『熱中・夢中』が元気のキーポイントか?
だんだん気分が落ちる。
私は今、何に夢中になっている?
極限状態で付き添っていた夫の死の床をよく思いだす。
消えそうな命に寄り添うことに夢中だった。
夢中になるものがスパッとこの世から消えたのだ。
あのあたりの事から一年間の自分を今思いだそうとしてうまく思いだせない。
辛い記憶は自然に忘れる機能が作用しているのかもしれない。
ありがたい事に
中途半端に子供を残して逝ったからいつまでも腰砕けでは居られなかった。
次に熱中したのは資格試験だったかもしれない。
介護福祉士と介護支援専門員のW受験後、
次に社会福祉士や精神保険福祉士の通信教育課程の資料をセッセと集めた。
集めたけれど新しい仕事に就いて出来るほど甘くない事に気がついてあきらめた。
資格マニアになりそうな気運はあっという間に消えた。
それより、せっかく取った資格で就いた介護支援専門員の仕事をおぼえるのが先だった。
今思えば、それも『夢中』だったのかもしれない。
今、その仕事にも慣れた。
ちょっと醒めている。
もっと言えば飽きた。
逆に、
未決のまま中途半端なまま状態悪化してゆく人ばかりに寄り添う仕事は醒めていないと出来ない気もする。
一生何かに夢中だった人、
宇野千代さんの生家では絶滅しかけた薄墨桜満開だった。
好きだったと言う苔の中から新しい命もにょきにょきしていた。
元気なものをいっぱい観たら逆に、気持ちが落ちてゆくのはなぜ?
夢中は探して成る状態ではない。
何か事を成す、単純にする時の気持ちの在り様。
落ちてどこへ漂流してゆくのか?今、私はそういう自分に夢中になる?
千代さんは病気とか体の痛みとか体力の衰えとかがあっても『夢中』の人だったのだろう。
今朝は雨。千代桜も散っている。
まぁ~止まない雨はないとか誰か言ってた。
生活のため仕事へ行こう。
休みがあるとロクなことを考えない。仕事ってありがたい。