ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

12月17日~20日

2019-02-24 | 11~12歳
新たな症状
意識が回復してから、アリエスは普段と比べると格段に量が少ないものの順調に飲食できて、硬めのおやつなども好んで食べるようになっていた。水を飲むのは下手で、水面との距離感がつかめていない様子で呑気の多い飲み方ではあった。おそらく深部感覚障害が残っていたのだろうと思う。
それらは今後の対応でどうとでもできると考えていたが、ここへきてやや食欲が低下。食べたいものもまちまちで、さっき欲しがったものも今は口に入れたくないといった場面が増える。往診してもらうと、腹部に腫瘤があるかもしれないとのことだった。教わって触診しても私にはわかりにくく、呑気で膨らんだ胃ではないかと思いたかったけど、獣医さんの診断はそうそう外れないとも思った。一瞬頭が真っ白になった。こんな時によく使われる言葉だけど、ほんとにそうなるものだなとノロノロと思いもした。そして、やっぱりな、とも。神様はそんなに簡単に手を放しはしない。往々にして、ちょっと喜ぶ状況になってから事態が悪化する。やっぱりな。
この時の私は、発症してからつけていたノートに書いている。“この子をここに置いてよいかをまだ試されているのだと思う。絶対に負けないし、神様にも大丈夫だと納得してもらわねばならない”と。父ちゃんがこの手に取り戻してくれたアリエスを、連れて行かれるわけにはいかない。
だが腹部に腫瘍があるとすると、肝機能障害も貧血も一元的に説明がつく。

先生によると、胃の幽門部にしては硬くやや大きく、脾臓の可能性があり、だとすると血管肉腫か過形成かもしれないとの見立てだった。これまでアリエスは皮膚血管腫を何度か経験しており、いずれも良性だったが血管腫瘍のできやすい可能性を病理医から指摘されている。脾臓にできたなら、表面が裂けやすく大量出血の可能性も考えなければならない。
若く元気であれば、摘出手術。エコーは必須だが生検までいっても組織型の判断が難しいケースもあり、画像診断だけでは確定診断に至らないかもしれない。化学療法の選択もあるがきつい。座る練習は破裂の危険があり中止。・・・などなど。

全身麻酔も開腹手術も無理。エコーだ。診断的価値がどこまであるかは何ともいえないが、エコーだ。でも先生のところには携帯型がない。診断がついても対応が変わらないなら、年が明けたらこちらで何とかして携帯エコーを手配することにして、出血に注意して過ごすことになった。

髄膜炎疑いの時も今回も、私たちはわが子の疾患の確定診断をつけることを突きつめずに事態に対処してきた。医師としてそのことは心許なくもあり忸怩たる思いもあった。しかし、もし今同じ状況だったなら、同じ選択をするだろう。ノートを読み返してもデータを見直しても父ちゃんと話し合っても、結論は変わらなかった。見直し考え直す作業は勇気が要ったけれども、その上でそれしかなかったと思えることは、後に湧き上がってきた後悔を、少しは軽減したのだった。

11月25日~12月16日 つづき

2019-02-18 | 11~12歳
回復(2)
並行してリハビリを始めようかと、獣医さんに往診してもらった。体を起こしたりすることで、お腹も動き静脈やリンパの流れも良くなる。脳にも適度な刺激をあたえ、気分もかわる。念入りに診察して、先生が「本当に驚きました!」と許可をくれたので、ひと安心した。1-2日で急速に悪くなった時点で、先生は正直難しいと思っていたとのこと。アリエスの底力と看護の勝利ですねと言ってくれた。お世話になりっぱなしの先生に、心から頭を下げたのだった。それから関節可動域運動に加えて、1日1回、数秒でもハーネスで補助して座位を取るリハビリを開始した。
けいれんのコントロールに時間がかかったために、必要十分な体位交換による除圧ができず、褥瘡が1か所できた。肘タコやおもつかぶれのケアも含め、1日最低2回は洗浄と処置をするようにした。

連休が終わってからは当然仕事に行っていたが、以前から勤務を調整していたので何とか急性期を乗り切れた。それからは食事とリハビリのほかに、少し動き出すようになって排泄の問題が出てきたので、衛生面の強化に取り組んだ。自分でちょっとずつ場所を移動していたり、帰宅してみるとおしっこでびしょ濡れになっていたり、頭がはっきりしてきただけに、思うにまかせぬアリエスが不憫でならなかった。動物としての最低限の誇りを守ってやれていない気がして悔しくて仕方がなく、自分に腹が立っていたのもこのころ。

防水カーペットやおむつの導入で、そんなおしっこ闘争も解決する。別の機会に書こうと思うが、おむつの使い方を教わって不在時のみ使用するようにした。いろいろな物品や道具の、製品選びも装着も位置取りも、ひとつひとつアリエスと一緒に上達した。アリエスが気持ちよさそうにしたり、うまいタイミングでなにかしてやれた時は、本当に幸せだった。小さくても毎日喜びを積み上げて、どんなに長い看護生活になっても平気な思いだった。

