アリエスが吠えることで、アリ子母と「育てる」ということについてよく話すようになった。これまでも家族の中である程度のコンセンサスを持っていたが、壁にぶつかると語り合う機会も増える。
アリ子母は、あちこちに揺れる私を見ながら自分の子育てを思い出すようだ。迷いぶつかりながら進む道。正解はどこにもなく、いやたくさんあり、しかし将来に明確な答えが出るであろう問題。
これまで、できなかったことも短時間で克服し順調に成長してきたアリエスを逆に心配していたらしい。いやーうまくいかないことがあってよかった、と。確かにその通りだ。年齢にそぐわない理解力と考える力、自制心を持った彼。過剰な期待はまちがっている。困難があったほうが、あとで成長できるものよ。・・・そうか、そうだよね。
普段はアリエスと私だけで散歩をするが、今朝はアリ子母が付き合ってくれた。アリエスの吠えは明らかによく分からない外界への不安と緊張に思える。そこで家の中と同じように話し声が聞こえている状況を作ったらどうだろうか。そういう趣旨だ。それから普通に歩くのは、彼にはのろすぎるのではないか?私が小走りなら、彼は決して前に出ることなくついてくるのだから。
のんびり話しながら歩いては時折私と一緒に走る。そして歩いてくるアリ子母のところまで引き返す。それを繰り返した今日は、運動量も増え吠えることもほとんどなく帰ってくることができた。午後にも車で出かけ、広い道で散策を楽しめた。吠えるのを我慢できた彼は、心なしか少しお兄ちゃんに見え、ちょっとだけ自信を持ったようにも見えた。
失敗しても怒っても、すぐに次へ。やり直せることは失敗とは呼ばない。アリエスを赦しふがいない自分を赦し、頭を垂れずに進むのだ。アリエスを守り導くことは24時間365日休みのない私の仕事。犬の群れではリーダーたるもの、そうやって毅然としているのだろう。気づいてみれば、結局はアリエスが私を育て日々の姿勢を変えてゆく。この子は天佑というものなのだろう、本当に。理解できない状況にあっても不安を補って余りある信頼を寄せられるよう、少しずつでも努力していきたいと思う。けれど悲壮感はなく、振り返ってそれも楽しかったなと思えると分かっている自分がいる。何より今が充実していると感じるからかな。
早朝の藤棚、午後はやぐるま草の道。花のゴールデンウィーク。
アリ子母は、あちこちに揺れる私を見ながら自分の子育てを思い出すようだ。迷いぶつかりながら進む道。正解はどこにもなく、いやたくさんあり、しかし将来に明確な答えが出るであろう問題。
これまで、できなかったことも短時間で克服し順調に成長してきたアリエスを逆に心配していたらしい。いやーうまくいかないことがあってよかった、と。確かにその通りだ。年齢にそぐわない理解力と考える力、自制心を持った彼。過剰な期待はまちがっている。困難があったほうが、あとで成長できるものよ。・・・そうか、そうだよね。
普段はアリエスと私だけで散歩をするが、今朝はアリ子母が付き合ってくれた。アリエスの吠えは明らかによく分からない外界への不安と緊張に思える。そこで家の中と同じように話し声が聞こえている状況を作ったらどうだろうか。そういう趣旨だ。それから普通に歩くのは、彼にはのろすぎるのではないか?私が小走りなら、彼は決して前に出ることなくついてくるのだから。
のんびり話しながら歩いては時折私と一緒に走る。そして歩いてくるアリ子母のところまで引き返す。それを繰り返した今日は、運動量も増え吠えることもほとんどなく帰ってくることができた。午後にも車で出かけ、広い道で散策を楽しめた。吠えるのを我慢できた彼は、心なしか少しお兄ちゃんに見え、ちょっとだけ自信を持ったようにも見えた。
失敗しても怒っても、すぐに次へ。やり直せることは失敗とは呼ばない。アリエスを赦しふがいない自分を赦し、頭を垂れずに進むのだ。アリエスを守り導くことは24時間365日休みのない私の仕事。犬の群れではリーダーたるもの、そうやって毅然としているのだろう。気づいてみれば、結局はアリエスが私を育て日々の姿勢を変えてゆく。この子は天佑というものなのだろう、本当に。理解できない状況にあっても不安を補って余りある信頼を寄せられるよう、少しずつでも努力していきたいと思う。けれど悲壮感はなく、振り返ってそれも楽しかったなと思えると分かっている自分がいる。何より今が充実していると感じるからかな。
早朝の藤棚、午後はやぐるま草の道。花のゴールデンウィーク。