ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

いよいよスポーツ?

2009-01-30 | 1~2歳
 「おしりあい」

 ついに、「高架橋吠えられスポット」をクリアした。真下の家の庭から、通る犬に必ず吠えまくる柴くん。散歩中、雨であまりにワンコに会わないので、久しぶりにチャレンジさせてもらうことにした。以前は何とか通れてもリードを引っ張らなくてはならなかったし、ひどい時は橋から飛び出しそうになりながら対決したものだ。昨日は例の通り「ダメだよ」とあらかじめ声で注意を与えることで、リードの緊張もなく黙々と歩いた。やった!初!アリエスにとっては視覚刺激が最強の興奮誘発剤だが、この柴くんは丸見えなので、やっぱり進歩していると考えることにしよう。しばらくしたら、3頭の大型犬がフェンスに飛びかかってくるお家を通らせてもらうことにしよう。前回挑んだ時は、まるで猛獣ショーになってしまったっけ。もう応戦しないよ。心の中で、自分達の課題にリベンジ。
 
 毎日過ごしてゆく中では、そんなふうにうまくいく時もあれば後退したかとがっくりくる時もある。でもほかのことと同じで、一直線に改善するわけではないのだと思っている。ギザギザのグラフを描きながら進むのだろう。私自身が、そんな不本意な時間に強くなった。多少落ち込んでもアリエスに八つ当たりすることもなくなり、迷いなく叱りすぐ切り替えて笑えるようになった。
 犬が犬に吠えるだけのことで、なぜこんなにも傷ついた気持ちになるのだろう。相手にも周辺住民にも悪いなぁという、いわゆる「世間様に申し訳ない」という思いがひとつ。ちゃんと教えてやれない自分の情けなさがひとつ。「心配してくれる人がいるのに」という焦りがひとつ。「本当はこんな子じゃないんです」という見栄がひとつ。それぞれが混在して複雑だが、このうち私自身について目を向けている項目はひとつしかない。あとは人からどう思われるかという項目だ。虚栄の積み重ねはおそろしいものだな。お世話になっている人々への感謝は忘れるはずもないことだが、無用の雑念を強い心で排除して自分のやるべきことをやる、そういう自分でありたいと思う。

 いつも思い出すのは秋に参加したホワイトシェパードミーティングだ。大人のホワイトシェパードがたくさんいて、歳を重ねるアリエスの明確なイメージを目の当たりにした。親子の絆もそれぞれ。しつけられ方もそれぞれ。「うちなんてぜーんぜん」というお母さんの子が優しくて模範的だったり、他の子に文句を言っているお父さんの子が結構吠えて「待て」ができなかったり、歳ではなく日々の認識と努力の差なんだと深い印象を得た。「あの時のアリエスと比べてどうだろうか」「あの時素晴らしいなと思った子はどうだったろうか」と考えるのが、私にとってのひとつの基準になっている。今年の秋には落ち着いた私達として参加すること、それは1年越しの目標だ。

 ヒト社会でのきまりを守ろうとする努力は、今のアリエスにはまだストレスがかかっている。普段一緒に遊びまくって発散させようとはしているが、もっと何か楽しみたい。他の犬を気にする状況ではまだ無理かと思っていたのだが、今こそストレス解消が必要だと感じるし、一緒にあれこれ練習することの楽しさが身に沁みてきたというところ。ふたりで頭と体を使ってできることを、現在選定中だ。

タオルいろいろ

2009-01-26 | 1~2歳
 

 久しぶりに河川敷のプチ北海道に行ってきた。サッカー場の芝生もすっかりしょぼくなり泥ハネしっぱなしだったけれど、楽しかったー。いつもよりずっと長いロングリードを持って行ったので、この場所で首をおかしくした私も思う存分ボールを投げまくることができた。後脚を鍛えるためにブリーダーさんおすすめの土手ボール投げもやってみたが、①土手がデカすぎる ②とっくに走り疲れてた の理由により、なんだか気がすすまない様子でノソノソと登ってゆくアリエスであった。

 先日兄弟姉妹のパパママさん達の忘年会に誘って頂いたのだが、そこでショックな事実が。みんなおフロ好きだというのだ。ええっええっ(泣)うちは足を濡らすのさえ嫌いだよーぉ。はじめの入浴が悪かったのか・・・。最近アリエスの肉球が泥だらけなので、足拭きをやめてにした。あきらめ顔でされるがままになってはいるが、隙をみては洗面器につけた足をピクピクと持ち上げようとする。タオルで水気をとる段になると、あー終わりだねみたいな顔をする。

 目やにやよだれのため、毎日顔を拭く。いつも洗面所までついてくるくせに、自分の洗面は分かるらしく廊下の角から顔と前脚の先だけのぞかせて寄り付かない。尾行中の刑事かよっ。けどものすごく鼻見えてるからね。

 夜は階下の電気を消すと、グースカ寝ていたアリエスも寝ぼけてふらふらしながら一緒に2階へ上がる。冬になってからはバスタオルを水で濡らしてしぼり、部屋に掛けているのだが、しぼり中のところへノタノタやってきてタオルの端をちょこっと噛む。ハイハイ、手伝ってるのね、役に立ってないけどありがとう。タオルをガバッと広げて振り回して湿気を飛ばす私を、「ご苦労さんですな」とでも言いたげな上目遣いで見ている。

 ちょっと風邪気味なわが家。今日も湿度が大切大切!