決して止まってはならない。流れの妨げになるような不注意をおかしてはならない。楽しくも緊張した日々。朝の光に号泣することもなくなり、かわりに出勤前の清拭や傷の洗浄、マッサージと体位交換などで忙しく過ごした。12月14日、アリエスは11歳を迎えることができた。


11月25日~12月16日 

2019-02-17 | 11~12歳
回復(1)
ときどき開眼して焦点が合うように見える。その時だけはおそらく人物の見分けもついている。しかしまだけいれん発作は度々あって、安定しない。採血では貧血と肝障害の増悪がみられる。状態は良くなっている可能性があるのに、数値は悪化している状態。おならや嘔吐もみられるようになる。

いずれ点滴ラインを抜いた時のため、投薬を内服と皮下注射へ徐々に移行しなければならない。嚥下が難しい現状では、飲み薬は口腔内の強制投薬。まだぼんやりとしているアリエスは手首まで突っ込んだ私の手を反射的に噛んだ。噛みしめる力が戻ってきたようで私は本当にうれしかったのに、歯が当たって驚いたように口を離すアリエスがいじらしくて泣けた。後になってアリエスの病状が悪化する中で、自分の指の傷が治っていくのがうらめしく、少しでも痕が残るようにと念をこめて眺めたものだった。

26日、すーっと持ち上がるように急速に意識が回復した。父ちゃんの心配していた「人格」の変化はみられず、私たちと一緒に暮らしてきた記憶をなくさずに復活したわけだが、けいれんの大きさと回数を考えると、驚きでしかなかった。黒い泥状便あり。
それまではできるだけ刺激しないため、割れものを扱うようにして接していたが、この時からはすべてのことを徐々にアリエスの意識を向けるようにおこなうようにした。静かなピアノジャズを1日中流し、体位交換もマットを持ち上げたらそっと振動を与えて知らせる。顔の清拭も再開した。

やや表情がはっきりしてきてヒンヒンと言うので、水分の経口摂取を試した。実験室なんかで使う、ノズル付きのボトルは本当に便利だった。まだ首の力がないので、口の横からノズルを差し込んで少しずつ水を入れる。飲んだ!これまでは口を洗浄した水がただ横からあふれ出てくるだけだったけど、自分で舌を動かして嚥下している。決然と良くなろうとするしぐさに、胸が熱くなる。後に父ちゃんは、この時から顔の下に敷いて使っていたマットだけは処分しないでくれと言ったほどだった。
誤嚥と窒息を避けるためにずっと横向きに寝かせていたのだが、27日にはじめて腹臥位がとれた。安心したように顎を床につけている。買ってあったハイドロケア(犬用ポカリスエット)をあげてみると、水よりこちらを好んでごくごく飲む。勢いよく出てはひっこむ舌が、生きる力をそのもののように見える。チーズ味で匂いもイマイチに感じたけど、意外にもたくさん飲むのでステンレスのアリエス用おわんに替えて飲ませた。

水分摂取が安定したら、次は食事。お腹の動きなど様子をみながら徐々に食べさせるわけだが、あまり妙案がなくて先生に相談したところ、療養食のサンプルをくれた。固めのムースのような食感で、香りもよい。初回で1個ぺろりと平らげたので、あわててネットで注文した。
回復期に何より重要なのは、必要カロリーを供給することと教わった。とにかく口に入るものは何でも食べてよい、ここで食べるのが追いつけるかが勝負と聞いて、療養食だけでなく鶏レバーを煮て濾したものや茶わん蒸し、固形食が大丈夫になってからはドッグフードなど、あの手この手で食べさせた。

unknown様へ

2019-02-14 | 11~12歳
12月末からの毎日の中でやっと笑うことができたのは、このブログを恐る恐るはじめから読み返した時でした。自分を救うために記事を書いていたとはお笑い草ですが、アリエスの生のかがやき、毎日笑顔だった私たち、泣きながら歩いたこと、ハラハラする家族、兄弟姉妹と遊んだこと、色あせない過去に入り込むような感覚でした。もう忘れていたこんな素晴らしい日々を、アリエスとともに生きてきたのだと、心に小さな火が灯ったようでした。また、多くの方々にお世話になり交流を結び、それも、アリエスをはじめ犬たちのくれたご縁であったことも。

ブログを書いていることをほとんど人に話したことはありませんし、積極的に会に参加するわけでもない。美しい写真もないのに文章は手前味噌で長たらしい。更新頻度はスッカスカ。そんな閉鎖系面倒ちんたらブログにも関わらず、多ければ何百人もの方が訪れて下さることに、驚きながらありがたく思っていました。ネットすごい。アリエスすごい。アリエスをそっと応援してくださった皆様、どうもありがとうございます。

