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月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

春の夜散歩

2021-04-11 00:11:00 | コロナ禍日記 2021
 
 


 
 
 

3月9日(火曜日)

 

 起きてすぐ、(昨晩お風呂で読んでいた)向田邦子氏の「胡桃の部屋」の続きを読みおわる。心を打たれた。エッセイよりも、向田邦子が濃厚だ。朝から酔っぱらった。向田邦子の(作品の)色香に。この人の爪のアカほどの才能があればと天を仰ぐ。

 

 気を取り直してヨガ、瞑想を10分。20ページ分の色校のチェック。無事、昼すぎに今号の入稿を終える。

 

 お昼は、一昨日にしょうゆと酒、みりん、にんにくとショウガのみじん切りに漬け込んでいた鶏肉を、小麦粉とパン粉をつけてカラリと揚げて食べた。付け合わせは種々のグリーンを交ぜたサラダ。にんじんスープ(昨晩の残り)。

 

 夜8時まで仕事をして、夜の散歩。気持ちいい、むーっという虫や生き物の息が私の耳まで聞こえてくる。地からわき上がってくる、春の気配。暗い夜道ながら、ちっとも怖くない。いつも通る道の途中の軒下に、紅垂れ桜ならず、垂れ桃がさがっている。花の下までいって、近づいて匂いを香る。桜とは違う、甘々しい花粉のにおい。見上げれば、傘になって花筋が自分に降っていた。30分歩いた。久しぶりだ。10分の時よりも、体の深部まで夜の気配が浸透したようだった。

 

 

 

 

 

 


ある日小川洋子さんのZoomイベントに参加

2021-04-08 23:58:00 | コロナ禍日記 2021






 

3月6日(土曜日)雨

 

 起きたら雨だった。7時に起きて瞑想、紅茶とショートブレットを食べる。午前中は原稿を書く。午後から作家の小川洋子さんに聴くZoomイベントに参加。慌ただしく大阪へ出かけた。

 

 小川洋子さんは、デビュー当時、台所のダイニングテーブルの上にパソコンを広げて、小石をひとつづつ積み上げるように、一行一行言葉を積み上げては崩し、また積み上げてというように、赤ん坊(息子)の育児をしながら物語を書かれたという。

「最近、首の後ろ側が痛くて原因を探るためにひとまず歯の治療に行きました。けれど医師によると、どこも悪いところはないというんです」と話しをされた。

 では、なぜわたしの首に鈍痛が走るのか。洋子さんはその原因をあれこれ探ってみられたそうだが、医師が興味深いことを教えてくれたと話し続ける。「一つ一つの痛み全てに原因があるとは限らない。痛みは脳がつくっている、脳とはすなわち心があなたの痛みがつくっている」と。洋子さんは仰った。

 これは文学にも置き換えられるのでは?

 原因と伏線でストーリーを追い、それをラストまでに回収できる物語は書いていても読んでいてもスッキリして安心はできるけれど、本来、文学はそうじゃないところにあるのではないか。「社会や人間は原因も理由もわからない、理屈で捌ききれない部分があり、そういう闇の部分を両手で掬いあげて、ありのままに書いてこそ文学」と小川さんはZoom画面を通して話される。「なぜこれを書いてしまったのかわからない。理由(原因)や伏線も放り出されてしまったものが文豪の書いた名作にも数多くある、とわたしは気づきました」と洋子さん。

 

 次に「アウシュヴィッツは終わらない。これが人間か」イタリアのプレモ・レーヴィ著書の本を例にとって解説される。

 プレモ・レーヴィは、24才の時にパルチザンとして活動中に逮捕され、1944年にアウシュヴィッツに移送、開放されるまで強制収容所で地獄のような日々を送った作家であり化学者だ。彼が送られたのはアウシュヴィッツの中の第三強制収容所モノヴィッツであった。

 いつ強制収容所に送られるのか、わからない状況にありながら、徳や知を求めるのが人間である。ダンテの「神曲」を読みたいがために、語学を教えてほしいと僕(おそらくプレモ・レーヴィ)は言われた。明日、死ぬかもしれないのに、だ。

