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ついに、「高架橋吠えられスポット」をクリアした。真下の家の庭から、通る犬に必ず吠えまくる柴くん。散歩中、雨であまりにワンコに会わないので、久しぶりにチャレンジさせてもらうことにした。以前は何とか通れてもリードを引っ張らなくてはならなかったし、ひどい時は橋から飛び出しそうになりながら対決したものだ。昨日は例の通り「ダメだよ」とあらかじめ声で注意を与えることで、リードの緊張もなく黙々と歩いた。やった!初!アリエスにとっては視覚刺激が最強の興奮誘発剤だが、この柴くんは丸見えなので、やっぱり進歩していると考えることにしよう。しばらくしたら、3頭の大型犬がフェンスに飛びかかってくるお家を通らせてもらうことにしよう。前回挑んだ時は、まるで猛獣ショーになってしまったっけ。もう応戦しないよ。心の中で、自分達の課題にリベンジ。
毎日過ごしてゆく中では、そんなふうにうまくいく時もあれば後退したかとがっくりくる時もある。でもほかのことと同じで、一直線に改善するわけではないのだと思っている。ギザギザのグラフを描きながら進むのだろう。私自身が、そんな不本意な時間に強くなった。多少落ち込んでもアリエスに八つ当たりすることもなくなり、迷いなく叱りすぐ切り替えて笑えるようになった。
犬が犬に吠えるだけのことで、なぜこんなにも傷ついた気持ちになるのだろう。相手にも周辺住民にも悪いなぁという、いわゆる「世間様に申し訳ない」という思いがひとつ。ちゃんと教えてやれない自分の情けなさがひとつ。「心配してくれる人がいるのに」という焦りがひとつ。「本当はこんな子じゃないんです」という見栄がひとつ。それぞれが混在して複雑だが、このうち私自身について目を向けている項目はひとつしかない。あとは人からどう思われるかという項目だ。虚栄の積み重ねはおそろしいものだな。お世話になっている人々への感謝は忘れるはずもないことだが、無用の雑念を強い心で排除して自分のやるべきことをやる、そういう自分でありたいと思う。
いつも思い出すのは秋に参加したホワイトシェパードミーティングだ。大人のホワイトシェパードがたくさんいて、歳を重ねるアリエスの明確なイメージを目の当たりにした。親子の絆もそれぞれ。しつけられ方もそれぞれ。「うちなんてぜーんぜん」というお母さんの子が優しくて模範的だったり、他の子に文句を言っているお父さんの子が結構吠えて「待て」ができなかったり、歳ではなく日々の認識と努力の差なんだと深い印象を得た。「あの時のアリエスと比べてどうだろうか」「あの時素晴らしいなと思った子はどうだったろうか」と考えるのが、私にとってのひとつの基準になっている。今年の秋には落ち着いた私達として参加すること、それは1年越しの目標だ。
ヒト社会でのきまりを守ろうとする努力は、今のアリエスにはまだストレスがかかっている。普段一緒に遊びまくって発散させようとはしているが、もっと何か楽しみたい。他の犬を気にする状況ではまだ無理かと思っていたのだが、今こそストレス解消が必要だと感じるし、一緒にあれこれ練習することの楽しさが身に沁みてきたというところ。ふたりで頭と体を使ってできることを、現在選定中だ。