ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

♪ 故郷 ♪

2019-07-28 | 11~12歳
自分の貧しい表現力ではいかんともしがたいほどのアリエスへの思いがあって、音楽の門を叩くことにした。人の声の音域に近いと言われ、昔からどうも気になる音色であったチェロを習うことにしたのです。音楽は?とふと思わせてくれたのも、チェロであったから。体験レッスンを経て、貸出の楽器が家にきた。続けられるようなら、自分のを購入することになる。

今は本当に便利で、ネットでたくさんの人が色々なことを教えてくれる。ひとつの事柄でも方法論は様々。どうも理解できなかった点が、ちょっとした言い方ややり方で腑に落ちることもある。実際に先生に教わるのはどこがダメか、あるいはそれでOKかということと、次の到達点だ。その間はネットや本の力を借りながら試行錯誤し、自分なりに課題をクリアしたつもりで先生の前に行き、それについて評価を受ける。

先生のくれた冊子に♪故郷♪があった。“う~さ~ぎ~追~いし”の曲。左手で弦を押さえない開放弦という、超初歩練習中なので伴奏パートしか弾けないわけだけど、メロディを歌いながらやっている。昔から知ってる何ということもない曲なのに、アリエスと行っていた河原が思い浮かんで、初めて弾いた時は涙が滂沱と流れて止まらなかった。そうか、毎日遊んだあの場所は、私たちのふるさとなんだね。イタチ追いし、キジも追いし、あの川。夢のめぐる、忘れ得ぬ空。

アリエスに聴いてもらえるような音を出したいなどと思っていたのに自分が先に泣けるとは、この日記と同じくまたしてもアホな落ち。だけど作詞や作曲者の果てしない思いに思いを馳せ、自分の共感をこめて音を出すという音楽の在り方の一部を、教わった気がした。うまくできるのとは別問題だけど・・・チェロを弾き始めてから、アリ子母は歯がとれたし。

父ちゃんに聴かせたら2-3秒で「あっもういいよ、わかったわかった」と何がわかったのか知らないが、慌てた様子でぐるぐる歩き回っていた。やがて気を取り直したらしく戻ってきて、「なんかみんなシワ増えてない・・・?」などとぬいぐるみ達をいたわっていた。「いつかアリエスに曲を」なんて言ってて、練習の雑音を毎度聴かされてるアリエスって・・・



時の流れに身をまか・・・

2019-07-27 | 11~12歳

あ~あっと


うん?母ちゃん見てたのーー
これは夏のお昼寝のあと、ごはんにいく時の写真だね
アリエスのパパラッチとしてカメラ携行の母ちゃんだよ


気温や湿度にあまりヤキモキしない夏。毛皮を着てるヒトがいた去年までは、ほかで節約しますからすみません、と思いながら電力を使わせてもらっていた。冷凍庫には保冷剤いっぱいで、それを入れて使う自作のクールネックを5-6枚洗い替えしながら使っていた。取り寄せていた冷凍馬肉も保管のスペースに困るほどだった。食材も保冷剤も減り、冷凍庫がやけに広く感じる。そんなふうに1年前と比べることはできるだけ避けているけれども、日常の中でひょっと転がり出てくるので油断がならないよ。

アリエスの「ハウス」は1か月ごとくらいにしつらえを変える。梅雨の終わりに伴い、紫陽花のカーテンは透けるレースに取りかえた。アリエスの「帽子」も洗濯。晴れた日には前後のカーテンも洗って、アリエスの子分たちーー作ったぬいぐるみーーも入浴&日向ぼっこさせられる。数日に一度は全部イチから磨き上げるし、間違いなく家でもっとも清浄な空間。

アリエスと暮らせた「本来の自分」とは何か違う、違和感や取り返しのつかなさを水面下9割に持ちながらも、水上の1割はこうして季節を迎えてはやり過ごし、生活を続けている。強制的なこうした1割がなければどうなるかと、想像もできない。時間というものは酷薄だが、その冷たさに引きずってもらう時もある。時の流れを受け入れて感謝するまでに至るには、まだまだかかりそうだな。




