ヘレン・ケラーという名前くらいは多くの人が聞いたことくらいはあるでしょう。また、ヘレン・ケラーと聞いて三重苦(見えない、聴こえない、話せない)を克服したこととサリバン先生の教育を多くの人は思い浮かべるでしょう。もちろん、これは間違いではありません。しかし、三重苦の克服とサリバン先生の教育だけでヘレン・ケラーを語るのはあまりに一面的だと私は思うわけです。
ヘレン・ケラーが社会主義者であることを日本においていったいどれくらいの人が知っているでしょうか。ほとんどの人がヘレン・ケラーの社会主義者としての側面を知らないことでしょう。実は、私も関与しているメーリングリストへの投稿で知りました。この投稿には昨日の22時から22時43分までの『歴史秘話ヒストリア』(NHK総合テレビ)の放映の案内が載っていました。そこで私は『歴史秘話ヒストリア』を視聴しました。
番組では社会主義という言葉こそ使われなかったもののヘレン・ケラーが社会福祉の向上、反戦活動などをしていたことに焦点を当てていました。ヘレン・ケラーは、アメリカ社会党に入党し(1909年)、戦闘的労働組合として知られる世界産業労働組合(IWW)の活動家であり、死刑廃止論者であり、反戦活動家でした。また、ヘレン・ケラーは女性参政権運動、公民権運動、産児制限運動に熱心に取り組んでいました。そのためヘレン・ケラーはFBIから要注意人物として監視対象にされていました。
NHKの番組でも触れられていました。ヘレン・ケラーが反戦活動家であったことと社会福祉向上の活動は表裏の一体だということが言われました。戦争はこれによって障害を背負い社会的に苦しい状況に追い込まれる人を増やす原因になります。これは、ヘレン・ケラーにとってとても許せないことです。だからこそ、ヘレン・ケラーは反戦活動に熱心に取り組んでいたのです。
ヘレン・ケラーは大の親日家としても知られていて戦前と戦後をあわせて3回ほど来日しています。戦前だと1937年(昭和12年)にヘレン・ケラーが来日した際には彼女は障害者への差別、偏見をなくすことや平和思想を訴えていました。当時、特高警察はヘレン・ケラーが日本の社会主義者と連絡を取り合うのではないかとの疑いを持ち、監視していました。
ヘレン・ケラーが様々なところへ精力的に赴き社会福祉向上などを訴えていたのは、けっして慈善事業の類ではなく、社会変革のための活動であったわけです。ヘレン・ケラーは、「慈善は社会悪に対する悲劇的免罪にすぎない」と友人にあてた手紙で言い切ってさえいます。
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/354.html
ヘレン・ケラーのことを三重苦(見えない、聴こえない、話せない)を克服したことなどの美談に終始するようなことでは、ヘレン・ケラーを本当には理解できないでしょう。ヘレン・ケラーが自分の信念を曲げることなく社会福祉向上を訴え、反戦活動に参加したのは、まさにヘレン・ケラーが変革の闘士だったからです。
社会主義者として貧困を根絶するための変革の闘士であることを抜きにしてはヘレン・ケラーをリアルに理解することはできません。
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