月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

徒然なる怠惰と明日こそはの決意。

2021-06-10 00:04:00 | コロナ禍日記 2021






 

 4月22日(木曜日)晴れ

 

 インドでは二重変異のウイルスが拡大しているらしい、というニュースを聞いて布団にはいったせいか、朝方4時半、息苦しくて目がさめる。咳が出た。ぎょっとする。ふと、人類はコロナウイルスに果たして勝てるのだろうか、ワクチン接種がはじまって、イギリスやイスラエルの状況をテレビのブラウン管を通して目にし、開放感が漲った民衆の、よろこびっぷりを、乱痴気騒ぎを恐ろしくなった。予期せぬことの序章ではないか、ソファーに転んでいたのに飛び起きてしまったのである。

 

 昨晩は1時半まで仕事していたので少し寝不足だ。

 

 散歩にでた。外は新緑がいっせいにはじまっていて、まぶしい緑の幕開けだ。近所をぐるっと歩いていたら、桜の木々にさくらんぼが落ちそうにしがみついている。赤い実と、緑の実と。かわいらしくて、ほおずりしたくなる。一輪だけ、桜の花が実の中に混じっていた。少しいくと、今度は梅の実が一本の枝に行儀よくならんでいた。一昨年前におとずれた青森の奥入瀬渓谷を思い出す。









そろそろ、新しい葉っぱが出て、せせらぎの川面にゆれているに違いない。行きたい! 青森! 急いで帰って息をきらしながら、家人に、そう告げると、「いまは緊急事態宣言だからね、常識ははずれのことをしちゃあいけないよ」なんとも……返す言葉がない。正論とは、人を黙らせるだけだ。

 

 思い直して朝食を食べ、個室にこもってヨガ、瞑想。

 昨晩からよみはじめた、辻邦夫氏の本を読む。水素ガス吸入をしながら。

それから仕事をする。午後、デザイナー女子のAと電話。来月号のうちあわせ、互いの仕事をほめあい、1時間くらい話す。

 

 けらけらと笑いながら、レースのカーテン越しに外をみると。ベランダに3人の男がはいりこんで、電動ドリルとかなずちで、マンション修繕のための作業をしていた。むこうからはみえないと思って平気な顔をして(私は)電話をしているのだが、本当をいえば相手の灰色のズボンのたれ具合をみながらしゃべっている。と。あちらも、しごく自然体で、仲間の作業員とだじゃれをいいながら、「コンコン」「ガンガン」と外壁をたたいて、大笑いしているのをみて、やるな、と気になる。負けてはいられぬ。電話を切っても、サッシのむこう側で、ずっと刷毛で白いペンキのようなもので、あちらこちら塗りたくって、あげく「びゃくしょん!」とくしゃみをしたりするので、大急ぎで風呂に潜伏した。できたところまで原稿の推敲。

 

 一昨日につづいて、お風呂の中で本を読む。体があたたまりすぎて、また眠気けに襲われた。我慢できず、バタンキューッと、50分の睡眠。(風呂はやはり夕方以降でなければいけない)

 

 起きると、ゴールデンウィークの仕事が雪崩込んでいた。レギュラーの仕事だが、雑誌社から10本の依頼。こ、これは………。来週から、定期ものの仕事にもはいらねばならない。うーん。頭を悩ませ、なんとか良い返事を書こうとしていた。断ってはならぬ、ならぬのだ。コロナ渦に、お仕事を頂戴できるだけでもありがたいことなのだ。自分はついている!ラッキー!と奮い立たせるのだ、そうだ!と強く心に誓いながら。

 

 気を取り直して、止まったままの原稿に戻った。

夕ご飯は、羊肉のステーキ肉(薄いもの)を2枚。ポテトサラダ。新キャベツと海老の炒めたもの。納豆。味噌汁。デザートは夏蜜柑(皮はピューレにするために保存)

 

 食事後。テープ起こしをして、11時になったのでレンタルDVDをセット。映画館で見逃していた「82年生まれ。キムジュン」。話題作なのだ。面白かった。ストレスが、人間の細胞を変異させて、精神を犯していく話。病に侵されたキムジュン本人はもとより、彼女を見守る母と夫の悲しみが、心を打った。しかし、怠惰は癖になる。明日こそは絶対に勤勉に励もう!





最近のシネマ記録




あきれるほどに怠惰な一日を記録

2021-06-06 12:56:00 | コロナ禍日記 2021







 

 

4月20日(火曜日)晴

 

 一昨日19日には、6時に起きて30分散歩をし、ヨガと瞑想。午前中から原稿に入り、夕方には別のテープおこし、仕事。夕ご飯は、家人の好きな鯨のしょうが風味ステーキをこしらえて、日記やSNSを更新、寝る前にはお風呂で短編を1冊読んで寝るというフルコースを過ごした。これで生活習慣をきちんとおくれるようになった、とばかりに安心していたら。翌日は、リバウンドしてしまい、とんでもない怠惰で、まあ、幸せな1日をおくる。

 

 きょう、家人は出張でいない。普段なら、一日のやることをすべて終えてからシネマをみるのに、こらえきれない感情に任せて、DVDをセット「トリコロール青の愛」を観る。






 家の周囲は騒音がはなはだしい、ヴィラの修繕工事の真っ只中なのだ。それもタルザム茶園のセカンドフラッシュダージリンと、はちみつトーストを食べながら。ま、なんて怠惰な。


 20年前、この映画にはまりにはまり、そこから、ジュリエット・ビノシュの大ファンになって、監督のクシシュトフ・キェシロフスキ 監督の類いまれない才能に震えたのが「トリコロールシリーズ」。かつての自分がどれくらいこの映画を理解できたのかはよく覚えていないが。