 本の一節にこういうシーンがある。ある雨の日に、鍋に入れた「蕪のスープ」を僕とその人はずぶ濡れになって運びながら、ダンテの神曲の一説を暗唱する。その場面を読んだ時に、洋子さんは深く感動したと話す。これぞ真実の風景が描かれていると思った。「作家は、意味合いや理屈を超えて、ただそれを書きたくて書くのだけれど。ひとたび物語を書いた後は作者の手を離れて、読者によって物語を書かれた意味を与えられるものだ。ダンテとて、雨の日に蕪のスープを運びながら、強制収容所の中でいつ死ぬとも知れない人が、自分の詩を暗唱し、生きる意味を問うて涙を流すなど考えもしなかったに違いないのですね」。

 

 描写はある意味、記憶の風景です。それをどう読みとるかは読者に委ねられている。作家は、なぜか書いてしまった。そういった神の声に耳を澄ますことが大事。なぜか、と問う。書いた意図など、もはや関係がないところに文学のリアルがあるのです、と話されていた。洋子さんが書きたいのは空想の物語ではない「リアリティだ。人間がアブノーマルな部分を抱え、それらをどうにか隠しながら普段の中に折り合いをつけて人はいきている、そうではありませんか。そういものをわたしは書いていきたいし、これからも読みたいです」

 このあと、「密やかな結晶」「完璧な病室」「小箱」などの本を取り上げて解説してくださる。質問コーナーでは、わたしも「推敲について」洋子さんに質問させていただいた。仕事の取材なら音声データを必ずとるのだが、初心に返って必死で板書した。なぜ。など分からなくてよい、けれど書かれようとしているものを深く土の中に根を下させて、客観的に観察してみることが大事なのだなと思った。


 急いで自宅に戻り、梅田のイカリスーパーで買ったお弁当を急いでお腹の中に半分だけ入れて、直ぐ別のZoomを8時半まで。終わって、お弁当の残りを食べて1時間ほど家人と雑談。それから取材原稿を1本書いて、1時に布団の中へ。寝られなくて小川洋子さんの本をもってお風呂で、「揚羽蝶の壊れる時」を読む。3時に寝る。

 

 

 

 


ほろ酔いシャンパンの後の原稿でした

2021-04-06 23:57:00 | コロナ禍日記 2021





  

2月25日(木曜日)晴

 

起きて、少し本を読む。家人は、テレワークなので、ダージリンティーとフルーツ、シリアルで朝食。11時半まで原稿を書く。

 

午後。電車に揺られてインタビュー取材。終わって、流れで打ち合わせ。3人の担当者と入れ替わり、3時間話す。

 

疲れたので、大阪グランフロントに立ち寄り、ディーンアンドデルーカへ。トマトを買ってイタリアンの前菜にしようと、モッツアレラチーズを買う。ぶらぶらと、エノテカに足がむく。

 




コロナ自粛から解放されて、どの店も人が多い。最も人が少ない店を選んだのがこちらだった。シャンパンとおつまみのついた「ハッピーアワー」というメニューを楽しむことにした。

 

カウンターには男性一人。テーブル席には男女2人。わたしは窓際のハイチェアに陣取り、黒い階段から流れてくる滝の水を飽きずにぼんやりと眺め、灯り始めた始めた光の雫を感じ、車の走る街の音を聴く。それらを間近に、贅沢な一人の宴、シャンパン、カモのロースト、ミックスナッツで夕方の時間を過ごした。

 

日常の壁をとび越えて、裏の世界であそんでいる気分。仕事の後だから罪悪感なく楽しめる。例えばそれは男性の友人が何人いるか、異業種の友人がいるかと同じように、こういう時間をいくつ隠しもっているかで、人のおもしろさは表れてくるんじゃないかという気もする。世間にはずれたこともしないで、ここまできてしまったけれど。この年齢になって、もっと力を抜いてもよかったのじゃないかな、などとも感じる。

 

帰宅後。「お嬢さんのような人から電話があったよ。『取材先に電話をかけてもいいですか』と聞かれた」と家人がいう。

 

折り返し電話をかけてみると、やはり、提出したコピーの修正だった。それも今夜中にクライアントに送りたいとのこと。え、え、いまから、仕事?

