ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

暑中お見舞いデス

2012-07-23 | 4~5歳


 今年もはがき作成。やせた白くまに登場してもらいました・・・



 さて、夏の朝の楽しみの話。

 アリエスは夜の間、三和土の石が冷たい玄関で寝て、早朝決まった時間に私の部屋へやってくる。まずは階段を昇る息遣いが聞こえ、続いて、起きがけでまだ目が腫れているヤツの顔が現れる。私が立って笑いながら見ていると、目があった瞬間に大きな耳がピタッと後ろに倒され、まさに笑顔になり速足になって突進してくる。私の膝の間に顔をはめこみ、ピットインしてしばらくしっぽをぶん回す。「起きたよー母ちゃんもいたー」と、盛大に再会を喜ぶ。

 あの顔を見るのに、前夜寝るのが遅くても、起きられないなんてあり得ない。1日の到来をこんなにも喜べる毎日を、本当にありがたいと思う。

アリエス語は通じるか?その2

2012-07-21 | 4~5歳
 馬とは、美しい生き物ですねぇ。うっとりしました。立っているだけで、その景色の中からくっきりと切り取られたかのようなシャープなオーラに包まれていました。アリエスが疾走する姿を見る時の感動と似てた。鳥肌が立つ!

 私を背に乗せてくれたのは、70歳くらいのおじいちゃん。マイペースに途中で寝ちゃったり、気が向かないと止まってしまうのんびり屋さんだそうです。この日は機嫌よく何周も続けて動いてくれて、私は鞍上で笑いっぱなしでした。「初回で軽速足ができるなんてすごいですよ!!」などと営業トークにおだてられつつ、ガッコンガッコンと揺られておりました。

 出発する時はこうやる。歩調を速める時はこう、止まる時はこう。馬に出す合図はきちんと決まっていて、それを守ることで混乱を避け、明確に意思を伝えます。だけど、「行こう」「頑張って」「もういいよ」と、心の中で語りかけることが大事だと勝手に思った。アリエスと歩く時、リードを通して言葉を伝え合うのと同じ。テクニックとして褒める、というのをプロはよく使うが、アリエスも馬も息が合った瞬間はすごくうれしいから、自然にそれを口にしたり体をポンポンしたりする。そっちのほうがいいんじゃないか。うれしさが電気みたいに、伝わっていくみたいだよ。一緒に走れて楽しかった、ありがとうって。

 動物はみんな、自分の存在をかけてその場にすっくと立っている。過去についても未来についても黙して語らず、今の命だけで1点に立っている。その1点の不安定感を恐れることもなく、堂々と自分の命を過ごしてゆく。そんな厳しい生命体でありながら、心が分かると思える瞬間がある。

 アリエスと走るのも馬に乗せてもらうのも、自分がすべきことは同じだと思いました。五感を動員して話をきくこと、五感を動員して言葉を発すること。アリエス語って、やっぱり通じるんじゃないかな。

 あとで記念撮影をさせてもらおうともう一度会いに行くと、おじいちゃんは小さく前に出て、私の胸骨にグリグリと顔を押し付けてきた。なんだよ~アリエスと同じじゃん。ヤツも甘える時、顔を私の腿に押し付けてじっとしている。うーーーーかわいすぎる。写真をとろうと頬を寄せると、おじいちゃんも押し付け返してくる。もう陥落ですわ。


彼は音にびっくりすることがあるので、かわいい帽子をかぶせてもらっています


ぎゅうと頬を寄せてもらってうれしすぎ


おまけ

 私の先生はちょっとだけ年上の美人モデル風の方でした。楽しくて笑い続けつつ、速足についていこうとする必死さが出て、私は顔面崩壊していたようでした。先生はかなり慌てたように言ってました。「あ、あ、アリ子さん?顔!顔が変になってますよ・・・」と。先生、最初に注意するとこ、そこ?

アリエス語は通じるか? その1

2012-07-19 | 4~5歳
 突然ですが、乗馬体験をしてまいりました。馬は物心つく前に接触した形跡があるのですが、記憶の中では一度もない。映像の世界での存在なのでした。

 引っ越したら、仕事して家事して野菜作って庭大事にして馬に乗れるようになる。何の脈絡もなくそう思い込んでいます。アリ男は、体験乗馬1回でさっさと飽きるだろうとせせら笑っていましたが、さにあらず!!危険な匂いがしていますぞ。

 実は知りたかったことがあり、それが動機と言えば言えるのかもしれない。オイオイ泣いたり怒ったり八つ当たりしたりしながらアリエスと歩んできた4年半、いろいろ教えてきたつもりが、自分のほうがよっぽど教わることが多かった。アリエス個人のことだけ、本当にそれだけを考えてやってきたけど、いつの間にかヤツは犬のこと、動物のこと、生き物のこと、生きるということを、全部問いかけてきたよ。

 自分の思いだけで突っ走ろうとしている時には、言葉や仕草は一方通行で、怒られてもまん丸い悲しげな目でこちらを見上げるアリエスに、さらにイライラすることも日常茶飯事・・・。
 アリエスが伝えようとすることを分かりたい。ボディランゲージでもシグナルでも心理学でも行動学でも、何でもよかった。ブリーダーさんでもトレーナーさんでも犬友でも、誰でもよかった。だけど結局は、アリエスといかに向き合うかという、1点につきた。

 そうやって過ごしてきた数年で、互いに少しずつ変わったよなと思います。語らない会話ってあるんだなと思えることも、だいぶ増えたなあ。

 同じことを、ほかの動物でも気づき合うことができるのだろうか。アリエスの言葉を試したい。ほかの犬でも他の種でもよかったけれど、馬スイッチオン状態であったので、馬なのです。



あじさいが逞しくなりました


強烈な太陽の下めげずに咲くので大注目しています。ヒルガオ科のアメリカン・ブルー


花も葉も薄いので風によく揺れる


トマトは急に成長!収穫ですな


暑いから戻ろう・・・玄関に未練のある王子


朝の光はマジックだ!

