愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

三光作戦④

2008年08月19日 02時22分45秒 | 侵略戦争でなにが行われたか
しんぶん赤旗 2008年8月14日付


 八路軍(中国共産党の軍隊)の通信兵だった王子安さん(81)=中国・山東省=は、1944年9月ごろ、同省諸城県内を退却中、日本軍に捕まりました。仲間4人で堀に逃げ込みましたが、銃を突き付けられ、捕虜になりました。

 十数人の日本兵に散々殴られたあと、日本軍の拠点へ20キロほど歩かされました。縄で後ろ手に縛られた手は、はれ上がりました。

 
 軍の拠点に6日間拘留されました。2日間の尋問を受けました。「本当のことをいえ!」。日本兵は王さんに刀を突き付け、殴りました。

 その後、諸城県にある日本軍警察総所に送付されました。かいらい政府の場所だといいます。

 木製の牢(ろう)に、4カ月余り監禁されました。鉄のチェーンが付いた足かせをはめられました。服は脱がされ、下着だけ。「ほとんど裸に近かった」

 氷点下14-15度。「凍傷になって皮膚が腐っても治療してくれなかった」。食事は数日に一回。トウモロコシで作ったバンのようなものが少し。看守に頼めば井戸水がもらえましたが、飲める代物ではありませんでした。

 一人が栄養失調と凍傷で死にました。さらに一人が半身不随になり、亡くなりました。もう一人もどこかへ連れて行かれました。「残ったのは私だけ。それでも、日本に連れて行かれるなんて知らなかったから、まだ希望はあると思っていた」

 45年1月ごろ、同省の青島へ連行されました。大きな倉庫のような所に約千人の中国人が収容されていました。王さんは建物の外に「華北労工房」の看板がかかっているのを見ました。監視役は日本軍の将兵でした。

 日本軍は逃亡を図った中国人を懲罰にかけました。「水の牢屋に入れられた」。20平方メートルほどの広さに深さ50センチくらいの水をためた部屋。「冬だと水は凍る」。一日中、入れられた人もいました。

 2月中旬ごろでした。突然、船に乗れとの命令。説明は一切ありません。船の中で日本行きのうわさを聞きました。「絶望の思いだった。もう逃げ出すこともできない。家に帰る希望も消えたと思った」

 戦争が終わって3カ月後の11月。やっと帰国できました。「母と対面したとき、母もうれし泣きしていた。私は『生きて帰ってきたのだから泣かないで』と声をかけた」

 王さんは北海道・神威の炭鉱で働かされました。1日12時間、昼と夜との二交代制。中国人労働者391人中150人が犠牲になりました。

 強制連行した日本政府と強制労働を強いた企業に被害の救済を求めて来日した王さん。63年前のことに話がおよぶと目から涙があふれました。


(つづく)


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