ほろよい程度にシャンパンがはいっていたので、慌てて冷蔵庫に残っていたケーキをかじってコーヒーを飲み、すぐ机に前に座ってパソコンの電源をいれる。まずキャッチフレーズを再考。選んでもらいやすいように、違う切り口のものを4案ほどつくる。

 

「先に適当に食べておいて」と家人には言った。頭が夜の街からもどってこなくて難航。どうにか提出できた(よかったかどうかはわからない)。


台所では家人が、みそしるをつくりかけている。後をひきうけ、汁物、菜の花のお浸しとほっけを焼いて、お漬物を食卓に並べた。

 

本を読んでのんびりしたいところ、11時から別の仕事にとりかかる。風呂で推敲する予定がやはりわたしの集中もここまで、眠くなって12時過ぎには寝る。

 

 


神棚の榊が病気になった

2021-04-02 00:30:00 | コロナ禍日記 2021

2月24日(水曜日)晴

 







ヨガ、瞑想。朝風呂40分。

 朝、神棚の榊の水をかえようとしたら、葉に白い鳥の糞のようなぽつぽつと。白い斑点になってついている。榊の葉が病気になってしまったのだ。

 

 神社のお札を、ふたつ並べて置いているのがよくなかったのか、とまた気になり始める。30度くらいの湯で、手で擦り取り、水道のぬるま湯で流して榊の葉を洗う。(後日調べるとカイガラムシという害虫らしい)。どこから害虫はやってきたのだろう。なぜ、十数年一度たりともかからなかったのか。いまなぜ感染したのか。

 

 榊にとってはかなり高温なのだろうと思う。葉にとってこの洗浄は辛いだろうと思いながら、ごしごしと洗う。

 

 いま、もらっている案件はとりあえずできるところは全ておわったので、日曜日に出す課題に集中しようとするが、日溜まりのなか、ぽんやり考えてばかりで進まない。書いているものが、どこか逸脱しているように感じ、違うような気がして安泰な心になれないでいる。どう修正(推敲)してもしっくりこない。どんどん離れていくよう。自分を信じるとよくいうけれど、違和感と不安がぬぐえないので、苦しい状態。まだ続いている。昨年の晩秋から……。書いて伝えたいことが曖昧だからこうなる。一日進んだら、ほっとしてすぐ気を抜き、また逆戻りである。

できるところまで書く。きょうは沈没して、2時に寝る。


いまを客観的に捉えてられてる?

2021-03-31 23:53:00 | コロナ禍日記 2021
 
 

  

2月23日(天皇誕生日で祝・火曜日)晴

 大阪城公園に散歩へ来た。今週は提出がつまっているのに、よい根性である。面のカワがあつくなったものだ。家人は、五分付きの米を買いに篠山農協へ出かけて行った。

緑の屋根瓦を泰平におろす、大阪城天守閣の凛々しさよ。祝日散歩の平穏よ。一人っきりの外出だ。

 梅林へ行く途中、おもしろきものをみた。30代前半くらいの髪の毛を後ろに束ねたお姉さんが、ぴょんぴょん、と地面を蹴って飛んでいる。なに? 近寄ってみる。すると、ポップコーンほどの豆菓子をジャンプし、高々とほうりなげている。そこへ結構大きめの野鳥が、喰らいついくのだ。野鳥はお行儀よく自分の順番がくるのを金網や地面で待機しているのだ。

 ぽーんと白い豆粒をほうりなげるや、野鳥たちがくちばしでナイスキャッチ! お姉さん、またジャンプをする。野鳥たちも1羽ずつ、トライ。おー、下から急旋回してナイス、キャッチ。

 ぽーんとやわらかく白豆が風を切って弧をえがくと、一羽の鳥が踊り出て、キャッチ! 鳥はいま飛んでくるのか、いまか、と鋭い眼つきで待ちかまえて準備している。人と野鳥が共生している。というか、遊んでいるのだが、その真剣具合が面白い。