そういう中で、最愛の子を亡くされたばかりの方からコメントを頂いたのでした。悩み奮闘し慈しみ幸せばかりをもらって、やがて別れる。ひとつひとつの体験は違っても、お会いしたことがなくても、限りない共感を寄せるものです。

unknown様。
ご心中を思うと、言葉がありません。お辛い時なのに心のこもったメッセージをくださり、本当にありがとうございます。アリエスにも話して聞かせました。お名前も分からないけど、そちらでは関係ないでしょう。ちゃんと挨拶してね。道案内して、それから遊んでもらいな。
ご家族を気遣いながら旅立たれたとのこと、私たちも胸を打たれて泣きました。何もできませんけど、この涙が彼女の行く道を少しはきれいに流してくれるようにと、そんなしょうもないことを本気でお祈りしています。

私は、「イヌは」と語れるほどの経験も知識もありませんから、アリエスのことになってしまいますけど、闘病中ですらも、毎日楽しいこと嬉しいことがありました。今日は寝息がおだやかだ。おしっこが良く出た。素晴らしいうんちだ。少しだけど食べられた。こっちを見た。寝返りが上手。父ちゃんのへんな踊りに困惑する。体拭きは気持ちがいいね。音や匂いがよくわかるね。そんなに頑張って立ち上がらなくてもやってあげるよ。どんな未来が待っていようともためらいなくまっしぐらに生きる姿に、心ふるえたものでした。

そうして駆け抜けるスピードを緩めようともしないまま、死に足を踏み入れる。
死はひとりで死ぬもの。生まれてくる時と同様に誰も分かち合えず付き添えず、自分の死を死んでゆくしかないということは承知している。けれども年は追い越されてもいつまでもわが子で、そのうえきょうだいで親友で相棒で同志で、そんなアリエスをたったひとりで出かけさせてしまったという思いが、頭を離れません。母ちゃんがついて行って、行く手を守り頭をなでて、一緒にいると安心させてやりたかったのに。ずっと守っていたかったのに。

まとまりのないことばかり考えるうち、ひとつの視点で少し気力が出ました。もしアリエスは元気でいて、自分が先に世を去ったのだったらどうだろう、というものです。よく人から、「あまり悲しむと亡くなった子のためによくない」とか「もうそろそろ元気出さないと、うしろ髪引かれて天国に行けないよ」という言葉で励まされたりしますが、なんだかピンとこないでいました。でも、もし自分があちらの世界からアリエスの毎日を見るとしたら、たくさん食べろ、いい夢をみて眠れ、好きなことをいっぱいして楽しく過ごせと願うだろうなと思ったのです。それはそのまま反転すれば、ああいった言葉になるんだよなと腑に落ちました。

unknown様、果てしないほど悲しみが続く日々だと思いますが、気が向いたらまたお越しくださいね。娘さんのことを教えてくださり、愛情あふれる日々を垣間見せて頂いて、それこそ見ず知らずの私ですが、心からご冥福をお祈りさせて頂いています。昔は祈る心の有効性に疑問を持ったことがありますが、今はそうではありません。娘さんを守るバリアのたしにでもなればと思います。

11月21日~24日

2019-02-11 | 11~12歳
死闘
頭になんらかの問題が起きた。運動障害が進行し起居動作もできず、飲食・トイレでの排泄が困難。正式にというとおかしいが、闘う相手の姿が見えたかもしれない。医師であるわれわれ夫婦は、この日からスイッチが切り替わったとも言える。
持続点滴をはじめる。先生と使いそうな内容を相談して、溶液をいくつか箱で購入。針も必要数を処方してもらう。点滴セットは驚くことに今はネットで売っているので取り寄せた。尿量やパンティングの様子などで補液量は変わるから、よく観察して内容を決める。思わぬところでイヌとヒトは違うかもしれないし、自宅ではすぐに検査したり採血データを得られるわけでない。手探りだった。ステロイド・抗生物質などの投与も開始。不足の薬剤の処方や状態の報告などのため、動物病院にほとんど日参した。

(万が一でも獣医さんに迷惑がかかるといけないので念のために。アリエスは保険に加入していたが、往診以外は自費診療・自己責任でそれなりの覚悟を持って臨んだ。かかりつけの先生は、危険でないと判断されるかぎり家族の希望に添って臨機応変に、という考え方で診療されている。私たちは充分に相談させてもらいながら悔いなく闘病できた。)

