新たな症状
意識が回復してから、アリエスは普段と比べると格段に量が少ないものの順調に飲食できて、硬めのおやつなども好んで食べるようになっていた。水を飲むのは下手で、水面との距離感がつかめていない様子で呑気の多い飲み方ではあった。おそらく深部感覚障害が残っていたのだろうと思う。
それらは今後の対応でどうとでもできると考えていたが、ここへきてやや食欲が低下。食べたいものもまちまちで、さっき欲しがったものも今は口に入れたくないといった場面が増える。往診してもらうと、腹部に腫瘤があるかもしれないとのことだった。教わって触診しても私にはわかりにくく、呑気で膨らんだ胃ではないかと思いたかったけど、獣医さんの診断はそうそう外れないとも思った。一瞬頭が真っ白になった。こんな時によく使われる言葉だけど、ほんとにそうなるものだなとノロノロと思いもした。そして、やっぱりな、とも。神様はそんなに簡単に手を放しはしない。往々にして、ちょっと喜ぶ状況になってから事態が悪化する。やっぱりな。
この時の私は、発症してからつけていたノートに書いている。“この子をここに置いてよいかをまだ試されているのだと思う。絶対に負けないし、神様にも大丈夫だと納得してもらわねばならない”と。父ちゃんがこの手に取り戻してくれたアリエスを、連れて行かれるわけにはいかない。
だが腹部に腫瘍があるとすると、肝機能障害も貧血も一元的に説明がつく。
先生によると、胃の幽門部にしては硬くやや大きく、脾臓の可能性があり、だとすると血管肉腫か過形成かもしれないとの見立てだった。これまでアリエスは皮膚血管腫を何度か経験しており、いずれも良性だったが血管腫瘍のできやすい可能性を病理医から指摘されている。脾臓にできたなら、表面が裂けやすく大量出血の可能性も考えなければならない。
若く元気であれば、摘出手術。エコーは必須だが生検までいっても組織型の判断が難しいケースもあり、画像診断だけでは確定診断に至らないかもしれない。化学療法の選択もあるがきつい。座る練習は破裂の危険があり中止。・・・などなど。
全身麻酔も開腹手術も無理。エコーだ。診断的価値がどこまであるかは何ともいえないが、エコーだ。でも先生のところには携帯型がない。診断がついても対応が変わらないなら、年が明けたらこちらで何とかして携帯エコーを手配することにして、出血に注意して過ごすことになった。
髄膜炎疑いの時も今回も、私たちはわが子の疾患の確定診断をつけることを突きつめずに事態に対処してきた。医師としてそのことは心許なくもあり忸怩たる思いもあった。しかし、もし今同じ状況だったなら、同じ選択をするだろう。ノートを読み返してもデータを見直しても父ちゃんと話し合っても、結論は変わらなかった。見直し考え直す作業は勇気が要ったけれども、その上でそれしかなかったと思えることは、後に湧き上がってきた後悔を、少しは軽減したのだった。
意識が回復してから、アリエスは普段と比べると格段に量が少ないものの順調に飲食できて、硬めのおやつなども好んで食べるようになっていた。水を飲むのは下手で、水面との距離感がつかめていない様子で呑気の多い飲み方ではあった。おそらく深部感覚障害が残っていたのだろうと思う。
それらは今後の対応でどうとでもできると考えていたが、ここへきてやや食欲が低下。食べたいものもまちまちで、さっき欲しがったものも今は口に入れたくないといった場面が増える。往診してもらうと、腹部に腫瘤があるかもしれないとのことだった。教わって触診しても私にはわかりにくく、呑気で膨らんだ胃ではないかと思いたかったけど、獣医さんの診断はそうそう外れないとも思った。一瞬頭が真っ白になった。こんな時によく使われる言葉だけど、ほんとにそうなるものだなとノロノロと思いもした。そして、やっぱりな、とも。神様はそんなに簡単に手を放しはしない。往々にして、ちょっと喜ぶ状況になってから事態が悪化する。やっぱりな。
この時の私は、発症してからつけていたノートに書いている。“この子をここに置いてよいかをまだ試されているのだと思う。絶対に負けないし、神様にも大丈夫だと納得してもらわねばならない”と。父ちゃんがこの手に取り戻してくれたアリエスを、連れて行かれるわけにはいかない。
だが腹部に腫瘍があるとすると、肝機能障害も貧血も一元的に説明がつく。
先生によると、胃の幽門部にしては硬くやや大きく、脾臓の可能性があり、だとすると血管肉腫か過形成かもしれないとの見立てだった。これまでアリエスは皮膚血管腫を何度か経験しており、いずれも良性だったが血管腫瘍のできやすい可能性を病理医から指摘されている。脾臓にできたなら、表面が裂けやすく大量出血の可能性も考えなければならない。
若く元気であれば、摘出手術。エコーは必須だが生検までいっても組織型の判断が難しいケースもあり、画像診断だけでは確定診断に至らないかもしれない。化学療法の選択もあるがきつい。座る練習は破裂の危険があり中止。・・・などなど。
全身麻酔も開腹手術も無理。エコーだ。診断的価値がどこまであるかは何ともいえないが、エコーだ。でも先生のところには携帯型がない。診断がついても対応が変わらないなら、年が明けたらこちらで何とかして携帯エコーを手配することにして、出血に注意して過ごすことになった。
髄膜炎疑いの時も今回も、私たちはわが子の疾患の確定診断をつけることを突きつめずに事態に対処してきた。医師としてそのことは心許なくもあり忸怩たる思いもあった。しかし、もし今同じ状況だったなら、同じ選択をするだろう。ノートを読み返してもデータを見直しても父ちゃんと話し合っても、結論は変わらなかった。見直し考え直す作業は勇気が要ったけれども、その上でそれしかなかったと思えることは、後に湧き上がってきた後悔を、少しは軽減したのだった。