 

お姉さんの後ろには、60代の母らしき人。母も野鳥の交信を注意深く監視している。野鳥たちは、手から離れる白豆が空(くう)にある間に、キャッチしないと、地面に落ちてしまう。地に落ちたものを拾って食べようとする鳥など一匹もいないのは、それはプライドだろうか。足をとめる、周囲の観衆は驚いて目を細めて空をみあげる。二月の終わりの小春日和だった。

なぜ? こんな遊びを思いつかれたのですか。あなたがそうやって地面から足をはなして飛ぶことで、鳥と会話し、鳥の気持ちと一体になっている、そんなところですか」と問うてはいないが、実践してみたらおもしろいインタビューになったのだと思う。 

 

大阪城梅林は、いまが見頃だった。













 

 白梅の花びらのやわらかさとみずみしさ。幹や木の黒々しく身をよじる妖艶で由緒ある、美しさ。京都の北野天満宮や中山寺の梅林、神戸岡本の梅林と。その年によって思いついたところを訪ねてみる。このところは大阪城梅林が多い。

 ここのよさは天守閣を背に梅がめでられることと、なんといっても種類の豊かさだ。マスクをしていたので、鼻から梅独特の香りをかんじられなかったのが無念だった。

 ホテルニューオータニの道路沿いに面したラウンジで一服。いちごケーキと、グレープフルーツベリーベリーのジュースで。

 

 



 

 今週末に提出する原稿の校正をした。もうすぐ6時。ちらちら針葉樹林の緑が揺れ出し、夕方から夜になる時間だった。

 

 日常の壁をつたって、高い塀を跳び越えて外界へ出ること。マスクはしていても、外で息を潜めてみることは大事。人の多いコロナ渦では時と場所を選ばないといけないけれど。外へ出て、見て歩いて、人を眺めて、はじめていまを客観点にとらえられる。

 


お洒落なおばあさんのマスク

2021-03-28 23:05:00 | コロナ禍日記 2021









2021年2月17日(晴)

まるで桜が咲きそうな陽気の日だった。
2時からの取材にむかう電車の中で、とてもかわいい女の人に出会った。大阪の御堂筋線は梅田から中津を過ぎると、地上に顔を出す。のんびりとしたオフィス街と住宅地が交錯しはじめる。

 

わたしの隣に座っていたその人は、オレンジ茶色のかつらをかぶっていた。まるみをおびたヘアのライン。からし色のブラウスに、くるぶしまで落ちたAラインのフレアースカートをはいて、黒い靴には細いベルトがしまったヒールのない靴をはいていた。草の刺繍をしたベージュのソックスも美しかった。

女の人はきれいなおしろいをつけて、朱色の口紅をしていたが、その人はたぶん、80歳を過ぎているおばあさんだ。上品でこぢんまりとし、なんてかわい。胸がせつなくなるほどの距離感。おばあさんの、おばあさんだけの空気を隣に感じ、わたしはちょっと緊張していた。

 

というのは。
その人は。さっきから何回も、自分の鼻から口もとをしきりに、上げたり下げたりして手でさわっていらっしゃる。マスクを気にされているのだ。薄オレンジのフェルトでつくられた手作りのマスクには、カーブするツタに小花が美しく咲いていた。


マスクの下に、おそらく中国製の不織布マスクをいれておられるのだろう。
下から、白い紙のマスクがはみ出していないのか、気にされているのだった。センスのよいお洒落に加え、その少女のようなしぐさが、かわいらしくて、目が釘づけ(横目)になっていたのだ。