楽しい休日

2009-01-25 | 1~2歳
 

 久しぶりに昼間からアリ男と。うれしいねぇ

 おnewのボールと。満足げです。

 近いがこのところ全然行っていなかった公園に立ち寄ってみた。結構広いのだが狭い道路を隔てて住宅が立ち並んでいる。犬がいる家も何件もあり、みんな庭かガレージに放し飼い。しかも通る犬に吠えまくる。相手が公園の中であっても犬と見るとあちこちから一斉に声がし始め道路側に集まってくるが、どの家でも自分の子を叱らない。一体どういう地域だよーと思っていたが、今やいい練習場だ。そろそろポメラニアンが飛び出してくる頃だなー、もうちょっと近づけばコーギーが騒ぐはず。彼らも気が休まらずかわいそうだなとは思うけど、ちょっとごめんよ。

 火がついたように怒っているワンコの前で、一声「ギャワン」と言ったけれど合図で我慢して座り、「ダメだよ」とつぶやきながら何度か行ったり来たりしたが、彼は頑張って耐えたのだった。以前は「オレだって怖いんだよーオラァッ」とものすごかったが、本当に進歩したな。まだ生犬が向かってきたりたくさんの犬が突然出てきたりは無理だけれど、きっと大丈夫になると信じられる気がする。

筋肉痛の日々

2009-01-24 | 1~2歳
 まるでのれんの中から・・・「らっしゃい」

 また・・・こんなチビちゃんにも(泣)

 
気を取り直して、新しいスポーツを紹介しまーす 

 フライボールってね・・・と説明を受けてます

 偶然の成功!でもOK!

 朝から夕方までみんなと遊んだアリエスは、夜までは徹底トレーニング。ドッグランに入り突然先生達や他のスタッフさんが連れてくるワンコ達と遭遇する。ショッピングモールに外から訪れる犬達も練習の対象だ。いつも泥だらけになりながら、アリエスと私の力の勝負だ。対処の仕方が分かってきたので私も以前ほど慌てずに教えてやれるようになってきたし、またあちこち行こうと思えるようになった。

 アリエスの練習に駆り出されるのは保健所から救われたり虐待を受けていた過去のある子達だ。教室に併設の施設で、新しい家族が現れるのを待ちながらしつけを施されつつ過ごしている。アリエスの練習は彼らにとっても練習として位置づけられており、私も申し訳ないという気持ちが膨らみすぎることなく思う存分頑張ることができる。クールビューティの女性の先生が私につききりで細かく教えてくれる。先生ふたりにスタッフの方と、居残りでなんともゴージャスなレクチャー時間だ。「先生だとうまくいくんだよなぁ」という局面はどこに行ってもあることだが、「まぁプロですから!」といったケレン味はこれっぽっちもなく、「違います!お母さん、必ずできます!」とにっこりする。美しすぎる笑顔にクラッとなりながら(おやじか?)そのまっすぐな誠実さにうたれる。「トレーナーは初対面の時から指示を出し指示をきくという関係で始まるのだから家族とは全然違います」と。先生達の一生懸命さをひしひしと感じながら、自分の決意も毎回強くなる。「そうそう!今日の中で一番でしたね!」となると、「ではここでやめましょう」となる。ワンコのしつけとおんなじだなー。うまくいったとこで終わりなのね。私も犬になったように素直に、色々なことを受け入れていこう。

 帰宅するとアリエスとふたりしてグッタリ。でも頭が冴えて眠れないんだよなぁ、そういう日って。

 

「育てる」

2009-01-20 | 1~2歳
 
 

 ヒトの子供も犬も、育てるにあたってよく「マニュアル通りにはいかない」といわれる。それは当たり前だーと思っていたが、「多少の凸凹はあれ、なんとかなるんじゃなーい」と「普通」であることに疑問を差し挟むことはなかった。

 アリエスがきてから、目の前の個性の輝きに驚くやら困惑するやら。「オスワリしたらごほうびのトリーツ」とか、実は失敬だなと感じるほどの知性。彼はその裏にある意図を、きっと読み取っている。いちいち条件付で食べ物をくれるヒトとは、逆に家族としての信頼を結べないのではないだろうかとさえ思うようになった。

 情報不足への恐怖は吠えとなって表れる。今はそんな状況への対処を一緒に楽しんで学んでいるが、この心境に達するまでには色々やってきたし色々あった。私達だけが「普通」に犬とすれ違えないのだろうかと鬱々となり、彼の感性の鋭さを疎ましく思うことも。日常の小さな現実の連続は、「普通」という概念を押しつぶすのに充分な重さであった。自分や子供の人生に先天的後天的ハンディというものはそれぞれにあるのだと思うが、それに気づいた時の孤独感というものも強弱はあれ存在するのだと思うようになった。それはきっと、他者に思いを馳せるという共感につながるのではないだろうか。負うた子に教えられとはまったくこのことだ。また、育てるというプロセスの中で、ハンディや苦手を個性とし糧とする、気持ちをそう乗り越えることができたなら、育てられるほうはきっと健やかに育つだろう。母ちゃん頑張るよ、アリエス!

 近頃「育てる」が楽しく、植物の種にも触手を伸ばし始めた。チマチマと木や花の種を買ってきては小さな鉢に植える。今までもそんな傾向はあった私だが、ちょっと違うぞ。アリエスのお陰で、「芽が出た咲いた忘れた」じゃなくなったもんね。