 きょうは、ジュリーの心の動きや監督がこめたかったメッセージが(正しいかどうかは別として)わかったような気がした。自分なりに有意義な鑑賞の仕方ができたと思う。ジュリーは、夫への愛や家族への愛を何より求めてきた女性のように解釈されているが、本当は自分の作曲(音楽の創作)を最も守りたかったのでは、などと考えながら鑑賞した。そう考えるとラストの欧州統合の協奏曲を完成させたジュリーの行動に納得がいく。

 

 ノートを出してきて、シーンをはじめの部分からおしまいまで、自分なりの言葉で整理した。感想らしきものも加える。

 

 映画を見終わった時には、5、6人の工事人がいて、ベランダや妻側が包囲されていた。壁を手でさわりながら歩く人。足場をたしかめながら、電動ドリルと、とんかちで、カンカン叩かれている(家が)。人がサッシの向こうに張り付いていた。おかしいやら、うるさいやら……。仕事をする気も一気にうせて、近くの隣人とメールのやりとり。しんどさを共有し合った。そのままの流れで本をもってお風呂に潜伏した。

 

お風呂からあがって、にんにくと赤とうがらしのスパゲティをこしらえる。広島産のはるみもいつもは半分なのに1個ぺろりと平らげた。そして、なんとそのまま、ベッドで爆睡。Oh ! NO!

 30分後に起きて、また紅茶を飲むところからやり直し。あっという間に夕方になった。机のまえにすわって、パソコンを叩く。が、いまいち乗り切らない。

 

それで、早めの夕食をこしらえた。一人だから、すきなものばかりを食べてやるのである。イカリスーパーから買い求めた少しお高いめの黒毛和牛を、酒をたっぷり注ぎすきやき風にアレンジ。あとは、トマトサラダのみ。すき焼きにいれた日本酒を、ワイングラスに注いで飲む。

 シーンとつまらないので、テレビをつける。どのチャンネルをぱちぱちしても、もっとつまらない気分になってくる。今度は「トリコロールの赤の愛」を観た。

 




 

 こうなれば、もう自分の文章など、とるにたらないものに思えて続ける気にはならない。また風呂で面白い本をめくって、とろとろと過ごす。

あがって部屋をみると。荒れているなあと思い、申し訳程度にさーさーっと片づけて。寝室にひきあげ、文庫本をめくってみるが、猛烈な睡魔におそわれて抵抗できずに、寝た。Oh!怠惰日和という日記にしようか。読む側にとっては真面目な日記より、面白いんじゃないかとふと思ったりする。

 

 


 きょうも修繕工事は続いています

2021-06-02 00:19:00 | コロナ禍日記 2021








 

  

2021年4月16日(金曜日)

 

 目が覚めても、暗い。明け方というわけではなく、家自体が黒い蚊帳の中にすっぽり収まっている。動物園の野鳥園を思い出す。

 マグナムコーヒーのコーヒー豆を手動で摺り終わり、カップにお湯を通して、マグカップに移して、唇のふちにつけてすーっと吸う。瞬間に。ど、ど、どーー、どーんと外壁の面に穴をあける騒音。わたしは、口をあけて歯を掘り進む時の音を思い出す。今度は、コンコンと金槌のようなもので叩く音。







 テラスヴィラの建物修繕工事を行っているだけにしては、乱暴だなと。ため息をつきながら、まだコーヒーカップを手離さなかった。

 

 家が仕事場だし、カフェや街に出ようとしてもコロナ渦なので、仕方なくここで息を潜めて暮らしている。サッシのむこうは、足場の棒ばかりが、ジャングルジムのようにめぐらされていて、その隙間から空と山がぼんやりと透けてみえている。

 

 昨日は確定申告の書類を提出したので、きょうは神奈川の友達に手紙を書いた。これが精一杯だ。薄暗いし、人の膝の位置が自分の目線のところを忙しく動き回るのだし、ドリルの音や外壁を叩く音がするのだし、どうも落ち着かない。ブックライティングのテープ興しはずっと溜まったまま、はやく進めないといけないのに、わたしは机の前には座らない。

 

 お昼は、卵とほうれん草のチャーハンにした。

5時半になって工事人がいなくなってから、やっと風呂に入って本を読んだ。すごく面白かった。本の世界と同じように、わたしの中にも本と同じ、静謐で美しい時間が流れて、幸福だった。あがって、またコーヒー豆を摺って、一杯のコーヒーを味わって飲む。そのまま、夜の10時45分まで原稿を書いた。

 

 30分前に家人からの「電車マーク」のスタンプが、送られていた。慌てて仕事を切り上げ、いかにもキチンと生活をしていた人であるように、台所を整え、本だらけのテーブルを整えて、キャベツをあられに刻んで、ネギをいれ、粉をおだし、で溶いて、イカにあみえびや天かすをまぜて、お好み焼きの準備をすませて。おしゃもじ一杯分だけ、お好み焼きをじゅーっと焼き始めた。途中、薄切りの豚肉を5枚のせた。

 

 11時半。家人が鍵を自分であけて、ぬっと台所に顔を出す。わたしは、もうとうの昔にいただきましたよ、という涼しい顔をして、「食べる?お好みよ」と聞く。「おいしそうな匂いがしていたから」と家人。

 キッチンのガスコンロでお好み焼きを焼きながら(普段はホットプレートです)、いま、ぺろっと自分のお好み焼きは食べてしまう。あまりにおいしいので、120CCのミニ缶ビールを飲む。お好み焼きはビールといっしょに味わうもの、と教えたのは、大正生まれの叔母である。自分の体の中にするするすると、きれいに消えたイカ豚のお好み焼き。