「かわいいですね、そのマスク」そう声をかけてみたいと思うのにタイミングを探しているうちに、二駅、過ぎる。

「新大阪」へつくと、紺色のビニール製のショッピングカートをカートをひいて、急いで降りて行かれた。

わたしは、彼女がおりたあと、お洒落なおばあさんの残していかれた気配を、しばらく味わっていた。なぜ、それほど気になったのだろう……。


ふと。一昨年、なくなった堺のおばを思い出していた、のかもしれない。背は低いがとてもお洒落な人だったのだ。
小さな足のサイズに、いつもぱんぱんにむくんだ左の手に、右の手にも、エメラルドやオパールや、ある時はほんの小さなダイヤモンドをしていた。おばは髪を何十年も一人で洗ったことはないとよく言っていた。それほど髪が長かったのだ。

黒柳徹子風に、くるりとボリュームのあるタマネギヘアを美容室でしてもらいにいくのだが、晩年には、電車の中でみたおばあさんみたいなカツラをしていたな、と思い出す。若い頃は田中千代さんに師事し、多くの生徒さんをもって洋裁を教えていたので、いつも身ぎれいにしていた。会えなくなって2年がたつ。気位は高い人だったが笑う時には子どものような表情をして笑った。



お洒落なおばあさんのマスクファッションに、たいそう気をよくしたわたしは、その日4枚マスクをもっていたので、(あんな可愛い手作りマスクはなかったけれど)、ブラックの布マスクを外側につけて、内側に不織布マスクをつけてみた。

わたしは、小さい子供やかわいいおばあさんをみると、とても親しみを覚える。とても深い興味を抱く。それは、理知的や合理主義とは無縁の世界にいる人たちと勝手に思っているからだ。素直で自由で、すくすく人生をいきている「弱い人たち」だから。


こどもっぽい、強情さは備えていても。その人の中に野の花をみる、そういう健気さがある、と思っている。だから、なのか。あんな個性的なおばあさんや子どもをみると、シンパシーを抱かずにはいられない。

 

その日の打ち合わせは、とてもうまくいったし、取材もよい内容だった。
帰りには、ひとりでグランフロントに立ち寄って、春水堂にて鉄観音のタピオカミルクティーをのみ、緑とピンクと白のだんごがはった、台湾ぜんざいをたべて帰る。

 







いま、まだ風が吹いている

2021-03-11 00:01:00 | コロナ禍日記 2021


1月25日(日)雨

 

 
 

 

目が覚めたら11時だった。すごく寝た。Nはまだぐっすりと夢の中なので、シャワーを浴びる。あがったらNが紅茶とイチゴとネーブルをテーブルに用意してくれていた。

今日の予定は、南青山のスパイラルガーデンで催されている向田邦子、没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」だ。

 

隣のビルの駐車場まで長蛇の列。向田邦子さんの生誕からの年表とともに、小説やエッセイの言葉が抜き書きされてコンクリートの壁に展示。

 

 



 


直筆の生原稿や、脚本、万年筆や鉛筆などの愛用品。「かごしま文学館」から移動してきたのだろうか、向田さん愛用の黒い皮のソファーと肘掛け椅子が置かれている。向田さんの留守番電話のメッセージが、受話器から流れる。

テレビモニターからは、黒柳徹子さんと向田さんの対談映像が延々としゃべり続ける。

見上げたら細い鈍色の塔がそびえていて、長い短冊(ファックス用紙)に綴られた向田さんの言葉(メッセージ)がふわふわと落ちてくるという演出。小泉今日子の声が、向田さんの小説やエッセイを朗読している。

 

わたしの上に落ちてきた言葉は。

「みんな、なにかを待っているのです。沢山の女たちの何かを待っているという思いがーー夜の空気を重たくしているのかもしれません」(ドラマ、あ、うん)だった。

「おかしな夢を見た。夫が石のお地蔵さと麻雀をしている。地蔵尊は三体である。赤い前垂れをかけて座っている。みんなおだやかな顔で夫に笑いかけている。笑い声は女の声だった。「男眉、思い出トランプ」

思い出トランプのほうは、誰もとらなくて下に落ちていたものをわたしが拾った。

向田さんの本や自室の壁に飾られていた書画、様々な洋服の展示もあった。エルメスのシャツやイブサンローラン、シャネルなどの一流ブランドのものをさりげなく着ておられた。

 

