ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

1日を過ごす

2019-06-26 | 11~12歳
1日のはじまる朝。1日の終わる夜。間はなんとかなるのだけど、光と希望のあふれるような時刻と、静かに落ち着いていく薄暮の時刻は、アリエスの不在が身にしみる。いつになったら涙が涸れるのか知らない。

私は会いたい会いたいと言う。帰っておいでとほとんど呪文のように唱える。だけど、「もしアリエスがそうしたかったらでいいから」と忘れずに付け加える。渋々ながらも。

一緒に暮らしていた日々、自分は押しつけがましくて勝手なことばかりだったのではないかと思う。当時からそれは自覚していたけど・・・、少しばかり人間社会で長く生きているからってね。だからアリエスがすべてのことから自由になった今、アリエスが選ぶものを心から喜べる母ちゃんでありたいと思う。アリエスがこの世を去って、母ちゃんという立場も失ったかと思ったけど、やっぱりずっと母ちゃんでいる。これも身勝手なのかな。

どんな自分でいたら、アリエスは喜んだのだったか。その記憶を探して、今日を乗り切る。ここに言葉を綴ることで未来を指していこうとしているけど、地面に転がっている自分というのは、重いものだ。そして、アリエスが大切にしていた家族もそれぞれに、日常をこなしながら重さに耐え、隠れて泣くのではないかと想像している。過剰な自意識に浸るのではなくいつも皆の思いに気づきいたわること、それもアリエスが教えたのだったな。





「倉庫」を片付けよう

2019-06-15 | 11~12歳
あれから半年。冬が過ぎ、急に暑くなってから梅雨を迎えた。季節の移ろいを意識すると、もう半袖になっている自分に驚く。しかし動きの止まったような毎日で、まだ半年かとも思う。時間の感覚がおかしくなっているな。

それでもようやく、ほぼ倉庫になっていた2階を片付け始めた。このさい思い切りよく色々捨てようと張り切ってはみたものの、自分の物は処分できても、アリエスの物は無理だった。闘病の期間だけ使用した物は、苦しかった記憶ということでむしろ(感謝をこめて)早い段階で積極的に処分した。でも普段アリエスが使っていた物は、ほぼすべてとってある。

時間が経つにつれ、それでも少しずつ物を減らしている。徐々に心が離れる物品もあるからだ。これはアリエスが気に入ってなかったし、むしろ迷惑そうにしていたし、もういいかな。そんなふうに。
最終的にはいろいろ残ってもそれはそれでよく、無理はしないつもりでいる。遺骨がかつてアリエスの生命を宿していた大切なものであるように、毎日使っていた物にも、アリエスの心の残影を見るような気がして。

2階の部屋と同じく、私の日常生活も整理のゆき届かない倉庫状態であったと言える。雑然として、物事に注意を払わずにおざなりに放り込んで、足の踏み場もない。その日暮らしで刹那的に暮らしてきた。
アリエスというエンジンを失い、もはや自然体でそれなりの日々を過ごすということが難しくなってみて、かわりに、生まれてこの方したことのない方法を試すしかないかなと考え始めた。つまり、計画的に歩むということだ。

小学校の時、夏休みの1日の過ごし方を円グラフにしてみましょう、40日間の予定、宿題は早めにする計画にね・・・と毎年指導されても、一度たりともできたためしがなかった。その後の学生生活も同様。計画を立てるのは楽しいから早速やるのだが、まったく実現不可能な話に終始してしまい、立て終わるとコロッと忘れる。豪華な計画だけが遺跡のごとく燦然と「立って」いる。社会人になってからも、手帳を買うのは好きだが丸々白紙というのは例年のこと。

しかし今は本当に、毎日やるべきことを自分に教えてやらなきゃいけなくなった。向上のためというより、必要性を痛感。ということでこの機会に、これからどんな人間になりたいのかをじっくり考えることにした。アリエスが教えた様々なことが何らかの形で結実するように、自分はこれでよかったと納得して世を去れるように。そしてアリエスに会わせてやってもいいなと、神様が思ってくれるように。

