月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

2022年1月の日記

2022-02-15 12:49:00 | コロナ禍日記 2022

2022年の日記

 

 



 

 

 

1月22日(土曜日)
眠れなくて5時に目を覚ます。まだ宵。薄いカーテンのむこうから、白い月がみていた。消え入りそうな小ささ。そこはかとなく、こちらをみつめておいでのような。月はいつどこにいても、気がつくとそこにいる。視られている。初めてそう思ったのはバンコクの猥雑な街のなかだった。来週金曜日からの、課題がまだぜんぜんできていなくて、不安でやるせなく、ぐるぐる考えてから起きる。6時半。ペニンシュラのダージリンをいれて、外の山をみながら、飲む。結局、午後1時から7時までの「できたらはいってください」といわれていたズームにはいらず、ほぼ一日中、それを考えて、ようやく書き始めた。(短編50枚)。言葉が乏しい。アイデアが乏しい。平坦な、面白味にかけるものになりそうな予感。わたしのパソコンには、そうやって書き始めて、千字くらいで止まっているものが、ある。そこそこ。

お風呂に入るまえに、家人にいま書いているお話のあらましを話し、面白いのかどうかを、聞いてもらった。面白くないと思いながら話ている。
「それはローカルとグローバルの話ですね。ローカルのおもしろさを説いてみたら」とか。「最近、テレビで男性が洗濯機のぐるぐる回るのをみていて、いやなもの、ネガティブなものを全部、洗いながせるような気がして、いるらしいですよ」とか、アイデアのタネになるような意見をもらう。
自分にはないものが、混じる。かちっと、かたまってしまわないこと。そうすれば、文はもっと自由に伸びて、いきいきしてくるのかもしれない。

 


朝ごはんは、焼餅とりんご、コーヒー。ヨーグルト。
昼、豚キムチ。お味噌汁。
夜、ぶり大根、ちゃわん蒸し。

 

 



(写真は、1月10日のどんと)

 

1月23日(日曜日)

ぐっすり寝たせいか、朝は爽快だった。そのせいで、たくさんしゃべってしまう。勢いが止まらない。考えていたことを、次から次ぎへ口から出していってしまう。吐き捨ててしまう。それにも関わらず、気づかず、陽気に語り続けている。ばかばかしく、のんきに。止められない。

 

午後1時から4時まで仕事。なんだか急にあたまの右側の骨のようなところが、どく、どく、うずく気がした。それで、大事をとって水素浴をする(仕事でお世話になっている会社から購入した水素ガス吸入機があります)。痛みは遠のいていく。
しかし、どんどん、脳とからだに水素と酸素がはいるようになって、しまいには、すわっていられないようになり、横になった。悪寒がする。吐き気もする。
食事をとらないで、9時には寝る。

 



 

 


1月24日(月曜日)

昨晩は、早く寝たので夜中3時に目が覚める。机の前に座り、蛍光灯をつけて、3時半から書き始めた。すらすら、かける。この勢いがよいのか、よくないのか。7時半に、日がのぼりはじめたので、うずうずして散歩。気持ちよい朝もやの中を歩くのは、久しぶりだったし、気持ちがよかった。少し遠回りをして、普段の散歩より長く歩いた。途中、道ばたに、ほころびかけた薄い朱色の梅があった。紅色の梅と、ならんで咲こうとしていた。コロナ渦であつても、閉ざされたなかであっても、植物はびくともしていないのだな、と感じる。

うちに戻って、オムレツをつくった。
家人が、うれしそうに、わたしに珍しく声をかけようとしていた。
フランスの、エシレバターを結構な量をいれて、ゲランドの塩でオムレツをつくる。数年前に、パリの町中で食べたものに、近づいた気がした。

昼から夜8時までぶっつづけで仕事。途中、夕方の5時にお風呂。
さつぱり、いいものになっていない。言葉が滑って、滑って、どこまでも横道にそれ、軽薄さが増している。これ以上の軽薄を書いても仕方ないので、諦めて10時に就寝。ただ、この日はなにをたべても、口にいれるものがおいしい。健康なこと、と思える。


昼ごはんは、野菜にコーンビーフをいれたカレーライス。
夜ごはんは、カブと、人参、白菜の蒸し野菜。あじの開きのフライ。おとうふのみそ汁。

 

(つづく)

 

 



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