濃密なイベントだ。向田さんが書き、話し、考え、メモした多くの言葉たちが息をして、動き出し、ここを浮遊し、40年後のコロナ渦にはみ出してきて寄り添ってくれるよう。わたしの皮膚や体の中は向田邦子の言葉でなお浸食されていった。それは幸福であり、ぼやっとした心を刺激し、呼び起こされるような不思議な体験だった。


51年を経ても色褪せない言葉と一人の女流作家の生きた道。誰にも似ていない、大衆に視点をおく、人生を客観的に楽しもうとする言葉。人柄。凛々しさと幸せな笑顔と51歳の書く女の孤独とーー。

屋外に出ると、雨が降り続けていて、突風に背中を押される。表参道がさっきとは違って見えた。いない人の面影を探しそうになる、雑踏と滲む灯りの中に。


向田さんの本には実に色々な人間が登場する。誰も癖がある。欠陥もあるのに活き活きしていて(リアルで)書き手は温かい愛情をもって育て、鋭く描写する。本当に稀有な書き手。

 

ぼんやり歩いていたらNが近くの地中海料理の店へ誘った。

地中海料理の「cicada(シカダ)」という。

いきなり多国籍な匂い海外のレストランのよう。人が多い。若者も多い。アーバンな雰囲気が落ち着かず、透明ビニールで屋根を覆う屋外ガーデンのような場所へ移動。密集していないところに席を移動させてもらった。海外の人のほうが慎ましく食事をしていた。
騒ぐのは日本人の若いグリープばかりだった。

食べ方といい、素材使いといい、珍しくて、開放にあふれていた。ひよこ豆のディップ、プロシートとハーブをつめたカラマリのロースト。グリーンサラダ、カリフラワーのフライ、地中海の白ワインとともに。アルコールをお腹に入れたらすーっと落ち着いた。

 

 







 

 

ウーフの青山店を探しまくり、紅茶を2袋買う。 
ティータイムは、ピエールエルメの2階のサロンへ。

チョコレートデザートとコーヒーをオーダー。マカロン、アイスクリーム、クッキーなども載ったバラエティあふれる一皿。隣で、ふふ、といいながらパフェをたべているNがうらやましかった。


ガラス窓の外は往来、人もみえる。

「さあ、食べるぞーという時がいちばん幸せ」とN。「人や街をきょろきょろしながら、口に運んでいる時が幸せ」わたし。








 

 ひどく寒い雨の一日だった。

一月の緊急事態宣言中の東京。マスクをつけて、ソーシャルディスタンスを強制される、匂いのない世界。この不自由さがあたり前に慣れることがありませぬようにと、願いつつ。

 


1月の東京遊覧日記

2021-03-08 23:27:00 | コロナ禍日記 2021

 

 




1月24日(土)雨

 

一ヶ月ぶりの東京だった。減便、減便とは聞いていたものの搭乗者は約3割。

大阪からの便も3割という。2時から渋谷で予定があったが、街に出かける気になれなくて、空港内をぷらぷらと。1階にてブルーシールのアイスを買い、エスカレーターの近くに座って、冷たい紫芋を口に運びながら人の流れをみている。少ない。空港内を歩いている人を指差すことができるほど。

 

 

 

 

制服姿のスタッフが暇そうに手荷物のところに待機していた。

 

仕方ないので、3階へ上がり、雨空に飛行機が飛び上がっていくのをみる。廊下のへりに腰掛けて、きょうのテキストを読む。昼食には天ぷらにしようと思った。

 

 

入口で消毒液の霧の中をとおりぬけて、カウンターへ。わたし一人だ。特製天丼も気になったが、奮発して7品の梅コース。大将が1品ずつ、揚げてくれた。お客さんもいないので、つい取材のくせで大将に話しかけてしまう。ここは、綿実油とごま油を混ぜてつかっているらしい。

 

まず、甘みののったさいまき海老から。 白身のキスへとうつる。

次がズッキーニ。かぶりつくと熱い汁がぴゅーつと口の中で飛ぶ、この勢い。

ヤングコーンは塩麹で。いまが旬の白魚と続く。舞茸。あなご。

最後に、追加の別料理で海苔をまいた牡蠣をいただいた。豪華ーー! 一人だからできることだ。

 