 まだ欲しい!と体からたまらなく欲するため、家人のを特大サイズに焼いて、お皿をテーブルまで持っていき、ほんの二口分だけ分けてもらった。

 

 それから、ちっとも面白くもないテレビみて、家人と談笑していたが、寝る前に風呂をわかして読書。今度は「完璧な病室」。おしまいまで読んでしまった。この人(小川洋子さん)の書く初期の頃の作品、箱庭のような小さな場所と時間の流れ方がとても好ましい。ラストのおわり方に安心し、深夜3時前、ベッドの中へ、そーっと抜き足で滑り込む。

 


手動のコーヒーミルでのんびり

2021-05-31 00:07:22 | コロナ禍日記 2021

 

 

 



(マグナムコーヒーのホットチリドッグとオーガニックスペシャリティコーヒー)

 

 

4月13日(火曜日)

 

 きょうは家人が在宅ワークの日。

 朝から家の用事をしていて、お昼の3時頃にやっと机の前に座る。6時まで仕事をして、それから買い物へ行った。

 大阪のコロナ新規感染者は、ついに千人を越えて1099人だという。遅くなったのでお寿司でも、と思って2軒立ち寄るが、どちらも8時20分頃にはオーダーストップで9時には完全閉店。あわただしい気がして、結局は家に帰ってきてしまう。うちは五分つきの米を使用。1時間以上は浸水しないと固くなってしまう。40分浸けて、水を多めにいれて土鍋で炊いた。

 

 スーパーに甘鯛があったので塩焼きにして、蕪と新たまねぎのおみそ汁、にらと卵の炒め物を大急ぎでつくって夕食にした。(米はもさもさして粘りがなかった)

 

 買物の際に、コーヒー屋さんで手動のコーヒーミルを新調していて、ゴリゴリと力を入れてコーヒー豆を摺る。ぐらぐらと動いて安定しない。ソファに座り、脚と脚の間にはさんで、またゴリゴリと摺る。思ったより力がいった。が、じきになれるだろう。この日は、篠山マグナムコーヒーさんのエチオピア産「イルガチェフェ エチオピア オーガニック」にした。

 柑橘系かな、と思わせる、ふわっと柔らかなコーヒーの香り、口に含んだ時の酸味、スッキリしているのに奥行きある深い味だ。「うわーー、店でひいてもらう粉のコーヒーと全然違う!」と思わず大きな声を出しそうになった。やはり、おいしいものを味わうには手間ひまがかかるのである。

 夕食のお味噌汁にも、自分の挽いた自家製かつおぶしで、お出汁をとろう!と誓う。

 さっそくこの晩、お出汁を作って冷蔵庫へ入れて、1時半に就寝。

 

 


たまには一人で。仕事とシネマと。

2021-05-30 00:53:00 | コロナ禍日記 2021







 

4月12日(月曜日)晴れ (後追い日記)

 

 4月も半ばになってきたというのに、わが家はとても寒い。骨の芯が寒がっている。それで、絹と綿で交互に靴下を2枚履いて、その上に奈良で買ってきた「あしごろも」を履いて、ホームウエアの上に、毛皮のベストを着ている。

 

 なぜ、これだけ寒いのか。外へ新聞をとりにいけば、春っぽいホコリの混じった生ぬるい風が頬にあたる。ということは、家の中だけが寒いということ。神棚や父の写真、バリの神仏から漂ってくる? いやいや。たぶん、ヴィラ1棟、足場(大規模修繕のため)を組み、真っ黒い網目で太陽の光や、外気から覆われているからではないかしら。寒い部屋に、吉野桜がまだ咲いてくれている。4月2日に購入してから、10日間も、吉野の桜を見ることができるという幸せは、はかりしれない。

 

 きょうは、家人がいないので、朝は存分にお香(みのり苑)をたいて瞑想し、それから原稿にかかる。5時までに切り上げるのが目標だったが、結局は昼過ぎから8時半くらいまで、だらだらと書いたり、訂正したり、電話打ち合わせをしたり、といくらでもすることはある。

 

昼ごはんは、鯖味噌、納豆、ブロッコリーのおひたし。

夕ご飯は、すき焼き風、肉豆腐。グリーンサラダ。おつけもの。

 

 一人の食事のあと、TVをつける気にならず映画「ボンヌフの恋人」をみる。







2回目だ。ジュリエット・ビノシュの初期作品。最高!視力を失っていく女、車に引かれて脚をけがした男。だから出会えた、パリでの路上生活者の恋愛。

 はじめて心ひかれた女に、手を出せず、どこまでも寄り添う。破天荒に遊び、歌い、笑い、孤独を抱きしめあう。男の一途さ。なにも持たない同士だから野生たっぷりに愛しあい、信じあえる。純粋な目がとらえたパリの街、花火、夜景、水上スキー、セーヌ川を何度もわたる。恋愛ってやっぱり自己中なものだって宣言。いいじゃないの。楽しくいきましょう、それがパリよ、と。塞ぎがちな気分の時におすすめ!古きよきヨーロッパ万歳。

 

 11時半。見損なっている仕事関連のZoomを1時間みる。1時に就寝。

 

 

 


マンションの大規模修繕工事はじまる。

2021-05-25 23:34:00 | コロナ禍日記 2021






 4月8日(木曜日) 晴れ

 朝はヨガ、瞑想。午後から仕事をする。

 きょうは、家人が在宅のテレワーク。ついにうちのマンションの大規模修繕の工事を始めた。鉄芯を巡らせ、ジャングルジムみたいな足場をつくっている。「観念しなさい。君たちは包囲されている。手を上にあげて出てきなさい」と閉じ込められているような気持ちになった。