そのうち敷いてあるペットシーツにおしっこをする時に呼吸数が増えるのに気づくが、臥位で排尿するって努力がいるのかなとはじめは思っていた。しかしパンティングの時に右前足が突っ張っているのを見て、けいれん発作だと青くなった。だんだん頻回になり、意識障害も進行。発作は不随意運動が粗大になって、手足を大きく投げ出してはひっかくような動作をし、全身ガチガチだ。症候性てんかんとして、抗けいれん薬を開始した。舌は常時出たままになった。口腔内乾燥は呼吸の大敵なので、頻繁に口を洗う。生気のない目を半開きにしているため角膜が乾燥し、傷がつく。保存料などの添加物のない点眼薬を使った。膀胱圧迫による排尿、体位交換、マッサージなども状態をみながらおこなう。

このころ夜間は父ちゃんと2時間交代制。けいれんがなかなか止まらず、全身状態もよくなくて、恐怖しかなかった。てんかんは神経細胞の過剰な興奮で、脳がスパークしている状態だ。コントロールできないと生命の危険、運よく回復しても意識障害や「人格」変化が残る恐れがあった。
いろいろ投薬したが難しく、まだイヌでは使用経験の少ない薬剤を試すことになった。また補液と尿量のバランスが崩れないよう、体の各部位を確認しながら点滴や投薬を微調整する。

いちど夜中に目が覚めてアリエスに向かう父ちゃんの姿を見た時、これまで見たこともない鬼のような形相だったのでびっくりしたことがある。果てしなく起こる止まらないけいれんを見るに堪えず「アリエスこんなに頑張らなくてもいいのに・・・」と口に出したら、「あきらめる理由がひとつもない」と父ちゃんは真っ直ぐこちらを見て言う。尿量が維持できて、採血データも投薬には耐えうる。考えられるすべてのバックアップをおこなっており、なによりアリエス自身が度重なる発作にも心臓を止めず戻ってくる。アリエスの意志で頑張っているのだ。どこにすべてをやめてしまう理由があるのか、と。あまりの揺るぎなさに背筋が寒くなった。けれども鬼気迫る凄絶な背中を見ていて、生命をめぐる闘いとは、ああいうものなのだったとまたぞっとした。あれほど厳しくなければ立ち向かえない。揺らいでいるようでは甘く、足を取られる。親の情に流されて客観視できなくなっていた自分に気づかされたのだった。

命を助けたいという熱意、持っているすべてを懸けて助けたいという熱意の清さみたいなものだけが、神様に認めてもらえるのではないか。父ちゃんが闘っている相手は、死神なんだと思った。あるいは、生命を与えやがては連れ戻してゆく、神への祈りのようにも見えた。

2度の生還
23日までに2回、本当に危ないことがあった。
1回目は呼吸数が極端に低下し、明らかに死に近づいた目になった。思いがけないタイミングであったため、アリエスにとってどうなのかとは思い至らず、慌てて督脈のツボを押す。かねてカイロの先生から、ここを刺激して蘇生した例をいくつも聞いていたから覚えていたのだ。ほんとかなぁと話半分で聞いていたが、実際にアリエスは大きな呼吸をひとつすると、目を開けたのだった。
2回目は父ちゃんの留守番の間に買い出しに行き、途中で危ないと連絡がきた。急いで戻るとアリエスは冷たく、かろうじて呼吸している状態。前回は無理に引き戻してしまったから、今度はアリエスの意志を尊重しなければと、家族みんなでアリエスの顔のところに集まって、それぞれに呼びかけた。寒そうでかわいそうだと思いダウンジャケットを着せ掛けてやった。体をなでながら話しかけるうち、アリエスの体がどんどん温かくなる。急いで全員のダウンの上着と防災用のアルミ毛布で保温すると、アリエスはまた安定しておしっこも出た。体力の落ちた状態では環境の影響に対処できず、冬の室内で低体温になったようだった。それからはキャンプ用のダウン毛布と防災用アルミ毛布を使い分けながら気をつけるようになった。

医療に関わっていると、すべてが順調に進んでいるのに悪い予感が胸を去らないことや、逆にどう考えても難しい状況なのに、絶対行ける気がする時というのがある。無意識な観察の蓄積なのかもしれない。神の仕掛けたいくつもの陥穽を予測し、そこは経験的に避けていく。きっとどの分野でも、説明に困る同じようなことはあるだろうと思う。この時期のアリエスは、毎日不安定に揺れながらも狭い狭い道の上をなんとか踏み外さないで進んでいる感じだった。良くなるかもしれないと思っている心がトラップになる危険があるから、隙のないように話し合いながら確認して、先手先手を打っていく。改善に伴い必要になるであろう物品も、迷わずどんどんそろえた。うまくいく時の特徴でもあるが、不思議とその時に必要な人が現れて盲点をつく助言を与え、必要な物が絶妙なタイミングで出てきたり届いたりし、何ひとつ待ったり滞ったりすることがなかった。父ちゃんには、体を覆っていた黒い霧のようなものが晴れていくように見えていたらしい。アリエスは流れに乗っかった。