 













 


ビールをぐっと我慢。この感激を伝えるのは大将になる。

 

 最初は、目の前の天ぷらについてだったのに途中、大将の口が止まらなくなった。東京コロナの感染状況にはじまり、六本木の本店で安部総理の賓客をもてなしたこと。中国へ数週間、日本の天ぷらの揚げ方を教えに行った話から。海外では荷物チェックが厳重で、空港内でみつかったら最後、地元の雑誌をたったの1冊見つかったくらいで、日本からのスパイと勘違いされて、2日ほど取り調べを受けて返してくれなかった話まで、旅のサバイバルをあれこれ教えてくれた。楽しい!

 

つい、こちらも質問形式の相づち(プロの)を打つものだから、のせてしまったのは、わたしのほうだ。はっと気づいて大将の口元をみれば、唇よりやや大きいマスクシールド。ん? これはまずいか。大丈夫でしょ。ただ、これほど近距離なら、ちょっと用心をしたほうがいいかな、と気付いた。わたしはすぐ調子に乗るのだ。

 

最後の天茶をかきこんで、丁寧にお礼をいって退散。しかし、1時間以上たっぷりごちそうになって、上機嫌にさせてもらったのだ。

 

午後から講義。夜は、今回はホテルではなくNの部屋にお世話になった。

最寄り駅の東急ストアで、ほうれん草や豚肉を調達し、担々鍋をつくる。

シメは麺。お酒は、ジントニック。Nとひとしきり笑いころげてテレビをみた。

 

11時40分。「その女、ジルバ」をみて、泣く。『OLD JACK&ROSE』の看板から店内が映り込むところでもう涙腺がゆるむ。たまらない。原作とオーバーラップする。今回は、エリーさん(中田喜子)が結婚詐欺師の男に、NO!を言い渡す回だった。エリーさんのぽってりとした可愛い赤の口紅に今回も釘付けになる。この人はなんて色っぽくて可愛いらしい顔で笑うのだろう。(配役がすばらしい。くじらママはもちろん、ひなぎくさんも好き)

 

原作者(漫画)が学生時代の友人だから、かなり贔屓めにみているし、主観たっぷりなのは仕方ないが、そこをさしひいてもおつりがくるほど、よいドラマ。ストーリーがぐぐーっ!と奥深いのだ。ごく普通の人の人生を描いているのだ。



 

 


2021年コロナ渦日記を書く理由

2021-03-02 23:48:00 | コロナ禍日記 2021







 

 また「2021年コロナ渦の日記」を始めようと思う。2020年も含めて遡り書き残しておく。


 昨年、4月1日から始めた理由は、日々の流れが早すぎて、つい昨日、散歩の途中でみた花々が鼻の先までに匂いたち感動していたのを忘れたり、東京の交差点の真上にある2階の喫茶室で食べた苺パフェに心打たれたのに、遠い彼方に置いていってしまったりする自分を情けないと思ったからだ。

 記憶がもたないばかりか日々の淘汰の中に大事なものを人は忘れてしまう。全部落としてしまい、気づかないで歩き、過ぎていく。

 

 そして。もし、自分が死んでしまったとしたら。わたしを思い出してくれる人達が、スマートフォンに残った写真やアルバムを遡るのではなく、読んでいた本(書棚の中)や日記からだとしたら、十分にしみじみとかの人を思い起こせるものになるのではないか、などと思ったからである。

 

 文章にしておくと。そこに時間をとじこめることができる。何年もたって、自分も年齢を経てから取り出してみることは、ある意味、とても面白いものではないかとも思ったわけだ。

 

 わたしのコロナ禍日記は本ブログでは8月で終わってはいるが、実はその後も、ちまちまと何日か記録が残っている。新年になってしまったので、いつまでも昨年の日記を公開していては、読む人に申し訳ないと思い、途中で断ちきれ、やめてしまっていた。もうひとつ、昨年8月に万年筆を購入し、このポメラで書くよりも紙のノートに万年筆でかきつけることが多く、あらためてパソコンに入れておくことができないで、蓄積したままというのもある。文章的につまらないや、と思ったのも正直ある。

