今日が二回目の、「土木史と技術者倫理」の講義でした。
20歳前後の若者300人以上を、大の大人、おっさん一人で相手にすることがどれだけ大変なことか、想像が付くでしょうか?
普通の大人であれば、すぐに「萎えて」しまいそうな前提条件をいくつかご披露いたしましょう。
・今の大学生の大半は、「一般教養」の科目に何ら期待などしていないし、いかに楽に単位を取るかを考える学生ばかり。「楽単」などという彼らの言葉があるくらいです。当然、私の講義に群がってきている学生の多くは、この類です。
・そもそも、教員を尊敬する、というような思考回路ゼロ。何だか熱い変な坊主頭のおっさんが講義をしているな、くらいでしょうね。
・300人以上を相手に、どうやって実質的な講義をしますか?毎回テストしますか?期末テストだけですか?期末テストだけ、になったとたんに、現代の大学生、講義で爆睡です。でも、その他大勢など、私にとってはどうでもよい。まず最も大切なのは、私の講義を必修で履修する、土木系の学生たちです。数は少ないですが、彼らは私にとって大切な大切な学生たちです。そして、彼らに私が届けたい内容に付いてきたい方々は、どんな学科であろうと、どんな学部であろうと、同程度のレベルの内容を提供するつもりです。付いてきてくれるのであれば、大切にします。
さて、このような前提条件で講義の場を支配するエネルギーは膨大なものとなります。現在の私は42歳ですが、10年後に同じエネルギーを保持できるかは自信がありません。10年後には別の役割を担っているのかもしれませんが、今はそのエネルギーがあるので、彼らと真剣に対峙しようと思います。
一つ、今日の私に印象的だった出来事がありました。(もちろん、この講義中にも無数に感じたことはありますが、このエントリーに記すべき出来事として選びました)
ある学生が、今日の講義開始直前に私のところに来ました。「前回、出席できなかったのですが、今日からとってもいいですか?」
私は答えました。「取ってもいいけど、条件がある。教科書を買ってもらうことを義務付けている。普通の一般教養の科目は抽選で受講者を選んでいるようであるが、それをしたくない。必修でこの科目を受講する私の教え子たちがいるからである。立ち見もでるような状況であり、本当にやる気のある学生にのみ受講してほしいので、教科書を本当に買って真剣に臨むなら、受講してよい。それでもいいか?」
明らかにその男子学生の顔が「ムッと」しました。
講義が始まりました。その学生は、私が前回、もっと混乱した状況でどのようにこの講義の意義を語り、やる気の無い学生を追い出したかを知りません。
講義中、すべての学生の顔を見ることなどできませんが、私と視線の合う学生の数は少なくありません。
そのムッとした学生は明らかに顔つきが変わっていました。真剣に私の講義を聴いていました。私が真剣に学生たちに対峙する姿勢を目の当たりにしたからであろうし、彼が授業前に質問に来た時の私の言葉の真意も理解したからでしょう。
今日も、すべての学生のレポートを回収し、早速今夜、寝る前から見始めます。
今日の講義中にも、おそらく今日、初めて講義に出席した学生だと思いますが、退室していった学生も複数いました。私も真剣に講義をするので、私と合わない学生は早めに離縁した方がお互いのためです。ぜひぜひ、今後、良い師匠や先輩と出会われることをお祈りします。
ようやく大講義室に全員着席できるぐらいの学生数に落ち着きそうですので、やる気の無い学生を「追い出す」ためのケンカ売りはそろそろやめて、やる気のある学生たちとのポジティブな対話に軸足を移したいと思います。それでもまだまだ半分程度は、風変わりな熱血教師に興味本位で付き合っているだけかと思いますので、ここからが教師の腕の見せ所でございます。