 ゴーゴー、ドドドッ。ドリルで外壁に穴をあける音が、部屋中をふるわせる。ミシミシと柱が動く。カンカンカンと鉄と鉄を鳴らす音。工事の騒音はすごいのに。学生時代の文化祭や体育祭行事で大道具、小道具をこしらえている感じすら。チームワークは、バッチリなのだ。暗い部屋、息を潜めて静かに隠れている約2名の住人の図を想像した。カンカンと鉄を打つ音にまじって、ひそひそと話を聞いている内容のほうが面白い。

「ちょっと、こっち手伝ってや」「あかん、たらん。のばして」「よっしゃ、はまった」「昨日な、おれ、晩たべてないからふらふらよな」「お前なあ」

 

 住人は平気で、盗み聞き。にぎやかなものだ。彼ら工事現場のお兄さんをつい、信用したくなるのは、その規則正しさにも現れているのだった。8時45分に、人がわらわらとやって来て、10時前にはすっと引いていなくなる。午前中の休憩タイムは40分間だ。

 

 12時から昼1時。3時から3時45分までも休憩タイムらしく。ものすごい騒音と金属音が一瞬にやんで、シンとした静寂の時がもどってくる。その緩急はすばらしく、「動」が激しく活気にあふれているだけに、静は湖のそこのように静まりかえっている。

 

 夕方5時。ぴたりと音がやんで、家人のテレビ音がひとしきり大きく耳に響いてきた。ふー、ため息が思わず出た。きょうから7月まで延々、修繕工事が続くのだという。

 夕食には、みそかつ卵のせ、グリーンアスパラガスとゆでたまご。グリーンサラダ、しじみの味噌汁。夕方からテープ興しを12時半近くまでした。ようやく8時間終ったが。まだ6時間以上残っている。

 夜中2時、お風呂にはいって本を少しだけ読んで就寝。

 


食卓に花があるだけで

2021-05-24 22:14:00 | コロナ禍日記 2021









 

4月7日(水曜日)

 

 土曜日に下のスーパーマーケットで購入した奈良の吉野桜。2分咲きを買って帰ったのが、7分になった。部屋が非常に明るい。枝の先にぷっくらふくらんだ黄緑のつぼみ。少ししわがはいった白い5枚の花弁、レモンイエローの花粉をつけた12本ほどの花弁も、とてもかわいい。毎日、花見酒、花見の食卓を高じて上機嫌である。

 いまも、篠山で借ってきたいちごをパクリとやりながら、その上に宝塚牧場のヨーグルトをたらーりとかけ、食卓でひとり花見を楽しんでいる。

 

 お昼ごはんは、長崎の皿うどん。具にはちくわ、新キャベツ、ピーマン、人参、マイタケ。中華スープをつくり、後は吉野葛を水に解いてまわす、簡単なものでも十分に満足。

 

 午後1時から6時まで原稿を書く。ダイニングテーブルで校正し、訂正し、区切りのところまで書く。休憩には、この間から読み進めている吉田修一氏の「パークライフ」を読んだ。𠮷田修一氏の文章は「翼の王国」のエッセイからファンになり、小説としてはまだ2作目。

 

 肩の力をぬいて、できるだけ軽く書こうとされている。読んでいてリラックスする楽しい小説。特に事件らしきものが起こるわけでもないが、主人公の佇まいに好感がもてる。リアルな主人公、リアルな視点、リアルな日常が描かれている。構成も文章も、観察眼も上級である。土台がしっかりとしているとこれだけおもしろく読めるのだと、ある意味、特別な本でした。

 

 夕ご飯は、百日鶏の照り焼きステーキ、からし菜とレタスのサラダ、もずく。おつけもの。お味噌汁。5分づきごはん。

 

 8時から映画をみる。「ペトラは静かに対峙する」。






詩的な映像。静かにドキュメンタリーのように人生の中の時間の流れをみせる映画。ペトラをとりまく不遇な出来事を、淡々と描く。芸術と金を最も価値がある、とする冷酷な父。ゆがんだ孤独。しかし、この映画は欠陥の多い高圧的な男(父)を描こうとしたのだろうか。むしろ、自分の意のままに、行動しているだけで、その理由づけを、偏屈に語っているだけではないだろうか。とも思えてくる。射殺されたシーンで、ちっともスカッとしなかったから。同情心すら沸いてきたから。ラストの一幕で、ペトラと娘とのシーン、義理の母(父の妻)とのシーンがなおさら、ほほえましく温かく映った。好きなタイプの作品だ。11時から風呂に入り、1時に就寝。

 こんな平凡な日が理想だ。

 


2時間のウォーキングはご近所のFと

2021-05-20 02:50:00 | コロナ禍日記 2021

 

4月2日(金曜日)晴れ   

 

起きて、瞑想とヨガ。このところ恒例の朝読書。

お供にしている飲み物は、白湯から葛湯に切り替えた。奈良の黒川本家の葛を水にとき、少しざらめ砂糖を加え、熱湯をそそぐ。おいし。






 今朝は、ご近所のライター友達であるFと、近くの住宅街の中を50分歩いて、桜の樹木をみながら、高速道路のパーキングステーションまで、急勾配の道を上がったり降りたり、150度カーブをぐんぐん歩たりした。

 全ての時間にして約2時間コース。






 2020年のコロナ禍は、一度も会わなかったのでつもる話しがたまり、笑いながら喋りながら、歩く歩く。

 NHKで、この頃、好んでみているのが「歩くひと」という番組であるが。


 この日は、ウォーキングシューズとナイキのウエアという服装で、薄桃色の桜の中を、歩きつづける喜びを味わった。そして高速道路沿いにある最寄りパーキングでのランチという流れに。同業なので仕事のことを少しと、近況の報告やコロナのこと、家族の成長話など。ランチからコーヒータイムへ、再び帰りのウォーキングまで延々と話し続けた。よく笑った日だった。