 

 

 ただ今年1月、新潮社が出版している雑誌に「2020コロナ渦日記」という特集を見つけて購入した。







面白かった。日記には生活や暮らし、時の流れが閉じ込められている。やっぱり日記は読むのも書くのも、好きであるし、心の中のもやもやを整理することにもなるので、書ける日はやはり記しておこうと思い直す。

 

 という、いいわけのタイトルから……始まります。

 家人が起き出してきました。朝食をつくらなければ。

 昨晩は、朝から提出1本。仕事依頼の原稿を最後まで書きあげる。風呂の中で推敲。

 夕ご飯は、骨付き鶏肉とにんじん、白菜の薄味煮。ポテトサラダ。トマトとレタスのサラダ。赤ワイン一杯


新春のスタートを振りかえる

2021-01-11 15:19:00 | コロナ禍日記 2021

 

 



 

2021年1月4日(月曜日)曇り

 

 年が開けたのに、なぜ新しい年に切り替わった風に思わないのか、不思議だった。どうやら一歩も外へ出ていなかったから、だという結論にいたる。31日の夜中まで原稿を推敲していたのだし、1日は年賀状と大掃除、おせち料理づくり。2日は自分の部屋の掃除とおせち料理づくり、3日から少し、なにかちょこっとした仕事をしながらおせち料理。と、4日間続けて、おせち料理をつくる。

 

 もちろん。おせち料理だけでは寂しいので、1日は豚のしゃぶちゃぶ(昆布の出汁と日本酒とにんにく一かけをまぜたものを、豚の薄切り肉とほうれん草で食べる)、2日はステーキ、3日は寒ぶりの刺身とメーンはいろいろ。けれど、今回は黒豆とごまめ、野菜のお煮しめ、海老煮、かまぼこ、海老芋煮を1日にこしらえて、翌日以降にたたきごぼう、紅白なます、伊達巻き、また海老芋の煮付け、などなど、毎日、数品の縁起物を足していく。という風にした。つくるのも、たべるもの、好きなのだ。お正月料理には、日日の祈りと明るい気持ちになる要素がつまっている。

 

 縁起の謂われを思い起こしながら、料理本(ベターホームのおかあさんの味、暮らしの手帖の別冊、お正月の手帖)をみながらつくる。特に根菜類のお煮しめは、冬の間、毎日あってもいいとさえ、思う。

 

 

 

3時過ぎ、ぶらっと散歩をした。

 風は冷たかったが頬にふれると心地いい。レモンの木やみかんの木など。たわわな果実の実ばかり気になった。ごろごろして、まるく、鮮明な色が目に飛び込んでくる。

 

 夜9時、NHK「ニュース9」をみていたら、作家の塩野七生さんが、イタリアからリモート出演されていて、コロナ禍のいまを風刺されていたので備忘録として書き留めておこう。

 

ーーコロナのいまは踊り場である。

ーーこれまでは、エスカレータやエレベーターで自動的に急いで上にあがることばかり考えて実行してきたが、自分の足でゆっくりと階段を上がっていくと必ず途中、踊り場にでる。そこで景色を眺めたり、体調を整えたりすればいい。自分で上がっていくには、踊り場が必要なのだ。

 

ーー日本人は100%信仰を捨てるべきだ。誰かが失敗しても、自分が失敗しても、それを承認しなければ。自由でなければ、人は自分らしくいきられないし、継続することができないのだ。自由とはなにか、失敗をしてもよいということだ。そうやって、自分のちからで再生していけばいい。

 

 こんなメッセージを発信していらしたと思う。もしかしたら(翌日の昼にまとめたから)えらく自分勝手な解釈になっているのかもしれないが。自信たっぷりにプライドをもって語っていらっしゃった。大きな椅子に深々と腰をかけて、是非、伝えたいという気迫が感じられた。