理由

2019-07-24 | 11~12歳
私は小さい頃から「どして坊や」のように、なぜそのように?とかどうしてそこに?とか、理由や意味を知りたがってしまい、親にも相当うるさがられた。そして出来事の必然性とか最終的におさまるべきであった調和とか、そういうものに落ち着きたがる考え方の癖も抜けない。予定調和の事なかれ主義ということかもしれないが、そうならなかった場合にも、理由の検索をせずにはいられない。それでもちろん、アリエスの生きた意味、私たちと家族の絆を結んだ意味は、残りの人生懸けて確かめ続けることになるだろう。

アリエスがうちの子になった時、おぼつかなかった自分の存在が、やっと地面に結び付けられたような気持ちになったものだった。過ぎる時間の中を完全に客観的に見ているような感覚だったのが、現実を自分の手の中に握ったような思いだった。そしてアリエスがここを去って、現実感もまた、ふたたび薄れた。

けれども何もなかったあの頃とは違い、今度は天とつながっているはずだ。どこにいようとアリエスの幸せを命の限り願い続けているけれども、その願いの届くべき先があり、話しかける声の目指す先があり、このうえなく大切だという思いがまっしぐらに飛んでいく先がある。そこにアリエスがいる。それは自分の生きる理由であり意味であり、これからも振り仰いで進む目的地、アリエスは私の光。

いつかここに姿を取り戻すまでは、天の世界以外のアリエスの居場所は私たちの心にあって、そこで生きてゆくのだから、できるだけ居心地よくしてやりたいとも思う。つまるところ、自分たちの人生を充分に生きていくことしかないのだろう。


もっと言葉を

2019-07-10 | 11~12歳
私はたぶん、けっこうな言語偏重人間だ。物心つく前から、漢字を書いた習字の紙を壁に貼っておけば機嫌がよく、それを指さしてはアーアーと大興奮であったと聞いている。

その生来の習性というか志向は、アリエスと言葉をかわしたことで格段に強化されたと思う。話して理解したい。見て、読んで、聴いて、書いて、ゼスチャーをして、尋ねたい。

アリエスが旅立って早い段階で乗馬をやろうと思ったのはそのためだ。空き時間を埋める趣味を探していたわけではない。アリエスに似た姿は精神的にきついが、アリエスの教えた言葉はきっと通じるのだということを試したかった。でも、馬との距離感がわからず途方に暮れた。

一緒に暮らして良い時も大変な時も共に過ごすのではなく、いわば料金を支払って乗せてもらう関係。多少の世話はするがいつもではなく、馬の体調がすぐれなければ別の馬があてがわれるに違いない。馬にとっては仕事の当番かも。互いの都合が「良い時」を選択するつきあいになるだろう。ヒトの公共の場では頻繁にあることなのだろうが、相手が別種の動物だと、ヒト社会に合わせてもらう後ろめたさのようなものがあって思い入れすぎなのかもしれない。

それに、災害が起こったらどうするか。家族でもないのに連れ去るわけにもいかない。そんなふうにこまごま逡巡し、割り切って馬と向き合うことができなかった。(自分がそうだというだけで、乗馬という方法でのパートナーシップを否定するつもりはまったくなし。本当にできたらうらやましいと思っている大前提・・・。)

言葉、言葉、アリエスの言葉。アリエスに伝える言葉。馬と「話す」ことを断念して、そんな空疎な「言葉」が頭をぐるぐる回る。これ以上どんな言葉があるというのか。もはや言葉にならない思いだけが、日々重くなるようだった。そんな時、簡単な旋律をひくチェロの音を聴いた。ふと、音楽はどうだろうと思った。音楽なら、新しい言葉にできるのではないか?

小さい頃、ピアノを習おうとしたが興味が湧かなくて速攻でやめた。きっと、その頃は音楽なんて必要なかった。言葉の話と同じように、音楽で伝えたいことも知りたいことも、胸の中になかったのだ。今は切実な、すがる思いで、天のアリエスに伝えたい。へたくそな雑音がいつか音色にできたなら、アリエスを癒せるような音を聴かせたいし、その音で神様に祈りたい。

なんとかして、新たな言葉を手に入れたいと思っている今日この頃。




雨の日に

2019-07-07 | 11~12歳
アリエスと一緒なら、雨に濡れるのも平気だった。
アリエスと一緒なら、真っ暗闇も昼間と同じだった。
アリエスと一緒なら、風にも彩りが見えた。
アリエスと一緒なら、どんな空間も満たされていた。
アリエスと一緒なら、どこにいても何でもよかった。

無敵だった母ちゃんは、いま世界一弱いやつになった。

そうは見えないなら、よかった。