 

 駅前のスーパーの前で手をふって別れる。ご機嫌ついでに花屋で「吉野桜」の木を4本購入。ガラスの花瓶に生けて食卓のテーブルの上に飾った。わが家での花見、第二章へと続くことになる。

 




 

 

 

 


花のころ。平安神宮から歩く、歩く  関西の桜巡礼(3)

2021-05-15 01:00:00 | コロナ禍日記 2021

 

4月1日(木曜日)晴

 

近所の桜もいよいよ満開近し、朝に夕に花を仰ぐにつれて、気もそぞろ。再び、京都の桜が気になりだす。

ということで、友人を誘って平安神宮まで出かけていった。

 

目当ては、当然として「八重紅垂桜」だった。遅かったのか、早かったのか。朱塗りの門から、明治に作庭された神苑へ入るところで立ち止まる。

ほんとうなら、溢れるように咲き競う紅垂桜と朱塗りの建築の風雅に、心奪われるはずだけれど……。うん? 色は薄ピンクで、色香が漂う紅色ではない。

あの雪崩のごとく華麗さはいずこに。恥じらう可愛らしい花枝は? と肩すかしである。

 

たくさん、写真はとってみたもの。友人は、喜んで歓声をあげていたものの、わたしは内実、少し残念な思いでいた。






 

池泉回遊式の庭園を歩く。春の七草や新芽の緑と。花色を目に焼き付ける。

水辺へとさしかかり、淡い桜を見上げて。時間が経つと菖蒲園や、蓮が咲くのだなと回想しながらあるく。

 

 

いよいよ、最後のところだ。泰平閣から池と桜をみた。美しさには変わりはないが、何年も最高の花を見続けてきたので、やはり物足りなさを覚えていた。何を探していたのだろう。。。

 

 











苑を出る。と、に京都の写真家水野克比古氏の絵はがきが売られていた。絢爛豪華な八重紅垂桜をみて、これ。この勢いをみたかったの。

すぐさま、寺の人に訊いてみた。

 

「花の時季はこれからでしょうか。いまひとつ、寂しいようで。気のせいでしょうか」

「ああ。そうなんですな。一昨年の台風でね、ようけ枝が折れてしまいましてね。かなりの花々が被害に遭いましたからなあ。これからまた手当していきますんやけど、財政も厳しいて……」と仰る。そう思ってみると、激しい風雨に耐えた桜の花々がなお、はかなげで、愛おしさがつのる。

来年ぜひ、また足を運びたいと思いながら後にした。

 

 



 

南禅寺までまわり哲学の道のコースを歩いた。

うって変わり、満開から散りゆく桜は、それは見事だった。ざわわとふくと、虫も鳴いた。













熊野若王子神社から大豊神社まで琵琶湖疎水に沿って、細いせせらぎと哲学の道が並行して、続く。黒い枝は艶めいて、染井吉野の花が先の先まで艶やかに薄色の花を咲かせている。芝や草におちた白い花びらも素敵。

小川をながれる花びらの軽い舟がいくのを、いつまでもみていられる。時の流れがゆっくりになった。

風がざーっと吹くたびに、薄色の花が一斉に舞い散る。

とても、満足し、とてもたくさんのお喋りをしながら、銀閣寺の近くまで歩いた。

 

 

鹿ケ谷通り沿いまで降りて、「銀閣寺 㐂み家(きみや)」。一服である。

 




 

前に来てから随分とたつが、訪れるたびに休みだったので、開店していてうれしい!

ここは、赤えんどう豆に、寒天と黒密をかけた「豆かん」が有名な店だ。

贅沢に、バニラのアイスクリームをトッピングしてもらった。ふっくらつやよく、炊かれた赤えんどう豆、食べる直前に蜜をかければ、純粋なる甘さに、ほっと。おいしい。



 

たっぷりの豆が光る。賽の目に切った寒天、天草の豊かさよ、と思いほおばる。涼菓に、歩いた体の疲れが思わず吹っ飛ぶ。

 

店を出てから、まだ桜の中に出ていけるのがありがたいやら。うれしいやら。

 

 





 





帰りは平安神宮までまた歩いた。タクシーなんぞは使わないのだ。もう、日が暮れていた。ちょっと、どこかへといっても店仕舞いがはやい。あ!

創業七〇年の老舗。うどんの「おかきた」に入った。行列で入れないことしきりの店であるのに。よいこともあるものだ。初めてだった。コロナ禍だから、お客も少ないし、瓶ビールをいただいて、仕事の話しを交わし合う。

細めの京うどんに甘めのだしがよくあい、アツアツのあんの泉のなかに海老が顔をだす。ビールを1本飲みきり、満足のいくシメ。

 





 

 

花の頃。ああ、楽しや。こうして毎日そぞろ歩いてみたい。

 

 


満開のさくらの頃に

2021-05-07 23:25:00 | コロナ禍日記 2021


 

3月31日(水曜日)晴れ

    





 5時半に目が覚めてしまった。布団の中で、ああでもない、こうでもないと考えをめぐらせる。30分後、起きあがって表へ出た。ご近所にも満開の桜があるのだ。

 いつもより、長く、市民体育館のあたりまで50分のコースを歩く。20度くらいの上り坂が続くが、すべて薄ピンクの桜の雲の下を歩けるのだから、幸せの香りに酔いそうになり、みあげながら足を運ぶ。気持ちいい、これだけ歩けるのか。まだまだ、じゃないかという気になる。

 

 ソメイヨシノが主流だが、シロヤマザクラや、紅しだれも数百本ある。住宅街の干し物や庭に散乱したおもちゃに、目が奪われて、飛んでくる鳥の鳴き声にも耳を澄まして歩く。感覚が内から開いていくのがわかる、蕾が眠りから覚めるように。朝の散歩は感性のエンジンをまわす。


