月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

緊急事態宣言から3日後の関空

2020-07-22 21:50:00 | コロナ禍日記 2020

 

5月28日(木曜日)

 

朝7時半時におきる。


珈琲をいれて飲み、そのまま車に乗り込む。11時の関西国際空港の便で、Nが東京に帰るので送迎するためである。

 

ちょうど20日前。同じように関空にNを送迎した。

あの時の私たちと、いま、どう変わっている? 気持ちは? 自分の仕事内容は? みえる景色はどう違う? と思いながら。車の後部座席から、流れていく高層ビル群をみていた。晴天で、雲が少なく、夏のような空が広がっていた。「ちょうど昨年の今ごろ、飛行機で北海道に行ったね」などと話しながら。

 

家から小さな魔法瓶にいれた薄めのコーヒーを持ってきていたので、それらを飲みながら、自分の強みとはなんだろう。10年後、自分に対する需要などそもそもあるんだろうか、とか漠然と、淡々と考えていた。 

時代も環境も社会自体も、変わるのだ。その時々で猛ダッシュしていくのがいい。

 

朝11時の関西国際空港。

 










20日前は、深い眠りに就いている空港の中を歩いているような気がしたけれど。きょうは、これ。テロでも遭った直後のようにあらゆる人が抜き取られた空港の「いま」 。観光客やビジネス客はもとより、働いている人すらいない。

 

「緊急事態宣言」解除から3日後。いったい何日すれば、人が日常が、旅が戻ってくるのだろう。この廃墟の空間に。夢をみせられているようだった。

あまりよくない恐い夢を。私たちは、とんでもない歴史の惨事に立ち合っている、と感じた。

 

帰宅後。お昼ごはん。肉じゃがと、ししゃものやいたん、グリーンサラダ(ゆで卵付き)をつくって、パパさんとふたりで、もさもさと食事をする。

 

気が抜けたようである。のびのび、お気楽になったようでもある。

Nも成長し、25歳。もうわたしの背中をおいかけてばかりいる、小さい頃のNではない。少し、気を遣って子供のふりをしてくれてはいるが、時々感じるさすような視線のなかに、母としての、女としての器を見定められている気がして、窮屈な緊張のなかにいた一時もあった。一番わかり合え、分かち合える存在として頼もしくもあった。

 

5時。リビングがテレビで騒がしいので寝室のドレッサーの上で原稿を書く。

 

夕ごはんは、たけのこごはん、さばの塩焼き、お味噌汁。山椒煮(こぶ入り)。デザートには、甘夏。


「清明堂」さんの、草餅。指でもってパクリ、一口サイズ。やわい餅にヨモギの味。餡がほどよい甘さでこっくりとしている。