言葉の話 その3

2019-06-10 | 11~12歳
そうして築いてきたアリエスとの、目に見えるアリエスとの対話の時間は、アリエスの旅立ちをもって終わった。今はこうしてアリエスの物語を語るという別の方法で、アリエスと話しているようなものだ。

記憶に残るアリエスの行動様式に照らして、アリエスだったら今こう思うかな、こう表現するかなと確かめる。その瞬間に臨場する対話や会話の形式でなく、この日記に文字にして思い直してみる。ということは時間的にも空間的にも、可能性はむしろ広がっているかもしれない。

そういった確認や記憶の再生作業は、アリエスの11年にわたる生命の記録をより濃く書き上げるものだ。そして私の日常生活の大きな柱となって、これからも私そのものを形作るだろう。アリエスの生涯は私であり、私の人生だ。忘れないという消極的な意味よりも、やっぱり一緒に生きていくと言った方が適切だ。少しでも良く生きる人生にすること。言葉で、イメージで、手の感触で、匂いで、気配で、アリエスはこれからも何度も生き直すだろう。

こんな物言いは妙に意気込んでいて空回りかなと、恥じる気持ちもなくはない。たかが一個の犬と、たかが一個の人。しかし、それを大仰な話にしない努力こそ今後の自分に求められるものであり、そもそもこの世に生まれてくることに意味があるのかないのか分からない生命の一生に意味を附す、すごく根源的なプロセスなんじゃないかと、そうも思う。あなたのくれた日々はこんなに意味あるものだったと、アリエスに伝えたい。というかもうそれしかできることがない。アリエスの使う言葉は日本語ではなかったから、ちゃんとやってるよと見せてやるしかないのだ。



母ちゃんやっぱり大げさなのかね・・・

言葉の話 その2

2019-06-08 | 11~12歳
さて、伝えたいことが心に膨れ上がったら、ふつう相手の言語を学ぶだろう。ところがアリエスに対して、私は迂闊にもそうはしなかった。読み取ることをアリエスに丸投げして、自分の言語で押したのだ。

今やイヌのボディランゲージやシグナルの理解は常識だろうが、アリエスがやってきた当時の私は、どんどん大きくなっていくアリエスを前に焦り、急いでヒト社会の決まりごとを教えるーーしつけーーことに必死で、そんなことは露ほども考えつかなかった。生後4か月で来て、世に言われる臨界期の期限はすぐ切れる。

アリエスの戸惑いをよそに右往左往し試行錯誤し勝手に怒ったり自暴自棄になったりし、挙句に思い描いていた「しつけ」なるものはうまくはいかなかった。なんで通じないのだろう、わかってもらえないのだろう、これはあなたに必要なことなのに。

そんな中でも、アリエスは着実にヒトの言語を知り覚え、幼い顔に考え深げな表情を浮かべながら、なんとか私の言うような振る舞いをしようとしていた。はたして、私の“言語”は一方通行で、伝えるからには受け取ることも等量の重要性を持つ、という事実を完全に看過した。演説だけで生涯を過ごせる人はいない。教えることは教わることだ。その頃の私は、まったくもって訳のわからない怪獣のようだったことだろう。

アリエスにとって語るべきことは何か。アリエスが何を感じているか。臨界期とかいうものがだいぶ過ぎ、あきらめモードで我に返った時、それを聞きたいと切望するようになった。イヌが自らをどんな方法で表現するのか、人に会いに行って尋ねたり書籍やネットを調べたり、それなりに努力した。でも、それを微に入り細を穿ち教えてくれるのは、他ならぬアリエスだった。