 帰宅後。奈良の葛を水に解き、ざらめを少々加えて熱湯をそそぐ。おいし。この「葛湯」を啜りながら小川洋子さんの処女作「揚羽蝶の壊れる時」を読む。ヨガと瞑想をして、仕事をした。




 夕食はカレーライス。仕事のあとのお風呂で、本当は原稿の推敲をするつもりだったが、自分の書いたものがつまらなく思えて、朝読んでいた「揚羽蝶の壊れる時」を読み、そして読み終わった。それで十分に満足してしまい推敲もしないで就寝するところだ。

 この作品。ストーリーの展開に起伏も少なく、登場人物は3人+1。書きたいもの、なぜそれを描写したかったのか、という作者の強い欲求(願望)があれば、時代を越えていつまでもひきつけられるのだ。独特の不穏の空気に閉じ込められる幸福感がある。正常とそうでない状態の境界をみつめる。

「放っておいたら汚物になるものを食べて生きている」「濡れた果物のような顎からの線」(男性の比喩)

 自分の眼に映ったものを執拗に観察し、なぜ見えたのかを執拗に考え、それら他人の目で解釈する。一文、一文を、石を積み上げるようにして物語にしていける。それは信念だろう。

処女作には、その言葉が示すとおり、編集の担い手のおもわくや、書かねばならない世論的なものはあまり感じない、最も作者の原風景的な匂いに濃く出会えるからすばらしい。といつも思う。 

 

 


フランスの片田舎の郷土料理!ビストロスリージェ

2021-04-27 00:30:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

 桜をみたあと、京阪電車の出町柳へ。息をはずませて駆け込み、「予約をしていたのに遅くなってすみません」と平謝りした。来店は3度目。フランスの田舎町にあるようなこぢんまりとしたよい店だ。

 白の塗り壁と太い梁を組み合わせたウッディーな内観。アンティーク家具のしつらいや小物づかいに温かみを感じる。鰻の寝床式に奥行きがあり、厨房、カウンター席、テーブル3席の構成。BGMは、くぐもったシャンソンである。

 ちなみに夜もシャンソンがかかる。

 

 ここは、ビストロ好きの間では、ちょっとした人気。例えば作家の千早茜さんなど。フランス各地の郷土料理が味わえる。 

 ランチには、スープと前菜、メーン、デザートかチーズかを選ぶ。(この日は3500円) 

 スープには、セロリと菜の花のポタージュ。山菜独特のほろ苦さと甘みが調和し、最後の一口までおいしい。バゲットもパリッと割ると発酵した小麦の香りがする焼きたて。バターもフランス産のものを使う。

 

 



 

 前菜には、うさぎのパテをオーダー。食べやすく、しっかりと肉の味を感じさせ、脂身に深みをもたせる。食べ応えのある一品だ。ビネガー風味のソースに味付けされたキャロットラぺ、紫きゃべつのサラダもたっぷり添えられている。ちなみに自家製サーモンのサラダも旨い!



 メーンには子羊の煮込み。じゃがいもやにんじん、豆などの野菜と香草を合わせた煮込みで、ビストロの定番。ローストで供されるという予想を裏切り、驚きがあったし、ボリュームもある。 



 

デザートには、3品盛り合わせとご機嫌だ。コーヒー、紅茶、ハーブティー付き。

 



 

 昼から白ワインをのみ、シャンソンに聞き惚れてディナー料理並みの贅沢なひとときだ。素材の旨味をひきたてる濃い味はワインが進むからなのだろう。パリ街区で食べたビストロを思いだし、卵料理やムール貝、エスカルゴなども味わいたくなった。

 

 このあと、昨日、Nと下見をしておいた京都御所の糸桜と、同じく台湾茶のお茶処「福到」もYちゃんに紹介、立ち寄る。曇り空の昨日とうってかわって明るく咲き誇る桜がみられた。見る相手で花の色香も変わる。いよいよ、京都の桜は満開まで1週間の、華やかな季節がはじまる。






 

 


2021年 関西の桜巡礼 醍醐寺(2)

2021-04-25 21:48:00 | コロナ禍日記 2021
 
 
 


 

 3月20日(土曜日)晴れのち雨

 

 昨日の昼は曇り、夜は大雨が降った。おかげで、今朝は晴れている。駅までマスク姿で坂道を下っていきながら、桜の蕾に光があたりマイナスイオンの湿気が顔にふれ、頭の芯がさえてくる。

 電車の中で外をみて、本を読んで2時間。着いたら京都地下鉄の醍醐駅だ。友人のYちゃんが、めがねの中からニコニコしてわたしをみていた。「お久しぶりね」この日はいつものバスに乗らず、住宅街をまっすぐぬけて歩いて、醍醐寺まで。(約15分)

 

 まだ朝の10時。花びらを開いたばかりのまだ時間の経っていない優しい色の垂れ桜が迎えてくれた。青い空とのコントラストが美しい。




 

「三宝院」は葵の間をはいり、秋草の間、表書院などをみて歩くのだが、この日は、通常は非公開になっている特別拝観が行われていて、純浄観、本堂、奥寝殿、松月亭などが拝観できる。大はしゃぎで、追加料金(500円)を支払い、いそいそとまわった。

 庭がまた美しい。ふたつみられた。

 







 純浄館は、四季を描いた襖絵が見事だ。青い芝の中に桃山の頃の紅しだれ桜が見事に花の気を漂わせていた。茜色の襖には紅葉の海。どの部屋にも畳と襖絵と床の間のしつらいがしっとりと古くて、緊張するほどに素敵だ。本堂には弥勒菩薩、弘法大師の仏などが安置されていた。

