ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

時はゆく

2019-12-29 | 12〜13歳


残すところ数枚の、今年の日めくりカレンダー。
月の満ち欠けとか星座、天体イベント、衛星の打ち上げやら宇宙にちなんだ記念日やらが書かれていて、とても気に入っている。でも来年分を買うのはなんだか気遅れがしてやめてしまった。やおら年明けに在庫を探すことになるのではとも思うけど。

1年はこの厚さ。それを目にするのが、表現しがたい気分になるのだ。しかたなく、あるいは意図的に淡々と、毎日破り取ってきた。どんな日々だったか。本当に、言葉にならないことがあるものだなと思う。アリエスと暮らして、月日は輪を成してめぐるものという感覚がつよくなった。一方でヒトはこうして、区切りを作っては更新する工夫をしたのだなとも思う。

アリエスの写真なしの年賀状作りは身が入らず、新年のあいさつだというのにおざなりに選んでしまった。この行事も自分としては潮時かな。それでも、アリエス宅のお正月飾りは楽しかったな。お手玉みたいなひょうきんな獅子舞や小さな笑顔のダルマたち、編んで作った花の下げ飾り、ねずみの張り子つき稲穂飾り。バックのカーテンは真っ赤に白ねずみの風呂敷へと交換。にぎにぎしくてよし。アリエスしばらくは大宴会かな。

ふたご座流星群の夜 その2

2019-12-25 | 12〜13歳


アリエスの誕生日の晩は、学会帰りで羽田から戻ったアリ男をピックアップして、いつもの河原へ出かけた。明るい月が輝いていたので流れ星はお預けだったが、私たちは、見えない空にも星の断片がまばゆく燃えながら飛び交うのを知っている。見えなくても、「ある」と知っていることは大切だ。流星群に限らず。

父ちゃんはそんなわけでだいぶ無理やりな参加だったけど、一緒に行ってもらってよかった。自分ひとりで行ったなら、おそらくただただ泣いて、ついてきてくれているはずのアリエスは当惑したことだろう。父ちゃんと、アリエスが散歩を満喫する姿について語ることができたおかげで、心あたたかく過ごせた。

アリ男はよく、子供時代からアリエスを育てることに関われなかったと言ってすまながったけれども(悩み満載だった私にこっぴどく八つ当たりもされていたし)、闘病に際しては自分の命を引き換えるかのようにしてアリエスを守った。やっと少しは父ちゃんらしいことができたかなと寂しげにつぶやくのは涙が出るものだったが、アリエスは父ちゃんを心から愛し、父ちゃんという単語に顔をクイクイと傾けて、心躍らせていたのを私は知っている。父ちゃん本人は知らないそんな姿も、たしかにあったのだ。あったということは大事だ。流星群と同じで。

ふたご座流星群の夜 その1

2019-12-14 | 11~12歳
今日はアリエスの誕生日。
12年前、子犬が生まれるのを首を最長にして待っていた。私は新潟にいたが、寒い夜中にむくりと起きて、アリエスが生まれたことをなぜか確信した。

アリエスの姿のない今年の誕生日を、じつはとても恐れていた。12歳おめでとうと言いたくても言えない事実を考えるのがきつかったし、来年もその次も、数え続けるのは無理だと思った。ケーキもろうそくも花も買わず、なんとかして普段どおりに過ごそうとしている。

しかしひとつだけ、特別なことを。
いつも散歩に行っていた河原へ、流れ星を見に行くことだ。誕生日の頃に極大を迎えるふたご座流星群を、毎年アリエスとともに見た。あんたはあれに乗って地球に来たのかねえなどと話しつつ、飽かず眺めたものだ。たまにすごいのが流れて、黄緑色の閃光をアリエスが追ったりした。

いまは流星のすぐそばを、自由自在に駆けることができる。そうだよね、アリエス。


アリエスのまわりは花と緑がいっぱい



アリエスの月

2019-12-12 | 11~12歳


12月は、アリエスがこの世にやって来て、そして去った月だ。昨年は闘病中ながらも、アリエスの11歳を感謝して祝ったのだった。いま複雑な何とも言えない気持ちで、静かすぎる時間を過ごしている。アリエスはひと言も日本語を発しなかったのに、あの姿がないだけで、この静けさに怯えるような思いがする。そして暖冬だというのにとても寒い。

この時期は毎年、もちろん全部アリエスの写真で、年賀状を作りカレンダーを作りしていた。冬山へ出かけるのに備えて、早めにタイヤも交換していたものだ。けれどつい昨日まで、どれも忘れてしまっていた。ただ、アリエスの棚に飾る雪だるまやお正月飾りはせっせと編んだり縫ったりしたので、そこは完璧だ。背を丸めて慣れない作業をする私を見て家人は涙が出ると言うが、かわいそうに見えるのかもな。生きているうちにしてやれなかったことの数々がこんなことで叶うとは思わないが、どんな形であっても一緒に時を行くのだと、決意と祈りをこめて、そしてそれを喜んでいるつもりだ。妙なできあがりを見て皆が笑うのもまたいいんだ。

これからも、12月は特別な、祈りの月ということになるだろう。