、かつ幸せです。

 トレーナーの教える方法論の前に、私には心しておくべき根本的なことが多くあり、それはすべてアリエスが身を持って教えてくれました。つないだ手を大切にして、いつも自分とアリエスに問いながら、ひとつずつチョイスしていきたいと思います。



夏に、師匠と。暑くて眠くてちょい無愛想になってるヤツ・・・

選ぶ、ということ その1

2014-01-15 | 6~7歳
 「選択の科学」を研究している人もいるほど、実は重要な科学的テーマです。そんな高尚な話ではないんだけど、私もずーっと思っていたことがあります。「大人数の女性アイドルグループが、どうしてこんなに大人気なのか?」ということです。

 男性グループは?という別の要素は抜きにして、単純にこう思っていました。「選ぶ」ってことがポイントじゃないかな?と。膨大すぎると思考停止に追い込まれそうだけど、ある程度の数までなら、その中から自分の好きなものを選ぶ、という行為は脳にとっては大きな魅力的刺激ではないでしょうか。さらにグループにしておけば「的」が大きく、嗜好に幅があっても多くを取りまとめることができます。アイドル市場については日本の芸能史的特色やなんかも影響しているでしょうが、この商法は、ヒトのすごく本質的なところを突いているのではないかと思ってしまうのです。

 毎日の日常生活に目を転じても、人生は選択の連続ともいわれるほど、常に私達は物事を選び続けています。究極、目の前のどちらを選ぶかの積み重ねが「歴史」とも言えるかもしれませんね。アリエスを含め動物たちも、きっと同じようにして生きているのだと思います。

 アリエスと暮らし始めた頃、私は彼にヒトの決まりについて必死で教えました。うまく伝わったこともある一方、現在でも変えることのできない事柄もあります。いま思うに、自分はアリエスが選ぶべきものを教えようとしていました。「良い」「悪い」というやつです。自分の狭い想定の範囲に行動させること。それを満身創痍になって教えました。アリエスにとっても私にとっても、これは今でも笑える昔話ではなくて、それこそ涙なしでは思い出すことができないほど頑張りました。

 ゆっくりと一緒に過ごしてゆく中で、「教える」とは、選ぶものを指し示すことではなくて、より良い選択にたどりつく過程を共に作ってゆくことかなと思うようになりました。ひとつの事柄を経験する時、大きく構えてアリエス自身に選ばせること、なにを選ぶのかを冷静に見極めること。まずこのファーストステップを、私はいつもすっ飛ばしていました。アリエスの身体能力に対応することだけで既に焦り、とにかく反射神経だけでその場をしのごうとしていましたね。屋外でアリエスと私をつなぐたったひとつの手であるリードは、引っ張るための手であったのです。

 「悪い医者は余計な薬を出す(ウイルスの風邪に抗生物質、などですね)」とかテレビで吊し上げていますけど、改善しない場合もう一度診せてくれるとは限らない患者さんに「何もしない」という選択は、かなりの自信と勇気がいるものだと思います。「ここに釘を1本打つか打たないか」と迷った時、大工さんは普通、「打っておこう」と思うのではないでしょうか。あるいは子供の教育の場面でも、「より安心と思われる将来」めがけて、なんとしても子のブレを予防しようとするお父さんお母さんも、たくさんおられることでしょう。

 私のアリエスに対するしつけ、教育、というものは、上の例ではイマイチかもしれませんが、そんな感じでした。余計な先回りをしたり間違った手出しをしたり、つないだ手を穏やかに緩めて見ている余裕が持てなかったのです。有難いことにそんな姿を見て、「それアリエスのためじゃなく自分のためにやってんじゃないの」と、はっきり言ってくれる人がいました。「いい子って一体何だよ。この子は、このまんまでまるっきりいい子なんじゃないか」と。



「スカートめくり」中。独自のパトロールの一環です
 

 

 

いろいろな方法で

2014-01-14 | 6~7歳

「ゴックラク~♪」 きれいにして、ゴキゲンなおじさんです

 日常生活の中で、アリエスの五感は鋭敏にフル活動しているはず。だから特に教えなくたって、食事はもちろんお手入れやお出かけなど自分が関与する様々なことのほか、私達の生活リズムや次に何をするのかという内容まで、彼は全部把握している。動きもタイミングも使うものも、みんな想定できているはずです。

 それでも、最近は動作の前に声をかけたり、使う道具を見せたり、ゆっくり匂いを確認させてから先へ進むようにしています。五感のどこかが鈍くなった時、複数の情報から納得のいく判断をすることができたら、小さな安心感を蓄積することになるのではないかと思って、楽しみながら地道に備えています。

 たとえば歯みがきなら、歯ブラシを見せて匂いクンクン。はっきり「歯みがき」と言ってからブラシをちょんちょんと口にあてます。もう一度「歯みがきだよ~」と声をかけながらみがきます。・・・そうだなぁ。夕食後少し休んでから「アリィ~」と呼ばれる時は歯みがきだと、彼はよく知ってるんですけどね。

 顔を拭く時、もし目が見えにくかったら、急に顔の前に出てくるタオルは怖いものだと思います。それで歯みがきと同じように各感覚の情報をひとつずつ確認してから、顔に触れるように。顔は特に鋭敏なので、パーツの名前も教えました。まずは「オカオ」で、「オハナ」「オクチ」。恥ずかしながら目は「メンメ」、耳は「ミンミ」です。順番にゆっくり伝えつつ、アリエスに心の準備をする時間を作るようにしています。名前を覚えておけば、もし私でない人に代わって手順が違っても、アリエスの側で対処がしやすくもなるかもしれないしね。交代者が細かい手順を覚えねばならない負担も、軽減できるのではないかな。手早く力技を繰り出していた昔に比べて、母ちゃん優しくなったでしょ?・・・え、気持ち悪い??

 小さい頃から、アリエスに対してヒト社会と家の決まりを伝え教えようとし、彼はそれを受け入れてきました。うまく伝えられたと思うこともあれば、ちゃんと教えてやれなかったこともある。この過程では、いま思い出すだけでも胸が鋭く痛むほど厳しくしたことも、間違っていたこともあります。しかし、いついかなる時もアリエスは私を信じ、塵ひとつない目で見上げてきました。

 そして逆に教えられたことの方が、よほど膨大です。その中で、年月を経て私の心に強いインパクトを与えている事柄があります。それは他者をそのままで受け入れることと、控えめな気遣い。アリエスは私達を変えようなどとしたことは一度もなく、どんな日でもどんな私でも受け入れてくれる。理由はいらないのです。いつでもまさに適切な距離を保ちながら、そばにいてくれます。

 私はその姿をいつも見てきましたから、助けが必要になった時には、アリエスの優しいセオリーを実践したいと思っています。