日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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随句。

2010年02月04日 11時27分34秒 | 日記
私が所属している結社では自由律俳句のことを【随句・ずいく】と呼んでいる。
自由律俳句ではなくて随句と呼称するようになった経緯にはいろいろあるようだが、その辺の事情は半可通な私が軽率に喋らないほうがいいのかもしれない。
私が今の結社に入れてもらったのにはちょっとした事情があって、それまでに所属していた別の結社を脱退したからである。その脱退理由というのが実に滑稽なことで、結社の会員でもない女性との音楽用語の発音に関する言い争いが発端であった。主宰を取り巻くその女性は音楽家であり、ネット上で音楽尻取りというのをやっていて、私の書いた音楽用語のカタカナ表記が違うと他愛もないクレームをつけてきたのである。
これには理由があって、実はその直前に彼女のホームページの漢字の誤りを何箇所か指摘してやったのである。彼女は国語力に劣るのか備考欄を備考蘭と書いていた。他にもいくつかの誤字誤用があった。しかし彼女は視力が落ちてきたのでと言い訳していた。土方風情に漢字の誤用を指摘されたのでは彼女のプライドが許さなかったのであろう。
音楽用語に多いイタリア語をカタカナ表記すると微妙なところで幾つかの表記になる。例えばベートーベンはベートーヴェンだったりヴェート-ヴェンだったりするのである。そのときはスタッカティッシモとスタッカティシモとスタッカーテシモと三通りの表記があった。
私は音楽用語辞典をひもといてスタッカティッシモと書いたのだが音楽家はスタッカートの変化だからスタッカーテシモが正しいと頑として譲らないのである。私のところには某有名音楽大学教授からイタリア語の発音には小さな「ッ」が大切ですよというアドヴァイスのメールがあったからスタッカティッシモにはちょっとした自信があった。
こういう事態になったとき無学な者は悲しい。主宰をはじめ周りの者はこぞって音楽家の言い分を支持してしまったのである。孤立無援になった私は遂に所属していた俳句の結社にもいずらくなったのであるが、そのときの惨めさといったら筆舌に尽くしがたい。相手が女性だからかもしれないが私はよってたかって弄られたのである。この時には石を以って追われた石川啄木の心境がよく解った。
学歴というものが特別に役に立つものとも思わないが、何かあったときに無学であることの惨めさを味わうことがある。
学べる機会のある者は大いに学ぶべきである。
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