細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(75) 『さいたま市の道路、線路から考える「無くても何とかなる」という状態について』 大木 陽介(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-16 17:38:30 | 教育のこと

『さいたま市の道路、線路から考える「無くても何とかなる」という状態について』   大木 陽介

 私の地元の埼玉県さいたま市は、非常に道が狭く、また曲がりくねった道路や交叉角が直角と遠い変則的な十字路も多い。加えて川越線は単線であるため1時間に3本程度しかなく不便に感じることがある。その理由について、次のような理由を聞いていた。

「このあたりは農村地帯だったため、道路ができる前から家が建てられていた。その間に道路や線路を通したから、細くて曲がりくねっている。」

 実際に、現在の地図と明治時代の地図を重ねてみると、確かに明治時代に田畑や住居を避けて作られた道が現在も多く残っていることが窺える。また、ここに川越線の路線図を重ねても、やはり住居や田畑の間にあった比較的広い(鉄道を通すには狭い)道路を用いていることが分かる。

 さて、ここで問題になるのは「ではどうするか」である。選択肢は
1:土地を収用し開発する
2:我慢する
3:全く新しいアイデアを考える
であろう。使いたい土地が個人または法人に所有されている場合、法律上は正当な理由と相応の補償の下で土地を収用することが出来る。しかしながら、長く住んだ土地に愛着を持つ住民は多く、住民と自治体の間に摩擦を生んでいる場所もある。ここで反対派が必ず唱えるのが「不要論」である。

 これまでの授業の中で、何度も予備インフラの重要性は紹介されてきており、この講義を通して自分なりに理解しているつもりである。(働きアリの戦略に近いと感じている。)故に、このままではいけないし、時には強引な手段も必要だと思う。(他ならぬ憲法に書かれている以上、残念ながらそうなのだろう。)一方で、自分の家が収用されると考えると、どうしても受けいれがたい。この自己矛盾を考えた時、ポイントは「(確かにあっても便利かもしれないが)無くても何とかなる」という状況だと気づく。

 現在自分は片道2時間かけて実家から通っており、そのため20分に1度しかない川越線やよく遅延する埼京線にはいろいろと苦労させられているが、正直「何とかなっている」のである。そして、日本人には「あるもので何とかする」「それでもダメなら我慢する」という美的価値観があるように思う。実際に考えてみると、新宿と大宮をつなぐ電車が30分遅れる(その程度なら毎日起こっている)ことによる経済損失は計り知れず、川越線には大雨時冠水する線路すらある(南古谷―指扇駅間)。探せばロスはいくらでもあるのだが、今ある環境に合わせる知恵ばかりが尊ばれ、(遅延しても間に合うように動く―というような)あまり目を向けられていないように思う。個人の技術としてはそれも良いかもしれないが、社会全体に目を向けた時、それは通用しないことを頭に置いておく必要があるだろう。

 そしてそれはきっと、日本のインフラ問題の多くに共通している。

 蛇足になるが、プログラムの世界や数学には「楽をするための苦労はいとわない」という格言がある。より便利なプログラムの書き方やエレガントな証明のための勉強や工夫は非常に面倒ではあるが決して怠ってはならない(=「できる」ことに満足しない)ということであるが、これと同じことが言えるのかもしれない。

参考
https://wata909.github.io/habs_mirror/compare.html
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000731509.pdf (直接的にはあまり使っていない)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E5%8F%8E%E7%94%A8
https://www.bengo4.com/c_1012/c_11/b_511889/

 


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