 表書院から出る庭。小さなせせらぎがあふれ、青松や石、古木の色艶の縁やひさし、床框、舞台など。佇んで、スケッチしたいくらいだ。純浄観の前の枕流亭もすばらしかった。

 

 そのまま西大門まで。ここからが醍醐味。

 五重塔、金堂、弁天堂などをぐるり。桜の木をめでながら歩ける幸せ。どこを眺めても、ピンクの花弁からあふれてくる清浄が空気に溶けて、感情に訴えかけてくるようだった。好天があとを推す。

 

 











 

 Yちゃんの提案で、上醍醐まで歩いた。薬師堂、五大堂をみて、西国十一番札所の准胝堂まで来た。

 あら。お堂の外から般若心経の読経が聞こえ漏れてくる。テープを流しているのだろうと思うけれど、声がしっかりとして腹から響く肉声として届く。期待しながらあがってみると、黄金色というかクチナシ色というか、畏怖漂う袈裟をまとった僧が12人ほど、正面中央の准胝観音、御大師さん(弘法大師像)を仰いで経を唱えておられ、厳かな雰囲気に。こちらも迷わずに頭を垂れた。

 

 すると。今度は僧たちは、すくっと立ち上がり、円(えん)をつくられて、ぐるぐるとまわりながら、祈祷をされだしたのだ。読経。たくましく太い声と袈裟の袖が僧の動きにあわせてゆれる。足をふみならす、大胆な動きに見惚れ、ここにちょうど居あわせたことを偶然だろうか、という気持ちになる。せめて、手をあわせ、心をあわせた。

 Yちゃんと御朱印に並んでいるのだが、そのこのこと自体が不謹慎に思え、詫びながら般若心経を祈り、時をともにした。

 

 外へでると、また明るい。池があった。黒い鯉が、仏の姿にみえた。准胝堂が水に映っていた。

 








 

 深い感動を覚えて それを口にして言いながらYちゃんと霊宝館へ。

 







 

そして周囲の庭を写真を撮影し、桜を何度でも愛で、取り憑かれたような顔をして、醍醐寺を後に。今度はバスへのり三条までいくところ渋滞で駅まで。ランチを予約していた「ビストロスリージェ」まで1時間、電車にゆられた。

 

 

 

 


2021 関西の桜巡礼 京都御所(1)

2021-04-19 22:22:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

3月19日(金曜日)晴

 

 明日、Nが東京へ帰るので、関西の桜を見て欲しいと京都御所へ。阪急電車、京都地下鉄と乗り継いで「今出川」で下車。同志社大学の校舎を通り抜けるが、生協は閉じられ、学生はぽつり、ぽつり……。春休みのせいもあるだろうが、コロナ禍の閑散としたキャンパスである。

 

 

 同志社大学から同志社女子大学の正門へ入るところを、森林のほうへ渡ると京都御所の敷地内だ。青松をみながら、ざくざくと砂利道を歩いて、右手が近衛家の邸宅跡。かつての庭園にあった池は今も「近衛池」として残り、邸内にあった糸桜はいまもなお、京都の春をいち早く告げ、親しまれている。

 

 京都は桜の開花宣言をしたばかり、こちらなら咲いているだろうと期待してやってきた。

 着物の女性を何人かみかける。緑の松と桜が同じ敷地内に、同じ力で魅せてくれる。御所という場所柄もあり、「浮世絵」をみている心地になる。糸桜はピンクというよりは、花が白く、繊細にたれこめる。

 

 






 

 まだ開きはじめたばかりの花の枝も多い。咲き誇っているというより、ぼんやり咲いている。松もぼんやりとしている。(京都らしく、おっとりとしているというほうが合うのだろう)。いまの波長と似ているのだ。

 

 せっかくなので、敷地内を歩き回ってみた。

 花のよくみえるところに、長いベンチがあったので休んでいると、隣に中年のおばさまたちが3人で座っていらっしゃり、おしゃべりが聞こえてくる。すごい、はしゃぎっぷりで楽しそうなこと。

「きれいね、よかったわね」「こんなに楽しいなんて、昨年はこられなかったからね。ことしはいいわね」「わたしたち、コロナにはかかっていないから、ちょっとくらい、しゃべっても大丈夫なのよ、ぜんぜん平気よ。ねー」と。学生も顔負け。おかしくて。わたしは桜のほうに顔をむけたふりをして、苦笑。

 

「ねえ、なにを笑っているの?」「黙って聴いてごらん」とわたし。一人で花をみるより、おばさんや子どもたちやカップルたち、そしてNともに桜の花をみられて、さらに幸せな気持ち。

 出町柳まで歩いて、台湾茶のお茶処「福到」へ。新しい店だった。奥行きがあり、坪庭もみえる。

 

Nは桂花烏龍茶、わたしは阿里山金萱烏龍茶で。

 





 

 清々しく、後味にほんのりと甘みの余韻がひろがる。美しい、いいお茶だった。香り、のど越しに。台湾の時間に思いを馳せた。

 友人へのおもたせに、阿里山金萱烏龍茶を購入する。

 

夜は、ちょっとだけ。ということで昨年末以来のイタリア料理「カンティーナ・ロッシ」に足をのばす。

 前菜とパスタを2種ずつ。赤ワインで乾杯!

 「たことじゃがいも」の前菜。ほくほくのじゃがいも、たこは柔らかくむちっとしているのに、喉に落ちたら、サッパリ。春たこはやっぱり格別。トマトとモッツアレラのカプレーゼも美味しい。

 ほか、ゴルゴンゾーラのパスタ。菜の花とからすみのペンネで。両者、濃厚でワインに合う。

 上品で可愛いマダム。安心できる豪腕シェフ。帰り際にコロナ禍での営業形態など会話した。少し前、緊急事態宣言も解除され、京都らしさを満喫した一日!  