梅雨明けだって

2012-07-17 | 4~5歳
 まだ夏の入り口だというのに台風、大雨災害、猛暑ときて、もう梅雨が「明けたとみられる」のだそうだ。10年20年単位では各地の気温は高くなってきていて、たしかに温暖化だよなと実感する。ところが太陽の極の反転がおかしいやらで、じつは小さな氷河期のはじまりかもしれないと危惧する人々もいる。えーー。どっちなんでしょうか・・・。いずれにしろ、おかしい、という表現が外れていないくらいには、変化しているのだろうね。

 今年も、これからも、もちろん節電には励みます。アリエスの冷却分だけは死守。

 前に新進気鋭の評論家が電力問題について、「電力消費量自体を減らそうとするのは論点がずれている」「消費量の増える時間帯が生じないようにすればいい話」と主張していたが、どうだろう。有れば有るだけ、無ければ求めるもの以外を犠牲にしてでも、地球のすべてを消費し尽くすような人間の存在のあり方について、根源的な反省を迫られていると思う。そうでなかったら人間の文明や学問なんて、既に敗北してると言ってもいいんじゃないだろうか。



自分が大きいと気づかない子。ぎゅうぎゅう詰めなのが不憫・・・


なによー

あの子はいま・・・2

2012-07-15 | 4~5歳
 このたびの災害で被害に遭われた方々へ、心からお見舞い申し上げます。ここにコメントをくださる方の中にも、当該地域の方がいらっしゃるはずです。もしこれをご覧になっていて、何かお役に立てることがあったら連絡をお待ちしています。このブログの中では、それくらいしかできませんが・・・


 先日のポインターの話の続き。

 怒りを噴出させる私は、家族に諌められた。「逃げ出したのかもしれないし、どうしようもない事情で起きた事態かもしれない」。まあ、可能性はゼロではないね。世の人々も様々だし、責任も負わずに責めるべきではない。そうではあるんだが。

 あれから、彼のことを思い出さない日はない。山の神に祈らない日はない。話を聞くとみんな、「そんなに思ってくれる人に会えただけでもよかったよ」と言ってくれる。だけど当の私は、祈りの効力について疑っている部分がある。

 昔から、宗教というより宗教を信じるヒトの心のありように興味があった。自分自身、なりゆきではあるがキリスト教系の幼稚園と高校に通った。高校は専用の礼拝堂を持ち、毎日決まった時間に全校生徒が集って讃美歌を唱和し、牧師さんの説話を聞いた。聖書が正規科目であり、結構難しい筆記試験を受けて成績もついた。もちろん、まじめに学んだ。幼稚園や小学校から上がってくる同級生達は、当然のように洗礼名を持っていたりしたし、教師陣は大多数が入信者であった。

 ある時、アフリカの某国で大飢饉が発生した。礼拝で牧師さんはそれを嘆き、聖書の一節を引用しながら話を締めくくる。「だから、その方々のために祈りましょう」と。その瞬間、自分はある種の衝撃を受けたのだった。この恵まれた私立の学園で、完全に平和な場所で、なんのアクションも起こさずに、祈る意味って何だ。それを正しいと思って生徒に勧める大人って何だ。説法中は居眠りして、それでも思考停止の素直さでアーメンとつぶやく私達って何だ。この時間が終わったら、遠方の悲劇など1秒も思い出さない正義って何だ。その学園に実在の人だが、だだっ広い敷地をきれいにする清掃員のおばさんがいた。夕方やっと一段落すると、自販機のカップコーヒー1杯でひと息つく毎日だったそうだ。そのコーヒー代を、おばさんは飢饉で苦しむ人のために寄付していた。「金と心」の比較ではない。決して楽ではない労働で得た硬貨を贈る姿が、甘い正義感をはるかに凌ぐのではないか。

 あのポインターを思う時、このことを一緒に思い出す。あれから、自分はどんな大人になっただろう。人はそれぞれに重要視する事項が違い、優先順位が違うから、自分が大切に思うことが他人にとってそうでもないことはよくある。それが多様で良いのだと、この数年でやっと気づくようになったのだけれど、自分の眼前に転がり出てきた問題については、浅からず流されず考えて、現実的対応をしたいと思うのだ。そして、考える時はアリエスのように、天と1対1で、シンプルに。それが根本を見誤らないひとつの方法なのだろうと思う。



アリエスの水。汲み置きして冷蔵庫に。ペットボトルを替えるたび、蓋の絵も色々考えます。