愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

子どもの貧困と卒業クライシス

2010年03月10日 23時20分55秒 | 貧困根絶をめざす
 「子どもの貧困」、「卒業クライシス」という言葉を聞いたことのあるでしょうか。

 現在の日本において貧困と格差が広がっていることは、完全にとは行かないまでも社会的な認識にはなりつつあります。今月は、全国の学校で卒業式を迎えます。そんななか、親の失業などの原因により、授業料を払いきれずに卒業が危ぶまれる高校生がいます。

 家計の経済力のことに関して、生徒にはなんの責任もありません。当然、生まれ育つ家庭環境を選べる人は誰もいません。生まれ育った環境のゆえに学業を諦める、あるいは途中で断念する人いるという状況は、きわめて重大な人権の問題です。様々なことを学んで人間としての発達をしていくことは人間としての根源的な事柄であり、よって最大限に尊重されるべき権利です。本人の責任によらない要因によって学ぶことを断念する若者が増えていけば、当事者自身が不幸であるばかりか、社会全体にとっても計り知れない損失です。なぜなら、様々なところで様々なことを学んだ若者の成果は、いろいろな形をとって社会全体に還元されるからです。

 若者の発達の機会が、本人の責任によらないことによって阻害される社会は、希望の持てない社会と言えるのではないでしょうか。私は、大学まで家計の経済力に関わらず進学できるように無償とするべきと考えています。当面は、高等学校の学費無償化を図るべきです。

 日本共産党をはじめ、革新的な勢力は日本の教育政策の貧困を告発するときによくヨーロッパ諸国と比較します。というのは、資本手具国でもスウェーデンやフランスなどでは学費無償というのが当たり前のこととなっているからです。というのは、教育は社会全体で保証するべきという社会的合意が形成されているからです。民主主義の発展にとってすべての人民が適切に教育を受けていることは、不可欠です。そのことと、対比すると、日本の教育政策に持ち込まれている受益者負担主義の歪みが浮き彫りになります。

 上記のことにあえて私なりのことを付け加えるならば、カリブ海に浮かぶ、貧しい、お世辞にも豊かとは言えないキューバにおいて大学まで学費無償化を実現していてなぜ日本でできないのか。本質的にはできないのではなくて、政府にやる気がまるで無かったと言うことです、特に自民党の政権においては。

 当面は、今月に卒業できない子どもたちが出てこないようにすることが大切です。


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