 


 

 


高校時代の恩師の言葉に救われたという話し (備忘録)

2021-04-14 01:22:49 | コロナ禍日記 2021
 
 


 
 
 
 

2021年 3月15、16日(月、火曜日)

 

 コロナ、コロナと気遣いしている間に高齢の母が死んでしまったらどうしようという恐怖に駆られて、電車で2時間かけて、実家に帰る。娘よりも孫かわいさだ、と考え、「行くからね」と母に電話してNを同行させた。

 

 わたしの頭の中の母は、弱々しい声で話し、縁側でぼんやりとしている。悲観的なことが頭の大半をしめ、いつ死ぬのだろうかと気弱に話し、一人のごはんが不味い、とため息をついているのに。

 現実として目の前にいる母は、艶のある美しい銀髪で、頭もしっかりとしており、笑っているのだし、とても明るいのだった。ものすごい食欲で、「おいしい、おいしい」と連呼して食べる。父が他界し33年。「働きもしないのにお金の心配もなくここまでやってこられたのは、自分がやりくり上手で若い時代に節約家であったから。いろいろな苦労したからよ。見習なさいね」とNに説教を長々とするのが目の前にいる母なのだった。(父の功績はどこへ行った!)

 

 一昨年、仕事の縁で得意先から水素ガス吸入機を購入し、約1年半。本当に声に張りが出て、話す内容にも自信が感じられるまでになった。

 今日も菅総理の会見をみて、わたしとNが顔を見合わせてニヤリとしただけで、それが気になったのか、不思議そうな顔をして、「なんで、笑ったの? どこかおかしかった? ね。なぜよ」と台所で甘鯛に包丁を入れているわたしの真横までやって来て、言いつのる。講義の声だ。

 

 ふふ。なぜ菅総理に思い入れたっぷりなのだろう……! 89歳の母にして、菅さんは他人とは思えないそうである。口下手な身内に見えてくるそうだ。言われてみれば、ちょっぴりかぎ鼻のかたちといい、どこを見ているのか読みとりにくい灰色の瞳の色といい、うつむき加減から唐突に話し出すところなど、父の面影と似ていないこともない。

 もう少しユーモラスな人ではあったが。母っておもしろいなぁと思う。全く可愛い人だなぁとも。政治手腕はどうであれ、できることなら母のために解散総選挙を後に遅らせてほしいものだ。

 

 今回の連泊での収穫といえば、もうひとつ。掘り出し物のサイン帳と日記であった。二階の和室に掃除機をかけていると、

「これ、おもしろいものをみつけちゃった」とN。私の小学校5年生の頃と中学時代の日記を探り出して暗唱をし始めた。「やめなさいよ。こら!」と必死で取り返そうとするも、Nは興味津々。それはそうでしょうよ、気持ちはわかる。わかるけれど、ダメ!

 

 びっしりと綴られた日記にはは、みるのも読むのも恥ずかしいのだが、いかにも感受性のかたまりだ。例えば愛と死に関する詩や、ゲーテ風の格言、男の子の事なども切々と書いてある。中学に差し掛かってきたら「ハッピーさま」と架空の人をつくりあげて、日常の報告していた。アンネの日記(あしながおじさん?)に影響をされていたのかなと思い巡らせてみるが、いまとなってはわすれてしまった。

 

 恩師の手で書かれた、サイン帳だ。

 





   確か、世界史の先生は30代だった。 

 18歳の卒業時に自分がどれだけ心を打たれたのかはわからない。けれど、いまになって大きな勇気をもらう。書かれた先生と舎監(シスター)のあの時の声で読む。

 

 自分という存在価値を認め、希望をもって水やりし、粘り強く育ててやることも大切。よいところも、よくないところも一番自分が知っているはずだから。すくすくと自由に伸びていくよう、諦めずに見守ってやらないと。一生の付き合いなのだから(もっと自分のことを大事にしようという話しです)

  ふるさとに帰ること。もう一度、大事なことに気づいて、振り出しにもどる。また始めてみる。そうやって人生は続いていくのだ。

 

(個人的な内容でお目汚しさせてしましてすみません)備忘録

 


終いの鍋

2021-04-12 01:09:00 | コロナ禍日記 2021







 

2021年3月14日(日曜日

 

 夕方の便で、Nが帰省してきた。最寄り駅よりも、ひとつむこうの駅まで車で迎えに行く。ついでに阪急百貨店で食材を調達。宝塚牛乳で、瓶入りのプリンとシフォンケーキを買う。1月以来なので、随分と会わなかった気がする(仕事で東京へ出向いて以来)

 

 今晩はあんこう鍋にした。あんこうの肝をだし汁にといて、滋養たっぷりにしたスープで、身がほろっと崩れるやわらかい白身の魚をふーふーっといいながら口に運ぶ。

 「おいしい。たらよりもずっといい」。鮮魚の鍋にするなら、くえ鍋かあんこう鍋がいい。うまいなーといいがら、また口に運ぶ。あんこうの身は淡白なうえ、骨がおもちゃの骨みたいに透きとおって美しい。口にいれた時に身離れもきれいで、ほろっと剥がれて、吸うとちょっと骨がしなるところも気に入っている。今回も奈良吉野の葛きりを入れたのがよかった。夏の冷夏となるほどの純な口当たり良さ。鍋でもいい仕事をしてくれる。

 ほんのちょっと原稿を残していたので、滋賀県の純米吟醸(萩の露。里山)に少し炭酸をいれて軽く飲む。今回のNの滞在は6日間だという。