ヒトのような言語体系ではないけれども、アリエスの使う言葉は陰影に富み表現ゆたかで、その繊細なことには驚くほかなかった。教科書のようでなくとも、この家で家族になる間、私たちの中でだけ通じ合う表現も多々生まれただろうと思う。アリエスが私に対して言いたいことはほとんどが、家族を大切に思っていていつも一緒にいたくて、今日この今も大好きだ、ということだった。

それは犬について書くのにあまりにも月並みで、考察を欠いているかもしれない。結局そこかよ、という。言語がヒトと違うからイヌは複雑なことは考えないとか、心理的にも単純であるとか、確認できないことについて見くびった想像をするつもりなど毛頭なく、むしろその知性のありかたには畏敬の念さえ抱いている。しかしアリエスが全身で伝えてくるのは、ただそんなあたたかい喜び、つつましい幸福だった。

日本語をひと言も話したことがないアリエスと、犬語を理解も表現もできなかった私。なのにそこに「会話」は成立し意志の疎通をおこなうことができる。互いをいたわり思いやり、安堵して生活することができる。言語の本質は言葉にもともと備わった意味ではなく、意味を与える我々にある・・・

素振り、しぐさ、表情、あらゆる動き、声の調子、単語。リズム、トーン、雰囲気。それは「言語」ではなくとも、充分に「言葉」なのだったろう。物語でも語られた“言葉の本質”とその奇跡を、私は日々体験していたことになる。それからの日常は、それまでとはまったく違ったものになったことは言うまでもない。

言葉の話 その1

2019-06-07 | 11~12歳
最近とても心に残るファンタジー小説を読んだ。作者の書きたい内容を表現するために架空世界が必要でその形式を採ったと思われるが、そこで起きていることは非常に現実的。言葉というものの本質を、物語として描き出したものだ。そのままではないが、「言葉を習得することもよいが、その前に、語りたいことを持てるかが何よりも大切で難しい」という内容がある。もうかれこれ15年ほど前になるが、私もまったく同じことを思ったことがある。

大学院の研究室でのちに教授となる、当時助教授が国際学会で講演をおこなっていた。米国留学を経ているため英語は「普通に話す」のだが、これがめっぽう日本語訛り。おかげで我々には理解しやすいけれども、ネイティブには通じるのかと興味津々で注目していた(どこ見てんだよ)。しかし来場者は皆、集中力を切らさず聴講し脇目もふらずメモを取り、活発な質疑応答がおこなわれたのだった。まさしく、知りたい内容がそこにあるなら、人はどんな言葉でも理解しようとするものなのだと感じた瞬間だった。

別の学会で。先輩たちが研究成果の発表をしたのだが、2人のうちふたりともが、質疑応答で黙り込んだ。質問の意味が取れなかったか、あるいは答える言葉が探せなかったか。そして件の助教授が、共同演者ということで代わりに回答したのだった。私はこの時、これだけは絶対に嫌だと思った。寝る間も惜しんで追求しようとした成果を、こんな形で披瀝するのだけは嫌だと。気づかない誤りや不足な事柄があったとしても、こんな少しの真実を見つけた、そのことだけはちゃんと自分で世に問いたい。言葉が分からなければ聞き返せばよい、出てこなければ絵に描いてもよい、伝える熱意を欠くことよりは恥ではない。先輩たちの日々の努力を知っていればこそ、歯がゆくてならなかった。この経験があったために、のちに自分自身がその場に立つようになった時には、拙劣な応答ではあっただろうが相手を肯かせることができたし、不十分なら終了後にも話し合い、新しい観点をもらったりすることができた。

後日談だが、自分の英語について助教授は言っていた。僕の発音は通じにくいから、知っているあらゆる単語で言い換えて伝える努力をしていると。そうやって誤解を避け、あるいは相手も不自由な言語であっても何とか渡りをつけて、議論や意見を引き出していたということだ。

伝えたいことを持っているか。語りたいものが心にあるか。どうやって話すのか書くのかを学ぶより必要で第一で大切なこと。それさえあれば、自ずと方法を探すのだから。